太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「負ける」技術〜武器対等の原則、豊富な資源、死に方の自由

カイジ「勝つべくして勝つ! 」働き方の話

「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまう

 自分の性質を考えた時に「勝ち方」に拘って、結果として負けてしまうことも多かったように思えます。厨二病的なことを言うと「仕組み萌え」患者としては「裏ワザ」や「汚い手」について調べるのも大好きなので、出来ることもあるのですが、だからこそ使いたくないし、関わりたくないと過剰に思ってしまう所があります。

 空手の有段者は素手で応戦しても過剰防衛になってしまうという話は「武器対等の原則」によって成立していますが、同じようにそれを「武器」と認識しているのであれば「徒手空拳での対決に使うべきではない」という規範に自分は縛られています。なので「武器」だと認識できなければ躊躇なく使えるのでしょうし、そんな倫理がない人はある意味強いなって思うことがあります。運営にスパム報告しましたが*1

武器対等の原則という基準によって相当性が判断される。つまり、素手に対して素手で反撃するならば相当な防衛行為であるが、素手の攻撃に対して刃物で反撃するのは相当な範囲を逸脱した行為であり、過剰防衛と判断されることになる。また、素手同士であっても空手など格闘技の心得がある場合には武器が対等ではないとされる。


正当防衛 - Wikipedia正当防衛 - Wikipedia

「武器」を使わないという戦略

 この「武器」を使いたくないという戦略は、「武器」を使って勝った時の割引率と、負けた時のマイナスがかなり大きくなってしまうと自分の中で見積られるところから発生しています。ゲーム理論で考えると以下のような感じです。

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 「武器の使用」という軸は「内的要因」であるため、私の意志力でコントロール可能です。逆に勝つか負けるかは「外的要因」であり、「武器を使えば勝てる確率」は一定の範囲でしかコントロールできないため、「武器」を使った時の結果が均衡していないように思えてしまうのです。もちろん、その事について「全力を出してない」「すっぱい葡萄」と非難する事もできるのでしょう。負けてよい場所だからそんな事ができるというのも確かです。

 ここでいくら勝っても負けても現実世界の自分にはあんまり影響がありません。むしろ妬みや攻撃の材料になるので、勝ちすぎると良くないとすら思っているぐらいです((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

勝つとか負けるとか最初に言い出したのは〜♪

 しかし、この象限には根本的な間違いがあります。それは勝つとか負けるとかどうでもよくない?って話です。経済学では一般的に「希少な資源」の配分を問題としています。「希少な資源」であるからAに配分されたものは、Bには配分できないといった事が起こりえます。しかしアクセス数であれ、ブックマークであれ、スターであれ、フォロー数であれ、いいね!であれ、殆ど元手の掛からないものであり「希少な資源」だとは言い難いと思われます。だから押し貸し経済が成り立ちますし、ネオヒルズ族がいるのでしょう。

 もっとも人間には承認欲求があり、それが「希少な資源」であることは認めます。アフィリエイトの金額も「希少な資源」でしょう。しかしそれは結果として付いてくるものであって、最初からアフィリエイトの最大化を狙うならもっと適した方法や場所があるだろうし、承認欲求であればこそ「勝ち方」に拘わりたいのが自分です。自分の場合は「思考」「感想」「交流」「収入」なんかが基礎欲求になっていますが、そもそもは自身のために自分の「偏愛」を明らかにしたいと考えて文章を書いています。

自分だけが正しい処方箋を知っていて、これをやれば絶対に問題は解決するだなんて高慢に考えるよりも、各自が偏った視点をさらけ出し合うことによって、最終的に問題の解決に至ればいい。そのことに私の言論が採用されなくても、少なくともたたき台になってくれれば幸いだと考えている。


「当たり前」をひっぱたく

「当たり前」をひっぱたく

 各人の各々の重要評価指標を持てば良いと思いますし、意識が高い事を否定するわけじゃありませんが、なんか疲れちゃうので自分は良いやーって思いました。自分としては偏った視点。すなわち「偏愛」をさらけ出すことで、こういうやつもいるんだからという所が出せればよいと考えています。私が正解に至れなかったとしても、たたき台になれれば十分過ぎる名誉です。

死に方の自由

 そもそも勝つとか負けるとかじゃないんじゃないかなーと思っているので、私には負けによるマイナスがありません。しかし、この状態でも一方的に勝つ事でプラスに感じる人がいるのであれば、幻想上の対決が行われて無から勝手に価値が発生しています。これって結構重要な現象なのかなって思っています。id:inujin さんのエントリの回答にもなると思います。

人が何かを誰かに伝えようとする時には、相手にそれが受け入れられないかもしれないとい大きなリスクがある。

どうせ、表現者というのはそういう危険をあえておかそうとする酔狂な人間なのである。


(中略)


僕らはどうせプロセスの中で生き、プロセスの中で死んでいく。

ならば、少しでも気持ちの良い死に方をしたいし、それくらいの自由は誰にだって与えられていると信じている。


もっと、自由に死んでいきませんか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

 フィードバックを全く無視するということはありません。今日の占いカウントダウンで上位だったら嬉しいし、そうでなければ日本テレビの占いを見るし、それも悪ければ知ったことかと思ったり、別の占いサイトを調べてみたり。

私の思う『勝ち続ける意志力』は物理的な結果に応じて勝利条件の指標を入れ替えてしまうことで、勝った事にしてしまう事によって成立します。ダメな人だー(´Д⊂。その時に書き手としての満足度のみをストイックな指標とするというのも手なのですが、結果として使える材料が出来たならそっちも活用してしまった方が楽です。個々の実績を狙ってレイヤーを積み重ねていけば総体としてはそこそこの結果に錯覚できたりするものです。そして試行回数が増えるほど、総体での達成は容易になります。


ノンジャンルブログでありたいのだ〜「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうアマチュアブロガーの勝利条件 - 太陽がまぶしかったからノンジャンルブログでありたいのだ〜「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうアマチュアブロガーの勝利条件 - 太陽がまぶしかったから

 「希少な資源」の奪い合いをするよりも、「本当の満足」はそんなところにないと啓蒙し続けるよりも、このような「豊富な資源」から半永久的に満足が取り出せる人が増えるというのは重要な事だと思うのです。ゼロサムゲームでもNo Dealでもなくて、No Deal-Winゲーム化ですね。ウィンウィンと言うのはちょっとおこがましい。。

 そして、それが最大多数の最大幸福に繋がるのであれば、私は「武器」を使わないし、ある指標においては負け続けたり、何かを与え続ける人になろうかとも思います。それが私なりの「負ける」技術であり、「死に方の自由」なのかなーと思いました。

武器としての決断思考 (星海社新書)

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*1:私のブログがスパムbotにブクマされてたっていう事件があったのです。「身内ブクマ」すら良いこととは思えません。