太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

Re:人間関係をすごく厳選してしまう

僕は友達が少ない (MF文庫J)

人間関係をすごく厳選してしまう

まだまだ人生経験が浅い若者ですが、僕は自分のことを「人間関係をすごく厳選する人間」だと思っています。


同級生や勤務先の同僚だからといって、今まで会ってきた人にはほぼ全員何かの「違和感」を感じてしまい、家族以外に深く関わっている人間が一人もいません。
誰かに頼られることはたまにありますが、僕が誰かを頼るってことは全く無いです。

 読みました〜。この「違和感」に関してはよく分かります。自分の思考回路からは想像も付かない人達がいる事は事実です。私自身も老若男女を問わず、一定の人々について「あり得ない」「非常識だろ」と思ってしまう事が多々あります。しかし、ここで「ほぼ全員」としていることが気になりました。そうなると元増田自身を絶対の基準にして、少しのズレも許せなくなっているのではないでしょうか。他人は元増田ではありません。生活環境も違えば、遺伝子も違います。違いが出てくるのは当然ですが、そたびに切断処理をしていたら誰も残りません。

少しのズレも許せない

 現時点では家族以外に気が合う人がいないようなのですが、出会いの絶対数が少ないと、耐性がないため少し気が合うように動かれただけで「この人なら」と思ってしまいがちです。しかし、そうなると実際的には発生しているズレに対する認知的不協和を認められず、幻を愛すようになっていきます。B'zの『LOVE PHANTOM』はまさにそのような歌詞です。

ふたりでひとつになれちゃうことを
気持ちいいと思ううちに
少しのズレも許せない
せこい人間になってたよ


君がいないと生きられない
熱い抱擁なしじゃ 意味がない
ねえ、2人でひとつでしょ
yin & yan
君が僕を支えてくれる
君が僕を自由にしてくれる
月の光がそうするように
君の背中にすべり落ちよう
(そして私はつぶされる)


LOVE PHANTOM

LOVE PHANTOM

結合定量の法則

失礼かもしれませんが、日本の多くの人たちってのは「関係が切れてもいい人・どうでもいい人」でコミュニティを作りまくってる感じがします。特に大学生の集合写真なんかを見るとそう思ったりします。


「関係が切れてもいい人・どうでもいい人」同士で関係を作ってそうだから、どんどんそのコミュニティで平均化された人間になっていそうです。こういう人間関係は、ホントは異常な関係なんだと感じます。

 社会学には「結合定量の法則」という概念があります。これは、ある人間の持てる結合関係の総量は決まっており、特定の人々と濃い結合関係を持つと、他の人々の結合は薄くなり、多数の人と結合関係を持とうとすると、ひとりひとりは薄まっていくという事です。携帯電話のアドレス帳は増えても何人が友達なのか?みたいな話ですが、人間のアテンションが一定である以上は仕方の無いことです。

 ここでいう「異常な関係」の人々は戦略的に、ひとりひとりに担わせる要素を減らしていき、全員に全人格的なものを求めないようにしています。「異常な関係」の人々は少数の恋人や友人、仕事上の関係、その他の大勢の知り合いといった形でメリハリを付けてポートフォリオを組みます。

 そして薄い関係の人ほど違和感があっても気にならなくなるものです。そうやって「寛容」になっていきます。ここでいう「寛容」は「蒙昧な隣人に対して慈悲の精神から仕方なしに許容する事」なのですが、そもそも関係が薄ければ、直接的な被害は発生しませんし、むしろ破天荒さを煽ることすらできます。関係が濃くても違和感が強くなれば関係を薄くしていきますし、その逆もあります。複数の候補を緩やかに調整できるようになることで、適切な結合量の配分を保ちます。

結合関係の非対称性

 この「結合関係」の濃さは自身から相手に向ける方向でのみ振り分けられます。「こちらからすごく厳選する」とあるので、とても濃い結合関係をこちらからは結ぶ事になると思うのですが、それを相手が返してくれるとは限りません。

 むしろ温度差がありすぎると引いてしまいます。相手にも結合定量の法則があり、振り分けられるアテンションは一定の範囲なのですが、そこの濃度が異なることによって罪悪感や気持ち悪さを感じたりします。こちらはせいぜい月1で遊ぶぐらいの感覚だったのに毎日メールをされたら困ってしまいますよね。

 特に相手側が「異常な関係」の維持をしている場合おいては自身に振り分けられる結合の絶対量が不足します。また仮に相手側の結合量を奪取する事に成功したとしても、それだけ接触機会が増えるため、今度は基準値の絶対化が邪魔をします。『僕は友達が少ない (MF文庫J)』という人が恋人を作ると意外に早く別れてしまうのはその辺りにあります。

仕組まれた幻想を愛し続ける

普通に過ごしていても自分の考え方を共有できる人が僕の周りにはいないですが、インターネットでみつけた魅力的で、その人独特の文章を書く人には、会ってその人の考え方をもっと知りたくなります。
僕は「そういう考え方もあったのか!」と驚かせてくる人に魅力を感じます。
僕に「仲間」と言えるような人間関係ができるとしたら、お互いに「そういう考え方もあったのか!」と共感し合える関係になった時、なんじゃないかと思います。

 違和感を感じるごとに切断処理をしてきたのに、「そういう考え方もあったのか!」と驚かせてほしいというのは非常に我儘ですね。自身の基準を絶対としながら違和感を感じない新規の考えというのは、最初から仕組まれた幻想にすぎません。前段にもある通り、先に「この人なら」を強く設定しており、その考えそのものの是非をさておいて、認知的不協和によって良い考えであると思い込むだけです。もはや、その人が何を言おうが関係ありません。勝手に作った幻想を見ているだけです。

「異常な関係」を持つものから一言

僕は、「関係が切れてもいい人・どうでもいい人同士」になってる関係は、ホントは異常だと感じますが、その状態が普通な人とってはすごく安心できる関係なのかもしれません。

逆に、僕の「人間関係をすごく厳選する」のは、これが正常に近いものだと考えています。
「普通」が1番良いと思います。

 どちらが異常なのか?について決めようとは思いません。『他人のパロディを元にしたレトリックが理解できなくなってきているのに、自分の文章にはパロディを入れ込んでしまう自分の気持ち至上主義の憂鬱 - 太陽がまぶしかったから』でいうところの「自分の気持ち至上主義者」としては、他者の「自分の気持ち至上主義」を尊重して「寛容」に接します。故に元増田に異常扱いされようと知ったことではありませんが、あまり効率的な戦略でないと感じましたので、それだけは指摘しておきます。こちらからは異常*1です。

人間関係が「しんどい!」と思ったら読む本

人間関係が「しんどい!」と思ったら読む本

*1:ママ