太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ノンジャンルブログでありたいのだ〜「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうアマチュアブロガーの勝利条件

勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」 (小学館101新書)

きっと何者にもなれない泡沫ブログ

 今週のブログ更新は少し意識的にノンジャンル感を出してみました。放置していたブログをリニューアルするのにあたって、ニュース、書評、評論、エッセイ、増田、詩、小説、写真、イベントレポ、ブログ論、アニメ、生活、文房具、ガジェット、お得情報、ライフハックみたいなネタをひとつのブログでごった煮にしようというのが念頭にありました。

 『「きっと何者にもなれないお前たち」と告げられたい〜理想化自己対象としての「若者の特殊性」 - 太陽がまぶしかったから』にも書いた通り、私は肩書や趣味趣向と紐付けて呼ばれるのがあまり好きではなくて、「何者でもない」を強調する事が多いのですが、ジャンルを固定化してブログを名指されたくもないと思ってしまうのです。『【泡沫ブログの会】公式ブログ』で紹介された時も、幅広く扱っているよくわからんブログとして紹介されました。

 ジャンルや形式を決めたり、人気を維持しようとするのは色々と面倒ですし、書くための時間がろくに取れない日だってあります。なので、その時点で書けそうな形式で取り敢えず1日1回は更新しようって事だけを決めています。それでも私自身がその都度書くことのなので、その時の私の趣味嗜好や状況に依存する事は多々ありますし、それを漂白するつもりもありません。要するに職業「池田仮名」みたいなものです。冒険に出よう!

ブログ記事のポートフォリオ

 それぞれの記事に込めた意図は記事ごとに異なります。もちろん組み合わさっている事もありますし、何も気にしていない事もあります。明確に狙っているというのも、それはそれで嘘なのですが、ここで言いたいのは「数値化可能か否かに関わらず指標は複数あり、それぞれの指標には適した記事形態がある」ということです。はてブ数のみを指標に考えてるわけではありませんし、それを狙い続けるとつらぽよだと思っています。

 そして、それぞれの指標は一定の範囲では相関しますが、相関係数がそこまで高くないので1つの記事で満たすのは非常に難しく、なにより意図通りの結果になるかは運次第なので、ポートフォリオを組んで全体で満たそうと考えています。

プロブロガーが狙うべき商圏

 プロブロガーである @ さんの『ブログだけで1年ほど生活してみて気付いたこと : め〜んずスタジオ』は非常に示唆に富んでいます。自身のサイトにブクマされる事が少ないと自虐したうえで、でもそれは収入に影響がないと断言します。また固定読者が増えても収入は増えないし、ブロガーにだけ受けても同じく収入に繋がらないという切実な問題が書かれています。

ブログの固定ファンが増えれば増えるほど、AdSenseはクリックされにくくなります。なぜならば、1度クリックした人はこれが広告だとわかるからです。広告とわかれば、次はなかなかクリックしてくれないでしょう。


(中略)


この対策としては、定期的にAdSenseの設置場所を変更することが効果的と言われています。


(中略)


ですが、ブロガーの読者が多いブログの場合、どう頑張ってもAdSenseの収入は増えないでしょう。みなさん知っているのでクリックしませんし(笑)

 はてな圏向けにヒットした記事はお金になりにくいというのは個人的にも実感しますし、あざとくやろうとすると増田で叩かれたり、過去の失敗を掘られるリスクもあります。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 なのでマネタイズを主眼に置くのであれば、自身を含めて良く言えばリテラシーが高く、悪く言えば嫌儲的マインドが強い「はてな」という商圏に店を出したり、固定読者を増やしたいという考えは悪手であり、そんな商圏で釣り記事を書いてまで儲けようとするぐらいならコンビニで夜勤したほうが効率が良いのです。

勝利条件に拘ってしまう

 それでもなぜ、はてな圏にいるのかを考えると、『アマチュアブロガ―にとっての「勝利条件」:いつか電池がきれるまで@ブロマガ - ブロマガ』が山下達郎の言葉を通して、漠然と考えていたことを言語化してくれた感があります。

山下:勝ち負けは人が決めること。あとは、自分が顧客(カスタマー)でいて欲しい人たちの観念(イデア)に向けて発信したものを、その人たちがいいと思ってくれること。

 実際は、山下達郎さんは音楽で高収入を得ている人ではあるのですが、僕は「アマチュアブロガ―にとっての勝利」って、まさにこの「自分が読んでいてほしい人たちに向けて発信したものを、その人たちがいいと思ってくれること」だという気がするのです。
 ある意味、「稼ぐ」より、よっぽど難しいことではあるのですけど。


でもまあ、「稼ぐ」ためには、やはりある一定数以上のアクセス数とかが必要になるわけです。いまのネットでの「集金システム」の世界においては。
 ところが、「ブログで稼ぐこと」を捨てれば、極論すると「誰かひとりの読者を満足させられれば、それで十分」にまで、ハードルを下げられる。
 もっと突き詰めれば、「書いている自分が満足できれば、それでいい」。

 これは非常に納得がいくのですが、元記事内でも述べられている通り、「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘っていて、むしろ難しい事のようにも思えます。「勝ち方」に拘る贅沢が出来るのは本来的には負けても良いからです。元記事では「書いている自分が満足できれば、それでいい」が処方箋として提示されています。しかし、人間とは欲深いもので、「自分が満足できれば」を得るためにも、やはりなんらかの条件を満たす必要があるのではないかと考えています。

書きたい記事とウケる記事

 書きたい記事とウケる記事が異なる件については『ウケる記事・ウケない記事/書きたい記事・読みたい記事 - あざなえるなわのごとし』から示唆を受けました。

ブロガーってのはめんどくさい。
金儲けが主のプロブロガーとか、ライターなら判りやすい。
「ウケる記事」「(自分が読者として)読みたい記事」
これを優先すればいい。
ところが(アマ)ブロガーはそうはいかない。
「書きたい記事」がある。
しかし「書きたい」事を書いても「ウケない」
「ウケる」と「書きたい」はイコールにならない事が多い。
勿論、狙ってもウケない事は多いのは前提。

 冒頭では偉そうに個別の意図があるなんて書きましたが、実際には「書きたいだけ」が一番多いのです。しかし、自分が書きたいと思って力を入れた記事って、はてブもPVも意外に伸びないものです。つまり「自分が顧客でいて欲しい人たちの観念に向けて発信したものを、その人たちがいいと思ってくれること。」ができていないという事です。

ブロガーってのはエゴイストなので
「書きたい記事を書き、それがウケ、望んだとおりに受け取ってもらえる」
それを望む。
でも実際そんな訳ゃあない。

 「自分の書きたい事を書いて、自分の好きな文化圏で、自分の好きな人達に、自分の望んだ通りに受け取ってもらえて、お金ももらえる」こんな勝利条件を自身に課したら地獄しかありません。ここで私が「お金」も挙げているのは以下のような考えからです。


ネットの世界というのは、基本タダの世界です。twitterでつぶやこうが、長文書こうが、バトルしようが、基本タダ。やるのもタダなら、観覧料もタダなので、フリーの世界素晴らしいですね、となる。これは、ある程度やる気のあるワナビーにとっては非常に都合がいい。ようするに、誰もが、そこまでコストをかけられない(まともに仕事してたら1分ごとにツイートチェックする事なんて無理だ)、収益も得られない以上、「アクセス」という名誉だけが我々が原稿を書くモチベーションとなる。俺たちが(ニヤニヤしながら)辟易している、電波ブログや平常運転ブログなどは、俺たちが「今日も「そんじゃーね」って言ってるのかな?「男は黙って原子力」とか言ってるのかな?」と思って見に行けばいくほど、彼らが原稿を書くモチベーションを与えることになります。
で、このタダ、というのは文章という意味に留まらず、実は感情もタダなんだな、と最近思いました。

 上記の記事はもともとは「どうしてミニコミを作るのか?」という話ではあるのですが、ここの文脈において広告収入は「一円ではある」のです。なので、その金額の多寡は本質的な問題ではないのですが、ミームとしての強度のベンチマークになるとは考えています。そして、それをリテラシーが高い人々を相手にしてやっても不利だというのは先に述べた通りです。これは『低学歴の世界と高学歴の世界が交わるとき、そこには膨大な金脈が広がる。 - 拝神』の件とも接続されます。

ノンジャンルブログでありたいのだ

 冒頭に説明したように指標は様々あれど、それに適した形式というのはそれぞれにあります。そして、ひとつの記事で全てを満たすのは難しくとも、個々の記事の個々の指標においては比較的狙った通りに打ち分けられる事もあります。

 可能世界においては、結果に応じて後付で「最初からそれを求めていた自分のみが生き残る」という現象を起こす事ができます。つまり、「Aという結果を期待している私」と「Bという結果を期待している私」が同時並行で存在し、仮にAという結果が確定した瞬間に「Bを期待していた私」は死ぬのです。今回は全ての打ち分けが比較的うまくいきましたが、失敗しても5記事でも10記事でも書いて最初からそれを狙っていたと思う事はできます。

 そして単独の記事では「自分の書きたい事を書いて、自分の好きな文化圏で、自分の好きな人達に、自分の望んだ通りに受け取ってもらえて、お金ももらえる」なんて事はできなくても、ブログ全体としては何人もの仮想死体を前提として成立しえるのではないかと考えています。

 例えば人気記事や検索エンジンに引っかかりやすい記事がひとつでもあれば、同じブログのそうでない記事への導線は作れます。はてブ至上主義でないとはいっても届くべき人に届いたのではないかと思えるのは嬉しいものです。好きな人のみに読まれることは難しいかもしれませんが、ある集合の中に好きな人達がいる可能性はあります。

 私の思う『勝ち続ける意志力』は物理的な結果に応じて勝利条件の指標を入れ替えてしまうことで、勝った事にしてしまう事によって成立します。ダメな人だー(´Д⊂。その時に書き手としての満足度のみをストイックな指標とするというのも手なのですが、結果として使える材料が出来たならそっちも活用してしまった方が楽です。個々の実績を狙ってレイヤーを積み重ねていけば総体としてはそこそこの結果に錯覚できたりするものです。そして試行回数が増えるほど、総体での達成は容易になります。

 などとブログ論を捏造してきましたが、勝つとか、負けるとか最初に言い出したのは〜、誰なのかしら♪ プラスアルファブロガーとしては、ちょこっとでもプラスになれば充分に良かったって言えるんですけどね。どうせ他にやることもあんまりないし。だからこそ「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうわけだけど、出来ないものは出来ないわけで、ハードルを低くくしての達成感とも適切な距離を保つと良いのではないかと思いました。

仕事は楽しいかね?

仕事は楽しいかね?