太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

剰余時間の消費的引当について

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生活システムに手をいれるのは余裕があるとき

 生活システムに手を入れる時は得てして時間に余裕のある時が多く、それが続く前提で考えてしまいがちであるが、そうすると忙しくなった時に破綻する可能性が非常に高い。このために普段から忙しいという前提でブロックする時間を決めておいてからシステムを構築して、そこで産まれた剰余は自由に消費する方が良いと考えている。基本的に月収10万円仮定メソッドと同じ考え方なのではあるが、剰余となった時間は貯蓄する事ができない点が異なる。

 以前であれば、その剰余時間でさらに運動するぞとか、資格とるぞ、プログラミングするぞというのを入れてしまうのであるが、落ち着く時間がないし、心からやりたい事ではないと家に帰るまでに寄り道をしたりする事が増えてしまう傾向にある。それでいて、いざやり初めてしまうと無闇に睡眠時間を削ってしまいがちであるし、また忙しくなって、それらが出来なくなってきた時にも罪悪感を感じて悪影響を受けてしまう。このため剰余時間は本質的にあってもなくてもよい消費的な活動に引き当てておいた方が結局は精神安定上良いと思っている。

剰余時間の消費的引当について

 基本的に無趣味な人間だし、向上心が高いわけでもなく、ドメスティックな交流しかできないから、ひとつのことに時間があればあるだけ注ぎ込むような情熱は低い。またネットにつないでいると無闇に時間がなくなるので最近は隙間時間に眺めるスマートフォンとこの日記ぐらいにしている。主な消費先としては読書、ゲーム、映画、ニコニコ動画(ネットじゃん)である。逆に言えば忙しくなると一気にこれらの消費が滞る傾向にあるが、だからなんだという話ではある。

 エンタメとの距離感については別途書こうと思うが、エンタメは「私的レジューム」が効くために「私の消費」が滞った方が「社会側でのバッファリング展開」が進み、それらが評価・選別され、また安価に手に入る傾向にある。「選別されなかったが、自分にとっては良かったであろうもの」を手に入れるのが難しくなる問題はあるのだけど、そこは受け入れるようにしている。また断片的なことよりもパッケージとなった情報を消費するようにしているところはある。

「栄養」を考えない過ごし方をしたい

 思考した事を書きつけておくことでも「私的レジューム」が効くわけであり、自身に取り込んでいく物は結果としてランダムになってしまうものの、それ自体が楽しいうちは深耕を続けることができる。つまり自身でなにかを研究することはできないが、取り込んだものをリンク付けてより楽しい見方ができないかを考えることぐらいはできる。

 リンクにはある程度の数は必要であり、岡田斗司夫の『あなたを天才にするスマートノート』において「腐葉土」と表現されているものが必要なのであろう。しかし、そこでも「栄養とるぞ」になってしまった途端に破綻するわけで、ゼロ年代必須アニメとか必読書150とか、そういうのはもういいよ〜。一種の諦観ではあるのだけれども、職業研究者であるわけもなし。ともかく今みたいに時間が比較的ある時は色々と楽しい小説が読めたりして楽しいよねと。

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))