太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

シモネタ・ロンダリング

ラブ・ロンダリング (プリシラブックス)

いいかた!

 Twitterなどの公開スペースで自己言及的にライフログを記述する場合において無意識に言い方を変えています。

  • 欝や辛くなっている事を「つらぽよ」
  • 精神的に疲労している状態を「MPが足りない」
  • サイトやSNS等を通して異性と会う事を「婚活」
  • キャバクラを「ガールズバー」

 もちろん厳密には違うモノなのですが、前者的な意味合いで書いている事が殆どです。どうしても言葉にしたくなってしまうクセがあるのですが、本当にネガティブな状態になっていようが、なっていまいが使える「つらぽよ」というワードを普段から書くようにする事でリアルでの自身の状態を相手にとって不定値にできるのが便利です。後から読み返しても正確な情報は消えてしまいますし、「あの時は辛かった」と正確に思い出す必要もあまりないと思います。

 また、ちょっと寂しくなるたびに「婚活しようかな」「ガールズバー行こうかな」とか書いているだけなので設定のディテールはどうでもよいのに、風営法的な言葉を使わずに「婚活」や「ガールズバー」という言葉を出している事が圧倒的に多い自分に気が付きました。正確に言えば「その言葉に言い換えれば言える」という事です。

ガールズバーと残機感

 基本的にはシモネタが苦手ですし、キャバクラに行った事すらないようなヘタレなのですが、相応に歳を取るとガールズバーのようにお酒を飲みながら一定時間話せる相手がいる状態を作るのは自己承認欲求の補充やコミュ障のリハビリへの手軽なソリューションなのではないかと思う事はあります。サークル、合コン、社内云々でよくある失敗を何度かしてからリアルな生活に影響するような踏み込み方ができなくなってしまった所があります。自分の関心領域がリアルな利害関係がある人々と話すのには不適切な物が多いなかで、当たり障りの無いのない事ばかり話すのもつらぽよです。

 これまではネットがそのような会話の受け皿を担っていたのですが、「ネットとリアル」で大きく分断されていた<私>が分人多元主義に陥りつつある状態になりました。それは「残機感ゼロ」と呼ばれる失敗を許されない窮屈な状態で生活をする事でもあります。もはやネット上での失敗は回線切ってコンピュータを閉じれば終わるものではなくなってしまいました。

 そもそも複数回会うような事があれば、最初に話したのが偶然ネットだったというだけで、そこから先の差異が自分の中ではなくなってきているという自意識も関係しています。むしろ喧嘩の過程で個人情報をネット上に公開されたりするのを見かけるたびにつらぽよになります。

口をつぐまない場所をつくること

 これらの事に萎縮して口を閉ざしてコミュ障をこじらすぐらいであれば、コミュニケーションに関して、ある程度の失敗を許容してもらえる「分人」を作る相手としてガールズバーは相応しいのではないかとも思っています。仮面的な運用が許される分人はリアルで小規模なセカイに立ち現れるように回帰していくのではないでしょうか。

 とはいえ、ガールズバーこそ話題を一般化しないといけないと思ってしまい、逆にストレスが溜まってしまう懸念があるので行けていません。オアシスの実情は知らないままで、ただ救いの概念が手に届く範囲に見えている事が重要なのだと思います。『文化系トークバーLIFE』でもあれば喜んで通うような気もしますが。

シモネタ・ロンダリング

 前節のような、そこまでアブノーマルでもない話をする場合においても「キャバクラ」「風俗」を使って説明する必要があるのならば口をつぐんでいたであろう自意識があります。

 例えば婚活はマーケティング・業務分析・コミュニケーション理論・経営学・自己啓発などの理論を総動員しえるエキサイティングなテーマなのですが、他者との議論を深めるのは難しい分野でした。

 それがいまや揶揄的なものを含めれば女子の方から「婚活」という言葉が出てくることも珍しくなくなりました。話の最初から「出会い系」や「ねるとんパーティ」であれば話を聞く事は難しかったでしょう。言葉や構造が漂白された事で仮面を付けない状態で話題に載せることが可能になったという事だと思います。「売春」が「援助」に言い換えられた事によって云々というのは漂白度合いが違います。

「語られる事」が増えること

 女性向けTE◯GAやメイド添い寝などが話題になっていますが、シモネタ成分が漂白されるような言い換えや構造変更が発明されるごとに、ここまでなら記述可能という範囲が増えることは、これまで抑圧されていた考えが物理として表出する事であって、良い面と悪い面があるとは思います。

 しかし明文化されてこなかった気持ちについて誰かからは知らないと、こちらで適切なアセスメントを行う事が難しくなります。「語る人」が少ないと、サンプルの偏りはもちろんですが、そもそも「語る人」というバイアスによる偏りが生まれます。もちろん記述された事が事実とは限らないわけですが、全員が嘘を書いていようが、そういう考えを思いつく人が居るという事までは事実でしょう。その一方で漂白しきれない部分はガールズバーなどが担うようになるのかもしれません)。

 Twitterなどによってネットをあまりしない一般の人々の推敲しない考えが表出することが増えました。まだまだ参加者の偏りはあるのですが、それでも徐々に参加者が増えていくなかで語られる範囲も増えることで、リアルなセンチメントが分かるようになっていくのだと思いました。それがより幸福な未来なのか、より辛さを増す原因になるのかは現時点では分かりませんが。

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