太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

後藤和智『「働き方」を変えれば幸せになれる?』〜セカイ系としてのグローバルとサヴァイヴ

「働き方」を変えれば幸せになれる? (平成日本若者論史)

「働き方」を変えれば幸せになれる?

 本書は後藤智和氏( id:kgotolibrary )による若年層の「働き方」言説の成り立ちや、その批判点について論述されたkindle書籍です。『安藤美冬『冒険に出よう』7万部突破の謎 部数の耐えられない軽さ : 陽平ドットコム〜試みの水平線〜』で取り上げられていたこともあって購入しました*1。取り上げられた直後はkindleのランキング上位になっていたようです。

後に、安藤美冬批判、ノマド批判も一段落した今日このごろだが、後藤和智氏の電子書籍『「働き方」を変えれば幸せになれる? (平成日本若者論史)』が激しく秀逸だった。安藤美冬氏はじめ、新しい働き方、自由な働き方系の著者をメッタ斬り。深く読み込んでいて、説得力が違う。ネタバレだが、最後は私も斬られているが、斬られて爽快感すら沸き起こるほどよく書けている。ぜひ、ご一読頂きたい。

 僕自身は『米田智彦『僕らの時代のライフデザイン』〜きっと何者にもなれない僕らのための生存戦略 - 太陽がまぶしかったから』や『森山たつを『セカ就! 世界で就職するという選択肢』~「普通」の道筋を増やしていくために壁を超える - 太陽がまぶしかったから』などにある通り、若年層の「働き方」についての関心はそれなりに高いです。

 銀の弾丸だなんて思っていませんが、個人のサヴァイヴについて何も考えないよりはマシですし、キャリアポルノにはポルノとしての効果があると思っているからです。そうは言っても、あまりに荒唐無稽なポルノは強度不足であり、「ぼくのかんがえたさいきょうのはたらきかた」を妄想するのにあたって、予め批判点は抑えておくべきだと考えました。

若年層の働き方言説の分類

 本書では現在の若年層の働き方言説には3種類あると規定します。

  • 若年層の置かれた状況を統計や個別事例から分析することで若年層の置かれている労働環境を客観的に明らかにする言説
  • 日本社会の仕組みや、そこに囚われていることを批判し「海外に出る」事を推奨する言説
  • 我々は日本社会や経済に対する固定観念から自由になった世代として滅び行く日本の中で「生きのびて*2」いく言説

 このうち、若年層の状況を客観的に明らかにする言説については事実を明らかにするために必要なものであるので批判対象からは外れます。本書では後者ふたつの思想系言説ついて論じられており、この「海外に出る」「日本で生きのびていく」という正反対の言説は、実のところ相似形にあるという指摘に繋がります。

若者の特殊性への憧れと、特殊化を煽る事への倫理観

 『「きっと何者にもなれないお前たち」と告げられたい〜理想化自己対象としての「若者の特殊性」 - 太陽がまぶしかったから]』で書いたとおり、僕自身は本書が指摘する「若者の特殊性」を一種の理想化自己対象として捉えており、その一方で自身を「何者にもなれない」と対比することで、相対的に自己愛の補充をしやすいスキームを作っているのではないかと思うところがあります。

 ミッフィーこと安藤美冬さんが僕にとってのアイドルであることについては疑いようもないのですが、僕自身がアイドルになりたいわけではないですし、ロールモデルとして設定しているかと言えば、それはまた違います。でも好きなんだからしょうがない。歳上の安藤美冬に「若者の特殊性」を感じるというのは、自身がまだ「若者」だと思っているイタさと、そもそも年齢は絶対的な要素ではない事が関わっています。*3

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超好き(^^)b

 しかし、このような若者の「特殊性」を前提とし、また「特殊性」を煽るための若者擁護論は、かえって若年層の可能性を狭めているのではないかと本書は指摘します。「特殊なのだから既存の統計は使えない」といった態度によって、正確な現状認識をさせず、「思い込み」で動く人々を増やしてしまっているという事です。そしてこの「思い込み」を識者が語ったり、世論や投票に繋がることによって、政策にまで影響を与えてしまっているのではないかと本書は指摘します。

 また先のエントリについて言えば「俺は髪を切って就職しちゃうけど、お前らは学生運動を過激化しろよ」っていう図式を未だにやってるのかものしれないというアイロニーを感じる事もあって、ことさら煽り立てるのも倫理的な問題があります。

「海外に出る」言説

 谷本*4が提供していることは、受け手に対して自らの視点を「グローバル」と同一化させることにより、日本を(具体的な社会やシステムの問題をすっ飛ばして)本質的に劣化しているという「錯覚」と言うことができる。そして谷本の言説とは、自分の意識を「グローバル」ないし「欧米」の考え方に合わせることによって「日本」という枠組みを脱却して、真の幸せを手に入れることができるというものなのだ。


 谷本真由美( twitter:@May_Roma )や田村耕太郎を中心に「日本は世界からみて、こんなに国際的な常識から外れており、それが我々を抑圧している」と前提を積み上げた上で、「海外に出よ」「グローバル」を煽る言説があります。

 これらの言説では、日本のシステムの個別具体的な価値検討や改善をさておいて、一足とびに「自分」がどうやって生きていくかということが強調されます。「日本は劣っている」のだから脱出すべきであり、脱出しなかったとしても社会情勢の必然から日本が「グローバル化」していくことは避けられないという宿命論によるニヒリズムを本書は指摘します。

ローカルなブラック企業ほどグローバルを語る

 この「グローバル化」に対するニヒリズムについて、いわゆる「ブラック企業」とされる経営者による若者論にも類似性があると本書では指摘します。ユニクロの柳井会長は「グローバル化」をしきりに強調しますが、これも「グローバル化」に対する宿命論であり、「故に低賃金でも仕方がない」を担保するための言い訳として機能しています。

 しかし『「いつでも・どこでも」働けるなら「いま・ここ」で生活できなくても良い? - 太陽がまぶしかったから』でも書いた通り、「いま」「ここ」でサービスを提供する企業の末端にまで「グローバル」を煽るのは難しいところがあります。従業員が「ここ」で暮らせなければ雇用は維持できませんし、買う人間もいなくなってしまいます。コンビニなどを考えれば分かる通り、商圏内での競争激化において「グローバル戦略をとれば勝てる」というのは逆に見通しが甘いといわざるをません。

 そしてブラック企業として有名な企業は大抵ローカルレベルでのサービスを前提とした企業*5だというのは皮肉なことです。ローカルに展開しているからこそ認知しやすいという側面もあるのでしょうが、ここにもローカルな商圏内での話から一足とびにグローバルに接続する飛躍があると本書は指摘します。

「人生から降りる」言説

 id:pha さんや古市憲寿氏をはじめとして、経済状況が悪いはしょうがないいんだから若者の新しい考え方・想像力を発揮することでブレイクスルーをしようという言説です。僕自身もこちらに属するのだと思います。かつて中島義道が語っていたような『[asin:4480424121:title]』のようなことを緩やかにやっていこうという事です。

 この言説は一見「グローバル化」とは真逆の志向にみえますが、滅び行く日本の中で過当競争をするぐらいなら新たな逃避先を求めようという主張であり、「海外に出よ」と同じ構図にあると本書は指摘します。ここの指摘については自身もなんとなくは認識していたこをズバリ言語化された感じです。

 例えば僕の書いた『1泊1400円のドヤでノマド生活するノマドヤ・ワーキング・マニュアル - 太陽がまぶしかったから』についても「いきなりフィリピンに行くぐらいならドヤっていう選択肢もある」という主張だったりもしますし、『31歳のハローワーク〜可処分時間の時給やコンビニ勤務を妄想する - 太陽がまぶしかったから』でも「オリエンタルな異国としてのコンビニ」を意識していたところがあります。

 もっと言えば『[asin:4041375339:title]』や『ドリフターズ 1 (ヤングキングコミックス)』との相似にあるのではないかというのがあるのですが、そこについてはまた別途論じたいと思います。社畜になりきれなかった俺は、しぶしぶコンビニに就職することを決意しました。

世代闘争と色彩が強い

 「日本で生きのびていく」系の言説は世代闘争としての色彩も強くなってきます。これは先に挙げた『「きっと何者にもなれないお前たち」と告げられたい〜理想化自己対象としての「若者の特殊性」 - 太陽がまぶしかったから』にある書いた通りの理由があると考えています。

 一般的には自分より年齢が上の人々をロールモデルとして、彼らの生き様を取り入れていくというのがひとつの戦略だったのですが、31歳の自分より少し上のロスジェネにストライクな人々には正直なところ「同じ轍を踏みたくない」と思うような事が多く、ロールモデルにはしたくありませんし、もっと上の世代については前提状況が違いすぎてロールモデルになりえません。


 その代替先として若い人々に関心が向かい、かといって自身が若返る事は出来ないため、彼らを鏡像から理想化自己対象として捉え直しているのではないかと考えています。

 これは実のところ、既存のロールモデルに対するデュー・デリジェンスをしてもあまり良い答えが見つからないから、詳細に検討しきれてない「不定値」にこそ幻想的な期待しているに過ぎない部分があります。婚活における「高望み」は「代打逆転満塁ホームラン」であると書きましたが、「絶望的の国の幸福な私」も実のところ「高望み」であるので、そのための「代打逆転満塁ホームラン」を求めたいとという意識があります。

 しかし、このような言説をするほどに、かつて若年層バッシングに示された認識が当事者を含めて「当たり前」になってしまい、それらへの反論や検証が難しくなってしまい、また「若者」が上の世代と「異なる」ことを前提とすることで、「異議申立て」を難しくしてしまった事を指摘します。そして、「若者はロスジェネよりも恵まれている」という認識について、暗黙の前提としてしまっています。

 しかし具体的に何が恵まれているかについて考えると、「価値観」以外で示すことが難しいと本書は指摘します。実際にはソーシャルメディアで云々というインフラ整備がこれらの言説の主幹なので、「価値観だけ」というのは違うような気がしますが、その検証が充分ではなく、経済状況への宿命論を強化しながら個人の心性の問題にすり替えているという点については同意します。ここでも、会社や学校などのローカルな組織から一足とびに「インターネットで繋がる世界」に接続しようとしています。

セカイ系としての若年層の「働き方」言説

 ここまでで、「グローバル化」「人生から降りる」という言説を検討してきましたが、どちらも社会に対して充分な検討をせずに一足とびに「世界」に接続しようとしてしまう傾向にあります。これは「セカイ系」と呼ばれる作品群に酷似していると本書は指摘します。

 セカイ系的な思考を現実に行ってしまうと、実際に接続できていない「ここではないどこか」を妄想し続けることで、「いま」「ここ」を疎かにしてしまう傾向があります。これは「革命」を志向するのも同様です。実際には未だに多くの若年層が既存の社会の枠組みで働いているのにも関わらず、特殊な人々が取り上げられることで「『普通の人々』を含めた若年層は、ここではないどこかで救われるのだから、『いま』『ここ』では疎外されても良いのだ」という暴論を、それぞれの世代が受け入れるわけです。

 「グローバル化」も「化」とあるように現時点で実際にはそうでないのにも関わらず、そう変わっていくという宿命論の元で議論が展開されていましたが、「若年層の特殊化」においては既に特殊な人々をロールモデルとして、普通の枠組みの中で働いている人々が現時点で実際にはそうではないのにも関わらず、「特殊に変わっていく」という宿命論による議論です。そしてそれが達成できなかった時、現在のロスジェネが感じている「不良債権」がさらに積み上がっている事になるのでしょう。

「いま」「ここ」で自身が出来ることを積み上げる

 これらの言説に踊らされて、現実の社会や商圏から目をそらして、実現性の低い自己啓発をして、身体や精神を病んでしまっても仕方ないと本書は指摘します。若年層も国民であり、労働基準法によって守られるのは当然ですし、その身体は企業や上の世代のセラピーのために存在しているわけではありません。

 そもそもグローバルと言いながら「会議でどやされる」「長時間労働や満員電車」「給料を下げられる」という極めてローカルな恐怖政治が実質的なサヴァイヴ対象であったり、その言説についても日本人が日本人に向けて日本語で書いているという極めてローカルなものであるという構造は意識すべきであると思われます。

 またソーシャルメディアを活用して会社に所属しなくて大丈夫という言説も、それはそれでタレントのようなカリスマ性を前提としたものであり、自身がそれを求めるのはアイドルに憧れるのと変わらないという事を認識しておくべきです。あくまで「いま」「ここ」で自身が出来ることを積み上げることしかできません。

ニヒリズム再帰的強化

 ただし、「『変えられないなら逃げればいい』という選択肢を提示することは『社会や制度は変えられない』というニヒリズムを強化するものでしかない」という指摘については疑問です。それはそれで「一度決まった階層は変えられない」という宿命論を強化するものとして機能するからです。

 僕が『森山たつを『セカ就! 世界で就職するという選択肢』~「普通」の道筋を増やしていくために壁を超える - 太陽がまぶしかったから』を取り上げたのも、個人の選択肢を狭めることが過当競争化を招き「故に今は低賃金でも仕方がない」を担保していると考えるからです。この本自体も「グローバル化」と見えて実態的には「生きのびる」系の言説です。

 またグレーゾーンの企業に対して労働監督署を動かすことの個人的利益も、そこまで高くありませんし、個人は社会正義のために存在しているわけでもありません。普通の人々がマクロ経済を学んで政治参加や啓蒙を行うという処方箋もそれはそれでセカイ系のように思えます。

自分のアタマで考えよう

 ニヒリズムニヒリズムニヒリズム。僕自身は社会についてどれだけ語っても変えられないだろうという宿命論の中で、せいぜい投票をするぐらいの政治活動しか出来ず、静かに滅び行く日本を眺めていることしか実際的にはできません。僕以外の誰かの努力によって滅びなければお慰みです。『シュタインズ・ゲート』でいうところのアトラクタフィールドのようなもので、世界線を移動するというのは「高望み」だと感じているからです。その一方で僕自身の力で滅ぼすことも「高望み」です。『[asin:B00C17S8NQ:title]』じゃありませんし、社会への寄与はどう行動しようが極々僅かです。

 その一方で個別の人々についての寄与は出来るのではないかとも思われますが、その倫理的責任を負いたくはありません。既存の枠組みの狂信者として他者を説教することなんて出来ないですし、逆側への狂信者にもなれません。ノマド社畜の間(あわい)をふらふらしながら「現在はこう考えている」ということを提示することしかできず、それは自身へのセラピーや予め決められた選択肢を後押しするぐらいの効果しか望めないでしょう。

 「ぼくのかんがえたさいきょうのはたらきかた」は「ぼく」に最適化しているから「ぼくにとってのみさいきょう」なのであって、他人が真似するようなものでもありません。結局のところで統計データなどを読んで「自分のアタマで考えよう」という頭の悪い結論しかできないのですが、お前らの人生なんか知るか!って話です。Σ(゚Д゚;エーッ!。そんじゃーね*6

*1:こういうのに煽られてすぐに買ってしまう時点で良いカモですね。。。

*2:決断主義的なサヴァイブというニュアンスよりも、ローテンションな意味合い。

*3:巻末付録に安藤美冬批判もありました。

*4:@May_Roma

*5:外食・小売は言うまでもなく、例えばソフトハウスの仕事も国内の一部業界でないと通用しないアプリケーションを開発したり、海外製品の日本語化対応が多いのです。

*6:政治家や識者が「そうではいけない」という話ではあるのですが。それを読んだ一般人としては、どうしたら良いの?っていうのは難しい問題です。