太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ブログにコメント欄を用意しないのは「一般意志2.0」を実現するため

必ず結果が出るブログ運営テクニック100 プロ・ブロガーが教える“俺メディア

ブログのコメント欄を閉じている

 このブログではコメント欄を用意していない。ブログのコメントは「ブログのコンテンツ」としての責任範囲を持つので、スパムやネガティブコメントへの管理義務が発生すると個人的には考えている。するとスパムの除去やネガティブコメントへの対処義務が発生してきて面倒である。

 「管理者承認をしてから表示させる機能を使えばよい」というコメントもあったが、そもそも検閲みたいな事をする作業自体が面倒。Twitterやブクマでのコメントはいくらでもできるし、それを制限するつもりはない。しかし、「ブログのコンテンツ」として織り込むかまでは別問題である。

相談と義務感

 ブログのコメント欄に書かれると返信義務や行動義務が発生しやすい。誤読や脊髄反射の自由は認めるが、それに対する返答や行動反映は辛いという距離感。言った側にとっては、そのつもりがなかったとしても、当事者間での密なやりとりになるほど、そこにコントロールの期待が発生しているようにも感じてしまいがちだ。親身になって相談を受けてもらうほど、その妥当性とは直交して、「義務感」のような物が発生して無視して行動するのが難しくなるわけだ。

 例えばイケダハヤト(池田会のなかではNo2。No1は池田信夫。池田会って。。。)が「会社はオワコンだからやめるべき」と自身のブログに書いたところで、それだけで会社を辞める人はいないであろうが、もう辞めるつもりが固まっている時にそれを早める効果はある。その時にイケダハヤトを批判するのは無理筋だる。少なくとも「あなたは影響力が大きいからメソッドを批判していた人」が、それを批判するのは滑稽な構図となる。

 しかし、ここで「会社はオワコンだからやめるべき」とつらぽよブログのコメント欄に直接的に返答したり、OFF会などで直接的に言ったら、それを受け取った本人のみの責任とは言い切れなくなってしまう。それでも自己責任ではあるのだけど、結果責任の一部を負わせたくなる心情についての批判できない。まして、そのメッセージを発した側が「上の立場」であるほど注意義務は発生すると思われる。責任を感じたところで「具体的にどうするの?」って話になってしまうのだけれども。

義務感フリーなしくみ

 Twitterの非公式RTは「僕へのリプライ」というよりも「フォロワーへのつぶやき」という側面が強いので、無理に応答しないようにしているのだけど、ブクマコメントやTwitterコメントも非公式RTと同じぐらいの立ち位置にあるので応答義務を感じにくいという意味では似ている。

 勝手に「義務感」を感じてしまうような仕組みを作ると、それを裏切る際に意志力チャレンジが発生しますが、そんな事で意志力を消費したくないというのが実情です。その一方で他者の意見は積極的に自身に取り込みたいので、落とし所として、コメント欄は用意しないけれど、Twitterやブクマは一切制限しないという態度が丁度良いのではないかと考えている。

ブログ運営と一般意志2.0

 この態度設定は東浩紀の『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』の考え方が似ている。本書自体はかなり色々な話が詰め込まれているが、熟議の具体的なアイディアとしては以下のようなものが述べられている。

  • 政治家は議会や審議会などの過程を一般公開で中継する
  • 国民は中継に対してニコニコ生放送のようにリアルタイムなコメントができる
  • コメントはリアルタイムで数値化・グラフ化されて表示される
  • 政治家は、その数値・グラフを観ながら熟議を続行する

国会議事堂に大きなスクリーンが用意され、議事の中継映像に対する国民の反応がリアルタイムで集約され、直感的な把握が可能なグラフィックに変換されて表示される。舞台俳優が観客の反応を無視して演技を進められないように、もはや議員はスクリーンを無視して議論を進めることはできない。すぐれた演説には拍手が湧くだろうし、退屈な答弁には野次が飛ぶだろう(ネットワークに投稿された反応の解析の結果が、議員にわかりやすいように拍手や野次に変換されてスクリーンに表示されると考えてみたい)。視聴者は議決には介入できない。だからそれは直接民主主義ではない。議論に参加するのは、あくまでも民意を付託された議員だけである。しかし、視聴者の反応がそこまで可視化された状況で、私利私欲や党利党略で動くのはなかなか勇気がいるはずだ。そこでは、議員は、熟議とデータベースのあいだを綱渡りして結論を導かねばならない。


一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

 その意味で、このブログ内における「議論」に参加するのは僕のみであり、コンテンツや実行動のすべての責任も僕にあるが、その反応が「外側」に可視化することによって間接的には織り込まれる。「完全に影響を受けない」わけではないという距離感。

自意識こじらせおじさん育成ゲーム

 何かを言われた所でいちいち考えを改めてられませんし、大抵の事には「唯一の正解」なんてありません。それでも妥当だと思えば取り入れるだろうし、無視をしようとも思っていません。その意味では寄与が不明瞭で緩い育成ゲームのようなものだ。いま話題の自意識こじらせおじさん育成ゲームは基本無料ですよ。

 「影響は受けるのだろうけど、影響への義務感は感じたくない」というのは読書にも、たいていのコミュニケーションとも同じ態度であってブログコメントだけに特権性を持たせる必要はない。「コメント欄の管理が面倒だからコメント欄を閉じておく」という話を大袈裟に掘り下げると、そんな感じ。

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル