太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

郵便的コミュニケーションとネットバトル

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photo by Debarshi Ray

感想をブログで書いてもらえると喜びます

 『感想をブログで書いてもらえると喜ぶグループ に参加しました - ←ズイショ→』を読んで自分も『感想をブログで書いてもらえると喜びます - はてなブログ グループ』に参加する事にしました。感想をブログで書いてもらえると喜びます。

 id:zuiji_zuisho さんは佐藤哲也的な饒舌文体で、もしかしたら人を選ぶのかもしれないけれど、自分的には好きな言い回しや観点が多くて楽しく読ませてもらっています。キッカケになったブログの人を褒める縛りなの?。

 僕が id:zuiji_zuisho さんのエントリを読むようになったキッカケは『ブログにコメント欄を用意しないのは「一般意志2.0」を実現するため - 太陽がまぶしかったから』について『燃えるやいなやアズスーンアズでコメント欄を畳んだ話 - ←ズイショ→』で触れてもらった事が大きいのですが、「そっちの主張はまぁどうでもよいけど」って感じで自分の話に進んでいく感じが面白いなって思いました。

人に歴史あり

 実はネット歴そのものは結構長くて、はてなダイアリーのアカウントを作ったのは2004年です。テキストサイト時代を含めるとみたいな話もあるのですが、アカウントを消したり、半年休止をしてたりしながら、弱くてニューゲームをし続けています。ゲーム的リアリズム! そんな自意識はどうでもよいのですが、私がすごくネットをやっていた時期の「感想」といえば論戦形式のネットバトルであって、罵倒混じりのコメントやリンク先言及を受けて一晩考えては相手の文章にケチを付けたり、論点の矛盾を指摘したりして、また罵倒してみたいな事がありました。

 『モヒカン族 (ネット用語) - Wikipedia』などの黎明期です。定義上の「モヒカン族」は罵倒を含めないとあるのですが、罵倒や皮肉は相当含まれていたと思われます。脳死レンジャーとかもありましたね。現在のバトルフィールドはTwitterなどに移って、物量作戦や脊髄反射が主体になってしまったし、論の整合性よりイデオロギーの問題が主流で時間の無駄って感じなのですが、当時は喧嘩をしつつも往復書簡でやりとりをする情緒みたいなものが見ている側にもありました。ただ、それが良い影響になったかと言えばそんな事はなくて、書く側としてはどんどん筆が鈍る原因にもなっていたのだけど。

ブログにコメント欄を用意しないけど、感想は欲しい

 今よりもかなりベタに捉える性格だったので、相手の言う事を噛み砕いて一旦共感した上で、それでもみたいな事をやってるうちに気分も落ち込みますし、時間もなくなります。迂闊な事は書けないと思って際限無く調べたり、言い回しを考えているうちにどんどん億劫になっていきました。

 それで結局は2chやはてな匿名ダイアリーに書くようになったり、はてなブックマークやTwitterでヒトコトって感じになっていきました。それは人の意見を聞きたくないという開き直りとも捉えられてしまわれそうですが、むしろ「どんどん各自のアカウントを使って感想を言って欲しい」「間接的には織り込むつもり」という態度設定でもあります。

女子会で自分はどんな設定になっているのかという自意識

 このことについて、『燃えるやいなやアズスーンアズでコメント欄を畳んだ話 - ←ズイショ→』では「PV数に繋がるなら良い」として以下のように結んでいます。

思ったよりムカツキが持続してて荒れましたけど、まーなんかそんな感じです。何もかもぶん投げた要約としては、僕がコメント欄閉じた理由は、「あっちに糞つまんない絵があったよ」って触れ回るのは勝手だけど飾ってる絵に落書きされるのをこっちが許容する義理はないよね、ていう感じです。以上です。

 結びについては完全に同じ感覚です。自分の第一義は「PV数」に繋がるからではなくて、やはりどちらを向いての発言なのか?ということです。各自の場所で自分の読者に対して好き勝手に自分語りするのは構いませんが、僕を直接的にコントロールしようとされても困りますし、その痕跡の管理義務すら持ちたくありません。返答するかどうかなんて気まぐれオレンジロードのままにしておきたいです。

 その一方で何を言ってるのかは教えて欲しい。つまり女子会で僕の寸評コーナーが始まったらトラックバック通知をして欲しいわけです。傷つくかもしれないし、直接的な返答はできないだろうけど、少しは気を付けようとも思えるかもしれない。それでも、唐揚にマヨネーズかけるけれど。

現実なんて人それぞれ

 id:inujin さんは『ブロググループを、作ってみた。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。』で感想をブログで書く事について書いています。

感想の対象となるエントリの内容を、
超短縮して先に書く。


(中略)


また、本来、これぐらい短い紹介文を書くのは
非常に乱暴な作業なので、かなり無理が生じる。


もっと正確に書いてあげなくちゃとか、あれもこれも解説しなくちゃとか、
色んな方向に頭が動き出す。


それで良いのである。

その時に湧き上がってくる、あれこれ書きたいと思ったことを、
1行紹介の後に、続けて書いていけばいい。


驚くほどスムーズに、書きたい感想が出てくるはずである。


感想をさっさと終わらせて
自分の意見にすりかえる。 

 それぞれの世界観にどっぷりと浸かり込むわけでもなく、世界線のひとつとして認識だけがあって、それを緩やかに織り込んで自分語りに戻る。いくぶんかは濃密に混信しあうこともあるけど、基本的には少しだけ影響を受けたり、全然違うところに引っかかったりする程度のものです。僕らは間接的にしかやりとりができない。

郵便的コミュニケーション

 ブログに限らずネットワークを介したコミュニケーションは、より郵便的になっています。そこで紡がれた言葉は届いたり、届かなかったり、順番が違っていたり、別の宛先の郵便が届いたりという可能性を常に内包しています。

 それでも互いの世界線は続いていきますし、コミュニケーションをしているのだと思いこめるだけの幻想も維持されます。でもミカサちゃん( id:luvlife )とはコミュニケーションできてるもん。この混信はブログを始めて一番嬉しかったかも(*^^)v。ありがとうございます。感想をブログで書いてもらえると喜びます(大事なことなので二回言いました)

自分のはてなが、いろんなブログでいろいろリンク貼られてたけど、面白い♪、って思ったのを2つ紹介します(^_^)


ひきこもり男子いろいろぼっち /// 情報学の情緒的な私試論β


タイトルいじられたー(^_^)


短歌もちゃんとあるー(^_^)

でも記事はちゃんと真面目で、私は記事の内容にスターつけさせてもらいました。

 実際問題としてブログエントリのタイトルだけを見て分かった気になってブコメに書かれる事もありますし、そこで書かれた本文がぜんぜん違っていたって、コミュニケーションが滞りなく出来たと勝手に思えるものです。先の『ひねくれ土産 - ひきこもり女子いろいろえっち』の中身もすごくよかったのですが、自分がそこに載ったという事実が先にきてしまって、ブログエントリ自体の感想を書けませんでした。

 ハンロンの剃刀に従えば、「悪意ではなく無能」なのですが、この「無能」は「注意力をそれほど振りわけられなかったから」という状態がありえます。それは単純に大切に思われていないという可能性もあるのですが、タイトルや質問のインパクトが強すぎて、注意力がそっちに取られて色々な思考が湧いてしまい、それを口に出すだけでコミュニケーションが完了したと思ってしまう可能性もあります。しかしながら「そのコミュニケーションが本当に失敗だったのか?」については議論が別れるところだと思います。

 ここまで書いて、「『感想をブログで書いてもらえると喜ぶグループ』に参加しなかった」というオチにしたところで、このエントリを(程度を問わずに)「読んだ」80%ぐらいの人は『感想をブログで書いてもらえると喜ぶグループ』に参加したんだなーって思ったままでいることでしょう。それっぽい文字列が続いていれば中身の文章はほとんどの場合は代替可能です。

ネットバトルは郵便的だった?

 ここまでは正確に読みこまれない事を郵便に例えていたわけですが、冒頭のネットバトルについて「往復書簡」と表現したのとは随分と異なる様相です。

  • 手紙を出来る限りゆっくりと正確に読み取って相手の話に入り込むこと
  • 手紙をザクッと読み取って自分の話にすり替えること

 それでも、これは程度問題に過ぎないとも言えます。どんなに正確に読み取ろうとしても、やはり誤配は起こってしまうのです。結局のところで「できる限り』という態度の問題であって、態度は結果を保証するものではありません。だから理解を放棄しようって話でもないのですが、所詮は誤配を織り込んでいかねばならないのだから他人の誤解や理解力についても寛容でありたいと思います。

 勝手に自分の話だと思い込んで、自分なりの回答を考えていけばよいのですし、こちらの意図とは全然違っていても本人にとっての何かが解決する可能性があります。むしろ、僕が思い描いた事とは別の事を考えてもらった方が、僕としては得るものがあります。他人の人生なんて知ったことじゃありませんし、僕と同じ考えになってもらう事に対した意味はありません。

感想をブログで書いてもらえると喜びます

 色々と書きましたが、とにかく感想をブログで書いてもらえると喜びます。大事なことなので四回言いました。ここで言う「感想」は、僕のエントリについて詳細に意図を探ろうとか、誤字や矛盾を指摘するってものでもよいし、もっと適当に連想した事を書くのでも良いと思います。

 そもそも「感想」とは「感じて想う」ことですから、そこの自由があります。「感動」は「感じて動く」ですね。思想統制とか無理ゲーですし、あまりに事実無根な話を書かれない限りは問題ありません。本来の意図とは正反対に受信して、返答されたものであっても、それをまた正反対に受信したりして郵便的なコミュニケーションは続いていくのでしょう。このエントリも勝手に感じて想った事を綴っただけです。返答しない自由ももちろんあります。

 なので感じて想った事をブログで書いてもらえると喜びます。大事なことなので五回言いました。唐揚げにマヨネーズをかけるかはケース・バイ・ケースです。粗挽き胡椒を多めかけるとさらにイケますね。大抵の問題はそんな好みの問題に収束します。あとエアリプライよりもIDコールやURL言及をしてもらったり、Twitterでリプライをして頂いた方が通知があって楽なので助かります。ブコメも非表示にしない限りは全部チェックしていますよ。よろしくです(^_^)

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

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