太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

不愉快さ、ネタバレ症候群、100万回死んだ虎。または恋が終わる時

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

不愉快のレバレッジと独自の倫理観

 僕自身、かなり頭の固いリベラリストなところがありますし、規範を侵すことへの罪悪感が苦手だという自覚があります。なので他者の倫理感に欠けた行動や、その事への屈託の無さについて苛ついてしまう機会も多いというのが正直な所です。

 またその規範について独自のモノが含まれている事も認識しています。自分がギルティと感じる事には、ドタキャンや嘘や寸借や的外れな内面決めつけなど色々あるのですが、特に以下のパターンに入るとレバレッジが四乗で効いて不愉快メーターが振り切れてしまうという経験則があります。童貞騎士乙。

  • DVやハラスメントに類する構造の構成/維持
  • 上記について「無自覚」または「良かれと思って」いると公言
  • 上記までを指摘すると「似非フェミ」「ルサンチマン」等が原因と内面エスパー
  • その決め付けは異なると言えば「怒るのは図星だから」と内面エスパー

「ネタならOK」こそギルティ

 例えば『会社の部下が鬱で死んだ、すまんが懺悔させてくれ : あじゃじゃしたー』や『嫁のカメラ・レンズすべて売り払ったけど共有財産だから問題無い 前編 : 気団談』などでまとめられてるようなパターンです。露悪的な雰囲気をださずに、自己言及しているため、外形的に判断するに足る内容と思います。というか「ネタならOK」こそギルティです。

 契機となった事そのものよりも、改善の見込みが立たなかったり、自分の気持ち至上主義のフィルターで、こちらの反応を曲解する事への苛立ちが占める割合のが大きくなる傾向が強いです。相対主義から言えば、僕の「自分の気持ち至上主義」を指摘する事も可能ですが、それは僕が不愉快にならない理由にはなりえませんし、そもそも大抵の契機は間主観的に妥当に足る事実があるから発生する事です。

不愉快さのパターン学習と猶予感のなさ

 ではそのような不愉快の種になる逸話ばかりが転がっている増田や発言小町を読んでいるのはなぜなのでしょう。これはサスペンスやホラー映画の構造と似ています。どんなに恐怖を感じても映画から殺人鬼や幽霊が飛び出してきて、私を殺しには来ないだろうと特権的な楽観があります。「どんなに不愉快になっても私には直接的な危害が及ばない」。これは宇野常寛が言うところの「安全に痛い」ということです。ただし「これはアカンやつ」というパターンを学習することで、似たような事案が当事者性を持って立ち現れた時に、審議状態を経ずに不愉快な状態に移行しやすい側面もあるのではないかと考えています。

 「なんかおかしいけどコレって何だろう?」という違和感からの審議状態を経るという事は、互いに「あれは良くなかったかも」と改善する猶予期間やコミュニケーションの機会が持ちえたという事でもあります。そして不愉快さを認識する前の段階で違和感が取り除かれていれば問題は少なかったと思います。それが即座に「これは不愉快な事である」と一方にはネタバレされる事によって時間的猶予がなくなり、また学習機会の非対称性が生まれる事によって共感や改善の可能性が低いまま分断されてしまいがちになりました。

恋や友情が終わる時

 この不愉快さが当事者性を持って立ち現れた場合において、それが一定以上蓄積するようであれば、なんらかの対策を取らざるを得ません。男子と女子の考え方の違いとして『NEWs保存道場 嫁に逃げられない8か条』というものがあります。

1. 嫁の無言を許容だと思うな
2. 怒りを小出しにしないタイプが怒った時は終わりの時
3. 自分の親は嫁にとっては他人、むしろお互い敵同士
4. 「悪意はない」を絶対に免罪符にするな
5. 嫁の愚痴は貴重な情報収集の場だと思え
6. 産前産後の嫁は野生動物、手厚く保護しろ
7. 終わった事、済んだ事と思っているのは夫だけ
8. 釣った魚にも餌は必要、やらないと愛が餓死する


補足として、嫁の産後の時の両親の訪問は核弾頭を投げ込む行為と思え。
上記に該当しそうな場合は、即刻嫁に今後の話し合いを求めてみるのも手。
ただし、それで更なる嫁地雷を踏む可能性もあるのでくれぐれも慎重に。


【心に残る名言集】
・ 過去の恋愛を、男は名前を付けて保存、女は上書き保存
・ 男は臭いものに蓋、女は臭いにおいは元から絶つ
 または、男は対症療法、女は根絶治療
・ 男の「許す」は心のコップに貯まった水をすべて捨てる、
 女の「許す」はコップのふちを盛り上げて心の許容量を増やす

 自分自身は嫁側の感覚にかなり近いという実感があります。面倒くさい乙女おじさんで(m´・ω・`)m ゴメン…。無理筋で悪意のなさを説明されたり、「許す」「目をつぶる」には「取り消し線」が残り続けるという配慮がされないと辛くなってきます。

 例えば、AさんをBさんに紹介したらAさんがBさんに迷惑をかけたので謝罪をしたとします。ここで、Aさんに「悪意はなかったんだし、許してもらえたんだから別に良いじゃん」と言われたとすれば、Aさんの中で「B⇒A、B⇒私、私⇒A」の3つコップを認識出来ないか、全てリセットされたという素朴すぎる認識をしており、悪意なき害悪に対する反省もありませんので、また禍根を残すんだろうなーというネタバレによる絶望感を抱く事になります。この例えはフィクションであり、現実の出来事とは関係ありません。

 もちろん性質の差異や学習機会の有無について責めたてても仕方がないところもあります。逆に言えば貯まった水を捨てる人も居る事への許容が出来ない自分の問題もあるのでしょう。1回2回の話であれば仕方ない事ですし、ある種のポジティブさや諦観もあるので、なるべくコップの容量を大きくしようとはするのですが、それでも限界はあります。

 これまでの経験を考えるに、むしろコップの容量を大きくしよう努力する事で、毎回水を捨てているとか、大きな穴が開いているとか、そもそも水を貯めていないという錯覚を抱かれて、共犯的な加速をさせやすい側面があったのかもしれません。そこは反省しないといけないところです。仕事上、スムーズなコンテキストスイッチやリジュームが必要なので、それを普段の生活でも考えてしまうが故の問題もあると思います。

不愉快さの蓄積とコンプレックス

 コップに貯まった水のように不愉快になった事への「蓄積」を問題としているのは、ある程度のサンプルが取れたので、もう損切りしてよいだろうという確率収束」の話もあるのですが、もっと生理的にダメになってしまう感覚もあります。

 ユングの定義によれば、コンプレックスとは、何らかの感情によって統合されている心的内容の集まりである。ある事柄と、本来無関係な感情とが結合された状態であり、これを「心的複合体」とも訳す。


コンプレックス - Wikipedia

 不愉快さの蓄積が一定の閾値を超えて心的複合体が形成されると「現時点でそうであるかに関わらず」不愉快を想起し続ける事柄に変質してしまい、近づくたびに再帰的に不愉快さが強化されていきます。こうなってしまうと通常の回復行動ではまず間に合わないとネタバレされています。

 それでも向き合う事が必要な場合もありますし、本来的にはそうする事が「正しい」のでしょう。しかし、困難さに比較してリワードが少ないというネタバレもされているのであれば、離れるのが最適解と考えてしまうのも無理はないでしょう。誰しもコップには小さな穴は開いているので時間によって解決する部分も大きいとネタバレされています。ロミオメールや家に行くなど、ここで徹底的に溢れさせる人が多いなーと思いますが。

ネタバレ症候群

 「ネタバレ」「ネタバレ」「ネタバレ」「ネタバレ」。何度となく「ネタバレ」と書いていますが、それは「過去の似た事例において起こった事」であり、「当事者性を持って起こった事」ではありません。せいぜい「高い確率で起こりうると私が考えている事」です。

 その根拠はアカシック・レコードを読んだわけでも、別の世界線からタイムリープしてきたわけでもなく、他者の話からの影響であったり、個人の経験則であったり、妄想が含まれていたりして「本当にこれから起こる事」なのかは未知数です。

 3度目はダメでも4度目は大丈夫だったかもしれません。それでも、繰り返されるたびに不愉快なネタバレの腐臭が強化されていきます。そして本当にそうでなかったとしても情況証拠が偶然的にマッチするごとに、本来的には無関係なネタバレまでもが想起されて心的複合体を形作ってしまいます。

婚活ループ物語論

 残念ながら生きる時間が増えるたびに、「あ!このトラウマ、進研ゼミでやったやつだ!」と引き出せるパターン認識が増えていきますし、それを強化するための選択肢も増えたと思います。

 就活や婚活なんかはその最たるものでしょう。この手の活動は何度もループを繰り返すごとに負けパターンばかり増えていって、勝ちパターンは1~2個しか知らないとなりがちですし、その勝ちパターンへの再現性はあまりありません。負けパターンについての再現性もないのですが、何度やってもダメという宿命論だけは徐々に強めていく中で、酸っぱい葡萄化したり、原因を他者に求めたり、絶望を深めていったりします。100人から「要らない」と言われ続けて統計的有意性を持ち始めるというのは、これまででは考えられない経験でしょう。

 これは流動化した都市や仕事やネットのそれぞれにおける人間関係でもそうですし、誰かの経験談を読み続けることもそうです。本来的には一生掛かっても起こり得ない回数のループを実際的、擬似的に繰り返すごとにネタバレ感を加速して「安全に痛い」段階での損きりを繰り返すようになっていきます。

 これは「その次」が見えるかぎりは続きます。いつか溢れてしまうコップでは時間の問題で新しいモノに変えていかねばならないからです。そして「その次」がなくなった時に絶望して魔女化する事になるのでしょう。

 もっとも深い関係性なんて別にいらないのかもというネタバレもあります。一気、日記、山月記。 東京郊外の池田は博学才穎、平成の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで係長に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔ぎよしとしなかった。 いくばくもなく官を退いた後は、故山、各略に帰臥し、人と交じわりを絶って、ひたすら読書に耽けった。 お前は虎になるんだとガイアが囁いています。「臥龍」「鳳雛」に対して虎の場合は「塚虎」というらしい。

100万回目の死を求めること

 ところで『100万回生きたねこ』は自分の飼い主とともに『99万9999回死んだねこ』でもありました。しかしながら、この猫は飼い主の事が嫌いであったため、特に悲しまないまま何度でも生まれ変わって別のセカイを生きる事ができました。これは飼い主の死を「安全に痛い」程度のこととして上書き保存していくような防衛機構をさらに発展させ、「始まる前から終わる」ようにしておくことで「損切り」の痛みすら発生させない構造です。これは自分の生き方に通じる所もあります。合コンで連絡先を聞かないのは要は勇気がないからではありません。猫の「本心」がどうだったのかについては籔の中ですけどね。

 この猫は、100万回目の生において自分に興味を抱かない白猫に対して「劇的な回心」を起こして求愛し、ともに生きることで100万1回目の生を拒否することとなりました。しかしながら普通の人間が「劇的な回心」を求めながら死に続けるというのも辛い話です。そして仮に見つけたとして、その相手が自分を受け入れる事なんて天文学的確率です。二次元に行く方がうまくやれる気がしません。

 100万1回目の生を臆病な自尊心と尊大な羞恥心を抱きながら孤独に暮らす虎になる世界線を回避するには、コップを一生溢れさせないというネタバレを感じる事が出来れば良いのです。なのでコップの穴を大きくしたり、そもそも水を溜めない方法などを考えていく必要もあるのでしょう。でも、そんな事を考えなくても大丈夫な人ばかりいるレアガチャありませんかねー。レアガチャなら良い方向にネタバレされているから課金兵になるのになどと妄想しつつ、兎を追いかける虎になる夢を見るために、今日も寝るのです。タイガーはバニーを狩るにも全力です。どちらかと言えば虎受け派なんだけどね。

女子の人間関係

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