太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ひきこもり男子いろいろぼっち

汗染みが 布団を彩る 盆の暮れ 網に繋がり ぼっちを躱す

うだるような暑さに辟易としながら起き出してくると、シャツや布団が濡れていた。
太腿にべたつく汗から、おねしょを連想してしまったたけれど大丈夫。

「おねショタ」って、おねしょするショタのことだと思ってた。
ぼくはショタじゃないし、「尿漏れ」と言われちゃうんだろうけど。


相変わらずエアコンは使わない。これは、ぼくと夏との戦争。サマーウォーズ。
それで熱中症になってもきっと構わない。
いっそ入院でもしてしまえば覚悟が決まるのにとも思う。

一本だけ残っていたガリガリ君は一回溶けてて変な形になっていた。
冷凍庫の調子が定期的に悪くなる。もう十年選手なのだから買い替えろと主張しているんだろう。
でも冷蔵庫を買い換えるのは実家に戻る時か、結婚する時と決めている。


「うちら」関連の人々には寛容でありたい反面、すごく冷徹に見てると思うことがある。
「話し合い」「少しぐらいは罪悪感」とか、そんなのが通用しない人はいっぱいいるから。
大学でも、職場でも、ドヤでも、サークルでも同じだったし、割合が違うだけ。
だから自分に直接的な被害がなければ気にしないし、被害に遭いそうになったら切り離すだけ。

切り離せるのは強者の論理かと言えば、そうとも言い切れない。
じぶんの目指すべきところがすごく低いから、「どうでも良いやー」って思えちゃう。
目指すべき何かがあるなら、アクが強い人達とも折り合う努力をするのだろう。
「すごく低いハードルに比べたら相対的に強者の論理」って話なら分かるんだけど(^^)


だから壊れかけの冷蔵庫にも寛容でありたいと思う。
それで冷凍がダメになってしまう事が多くなったら、アイスを食べなくなるのだと思う。
そうやって自分の中で、「しないこと」がいろいろと増えていったから。

エアコンもおんなじ。節電とか政治的な主張とか関係なしに「しないこと」になってた。
ぼくを構成するいろいろは切断されて、それでも必要なことだけが残っていく。


人生には殆ど無限の可能性があると言うけれど、それはまやかしだと思う。
最初のうちは出来ることが増えたり、出来るかもしれない可能性が増えていく事に踊っていた。
でも、切断して「しないこと」が増えていくうちに気づいちゃった。
「しないこと」なんじゃなくて「できないこと」が増えてるんだって。

子どもができなくなって、結婚ができなくなって、友だちができなくなって。
仕事ができなくなって、旅行ができなくなって、車に乗れなくなって。
あれもできなくなって、これもできなくなって。
いろいろできなくなって、ぼっちになってく。


それでも満足を感じる豚として生きるのか、不満足なソクラテスでいたいのか。
そんな事を言われたって分からない。
不満足なソクラテスだって、その薄ら寒い自尊心に満足してる醜い豚の一匹。
どっちも嫌だけど、どうしようもない。


匿名のインターネットって、繋がる事と、切断する事がわりと簡単にできる。
炎上したってハンドルネームを変えてまた始めれば良いかぁって思う。
ブログは閉鎖されている時期の方が多いぐらいだし。
震災や原発とかが気持ち悪くなってTwitterを辞めたこともある。

それでも戻ってきてるのって、ぼっちになりきれないからなんだろうと思う。
誰かと物理的に会いたいみたいな事は減ったけど、TwitterやSkypeで話したいってのはある。
居酒屋で会うみたいな話になると面倒なことがいろいろ付いてきちゃうから。
そんなところでも費用対効果を考えてしまうのは自分でもバカだと思うけど。

インターネット回線を解約してた時期もあるけど、インターネットだけは切断できなかった。
ある資源のコストが高くなると、人々は潤沢に供給可能な代替資源を作ろうと躍起になる。
インターネットは代替資源になるけど、インターネットの代替資源は見つけられなかった。


いろいろぼっちになっていくけど、いろいろ満足するための何かが発明される。
今のところは「いいね!」やブクマ数やPVという承認の代替資源は潤沢に供給されてる。
回線接続やブログなら「できないこと」にならないなんていうのも楽観だけど。


急激に手入れた「できること」は「できないこと」になっていく。アルジャーノンのように。
いっそ肉体もショタになれれば良かったのに、そちらは着実に老いていく。


ひきこもりながら、いろいろぼっちを実感してる。今日も、明日も、明後日も。


参考『ひきこもり女子いろいろえっち