太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「きっと何者にもなれないお前たち」と告げられたい〜理想化自己対象としての「若者の特殊性」

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若い人への関心が強いことについて

 私に限らず、三十路になってからでも大学のサークルに執着したり、新人と飲んだり、オフ会に参加したりして、20〜25歳ぐらいの人々と話す機会を持ちたいと思う人々は多いと思います。自身の精神年齢が幼いままだという事もあるのですが、先輩ヅラとか、ワンチャンとか、市場調査とか、そういうのとはまた別の動機から発しているのではないかと考えています。

 話を聞きたいと思うのはデザイナーやライターの人など比較的クリエイティブな方々だったり、いわゆるオタク婚活についても、同人誌を書いているような人と仲良くなれたらと思うことが多かったです。その一方で自身が「普通」であることを強調する機会が多く、この欲求ってなんだろうと考えました。

「失われた」という下降の運動量

 私を含めたロスジェネの人々は「不良債権」を持たされたという感覚を抱いてる場合が多いと考えています。「頑張れば報われる」という社会通念上の「取引」が設定され、それに対する「債権」だけは積み上げたという幻想が維持されたまま、「踏み倒されるだろう」という不安や、「既に踏み倒された」という理不尽さが、生きづらさの源泉になっているところがあります。ロストジェネレーションは「(債権が)失われた世代」なのだと解釈しています。

今の30代は何かを期待して裏切られた世代。たくましく生きる覚悟はあったのに、2000年代に厳しい現実に直面して「やっぱ無理だった、一生懸命やったけど、何にもなんなかったじゃねえか」と怒っている。同時に「自分の努力が足りなかった」という自己責任感も強く引きずっている。逆にその下の20代はハナから「期待するな」と教えられた世代。もっと冷めていて保守的だ。(鈴木謙介)

若者の特殊性

 しかし、若年層については、そんな「取引」はないとネタバレしており、緩やかに諦観していたようにも思えます。そして最初から存在しない債権は失われようがないため、下降の運動量に悩まされなかったり、それを見越した機会費用配分が行なえたであろうことへの嫉妬のような感情があります。

 ・・・なんて書いてしまうのも、ロスジェネと若年層を分断する言説に引っかかってしまっている感じもありますが、『「働き方」を変えれば幸せになれる? 平成日本若者論史』で指摘している通り、若年層に対する「特殊性(=私とは違う)」に対して希望や新しい幸福の形を見出してしまっている側面は正直なところ強いです。

若年層の理想化自己対象化

 一般的には自分より年齢が上の人々をロールモデルとして、彼らの生き様を取り入れていくというのがひとつの戦略だったのですが、31歳の自分より少し上のロスジェネにストライクな人々には正直なところ「同じ轍を踏みたくない」と思うような事が多く、ロールモデルにはしたくありませんし、もっと上の世代については前提状況が違いすぎてロールモデルになりえません。

 その代替先として若い人々に関心が向かい、かといって自身が若返る事は出来ないため、彼らを鏡像から理想化自己対象として捉え直しているのではないかと考えています。

理想化自己対象 idealizing selfobject


 一行で表現するなら: あこがれたり尊敬したりしていると、自分も誇らしくなったり立派になったように感じられるような対象。または、「尊敬・崇拝していると、力強さや元気さがみなぎってくるように感じられる対象」「その対象に所属していると自覚すると勇気付けられるような対象」なども、理想化自己対象の範疇に含まれるだろう。


用語集・理想化自己対象――汎用適応技術研究用語集・理想化自己対象――汎用適応技術研究

「きっと何者にもなれないお前たち」と告げられたい

 『米田智彦『僕らの時代のライフデザイン』〜きっと何者にもなれない僕らのための生存戦略 - 太陽がまぶしかったから』や『人のブログを遡って読んで仮想マシンをインストールする - 太陽がまぶしかったから』に限らず、私は『輪るピングドラム 上』における「きっと何者にもなれない」という立場を強調することが多いです。『流行りだとか話題のためにアニメを観ること~コミュニケーション基盤としてのオタクコンテンツ - 太陽がまぶしかったから』の派生で id:p_shirokuma 先生と話した時もそうでした。



自身のコモディティ化欲求と相対的特殊性

 しかしながら、実際的な自分はそれなりにはマイノリティです。なので「きっと何者にもなれない私」を実現するために『31歳のハローワーク〜可処分時間から時給を考えたり、コンビニ勤務を妄想したり - 太陽がまぶしかったから』のようにコンビニで働いたりして極度にコモディティ化していきたいと思うのでしょう。

 この欲求の源泉は先の通り、「若者の特殊性」を理想化自己対象として捉えている事から説明できるのではないかと考えています。私自身がコモディティであればあるほど、彼らの特殊性が相対的に高まり、理想化自己対象としての価値が高まるのですから。自身の普通さが際立っていくほど、そこまで特別ではない人々と話すだけでも自己愛が補充されるようになるという自分勝手な期待があるのではないかと考えています。

 そうして若い人に対して説教するでも、性愛や市場調査を意識するでもなく「俺はもう『普通になる』のだから、君たちが『特殊になる』事を応援させてくれ」などと、まるでアイドルを応援するドルオタのような位置に留まって精神的なパトロネージュをしてしまっているのではないかと思います。アイカツおじさんは自分がステージに立ちたいわけではありません。ここにも「特殊性を失う私」と「特殊性を獲得していく若者」の対比があります。でも、それをしてよいのって50歳ぐらいになってからのような気もするのですけどね。

RAH プリンセス・オブ・ザ・クリスタル

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