太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「みんなにウケるのに個性的であってはならない」というけど「みんな」って誰でしょうか?

ウケる技術

みんなにウケるのに個性的であってはならない理由

 id:bit8 さんの『みんなにウケるのに個性的であってはならない理由 - y8bit』を読みました。私もときどき引き合いに出す『ラーメン・定食屋を経営するのは簡単だよw』の件であり、そのブログ版とも言える『ノンジャンルブログでありたいのだ〜「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうアマチュアブロガーの勝利条件 - 太陽がまぶしかったから』についての感想です。ありがとうございます。

「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘っていて、むしろ難しい
~中略~
「自分の書きたい事を書いて、自分の好きな文化圏で、自分の好きな人達に、自分の望んだ通りに受け取ってもらえて、お金ももらえる」こんな勝利条件を自身に課したら地獄しかありません。

地獄しかないと書いている通り、自分のやりたいようにやって、それでいて認められるのはプロに求められるものよりも難易度が高い。その理由を書いて行こうと思う。

 そして『DRAGON BALL カラー版 孫悟空修業編 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)』や『めだかボックス 1 (ジャンプコミックス)』などの漫画がバトルマンガになって人気を取り戻した例を挙げて「みんな」にウケるってのは一般人の感性に向けて書くということであり、プロでさえその枠内で勝負しているんだから、そんな事は出来ないよっていう話が展開されます。

プロはコンサルタントのいうことを聞く。ボクは思うのだけれども、この人達はコンサルタントの言うことなんてわかっているがやらない。だが自分だけだと「みんなにウケる」ものを書かずに「自分を優先してしまう」ので編集(コンサルタント)という自制するものが必要なのではないか、と。
その「みんなにウケる」というカセの中で自分のやりたいことをやる。ここで出来なくなったら、作者はレイプ目で書き、やる気なく作品も埋没していくのではないだろうか。
ここでいうコンサルタントの言う事を聞くというのは自分の個性を殺して大多数の感性に合わせて修正するってことだよね。


「みんな」って誰?

 ここで気になったのは「みんな」という言葉です。この言葉は便利なのですが、スコープが曖昧だったりもします。漫画の話であれば漫画人口だし、ブログの話であればブログ人口というもので絞られた上の話となります。「『みんな』とは『あなた』でしょう」という太宰メソッドですね。

 例に挙げている「ジャンプ漫画がバトル漫画になっていく」という問題は実のところ「みんな」が望んだことだからではありません。ジャンプ漫画のテコ入れはアンケート葉書での不振をきっかけに行なわれています。そして編集者のいう「統計」とは「毎週ジャンプを買ってアンケート葉書を書くよう読者」が指標となっています。これは既に「うちら」の世界です。

 バトル漫画になったことで息を吹き返した例は生存バイアスとして挙げることはできますが、そうでない作品もたくさんあります。そして全てがバトル漫画になってしまったら、食傷気味になって部数全体の売り上げが落ちてしまいます。実際のところ、現在のジャンプは「脱バトル」を指針にしています。これは編集者の中にある「読者受け」を狙ってたらコアな読者しか残らず読者全体が減っていたということです。

 現在の新鋭作品の方向性としてまず挙げられるのが、「脱バトル」だ。「ジャンプ」は長年、『ドラゴンボール』『北斗の拳』など、バトル系が引っ張ってきた。バトルの中で描かれる、友情・努力・勝利。これがジャンプの黄金パターンであり、「王道」と呼ばれてきた。しかし、王道バトルには、人気作となり連載が長期化するにつれ、「強さのインフレ」という弊害が起こる構造的欠陥がある。これは物語をより盛り上げるため、敵味方ともに青天井で強さが上昇する現象で、現在の看板作品にもその傾向は色濃い。


 また、『ONE PIECE』、不定期連載の『HUNTER×HUNTER』も含め、「ジャンプ」はバトル系の層が厚い。その中で、同じジャンルを描いても埋没してしまう。現在、新たなジャンプの看板と期待されている『暗殺教室』は、バトル要素はあるものの、それ一辺倒ではなく、むしろ学園コメディーに重きを置いている。さらに、『ハイキュー!!』はここ数年の「ジャンプ」で手薄だった地に足のついた熱血スポ根、『ニセコイ』はラブコメで、バトルに頼らない作品が強くプッシュされている。


みんなの定義

 「みんなにウケる」を考える時は、見込み顧客が誰なのかを考える必要があります。ジャンプ内の人気はジャンプを読んでいる人というバイアスが掛かるように、ブログであればそもそもブログを読んでいる人というバイアスが掛かります。

 ブログにはインターネットやスマートフォンを持っていなければ接続できませんし、時間的余裕が必要であり、TVや新聞などのマスメディア以外の情報も知りたいといった層になります。この時点で結構絞られてしまう「みんな」です。

残存顧客数

 私自身は、「残存顧客数」という概念をとても大切にしています。これは、私のブログを読んでくれる人というのは一定範囲にしかいないという前提にたったものです。例えば私がライフハックブログや、レシピまとめブログをやったとしましょう。その時はブクマが集まる事もあるかもしれませんが、長期的には難しいと思います。他で満たせばよいからです。

 「バトルマンガばかりになったら食傷気味」と書きましたが、「ある種類のものはある量までで充分」と思う人が一般的です。既に面白いバトルマンガが複数あって飽和していると、こちらでバトルマンガを始めても「残存顧客数」の増加はバトルマンガ全体のパイよりも大分減った状態からスタートします。

 また急激にバトルマンガになると、多くはなかったにはせよ既存ファンが離れてしまう可能性があります。ここでも「残存顧客数」の減少があります。そして一旦離れてしまった人を呼び戻すのは非常に困難だと思われます。

アマチュアブログの生存戦略

 ここで、ブログの話に戻りますとブログを読む側の効用は大きく分けて「新しい情報を知る」「笑いやセラピーを求める」「一般論とは異なる思考や出来事を知る」などといったことが挙げられると思います。そして、個人ブログにまで降りてくるということは、同じ効用を考えたサイトを既に5個ぐらいは読んでいるという前提で考えた方がよいと思っています。

 飲食店であれば、商圏が互いに離れているため、そもそもの競合が少ないのですが、ブログでは検索エンジンやRSSやTwitterなどを利用しているため、多数の競合とフラットに比較される状態にあります。最近は飲食店についてさえも『まずいラーメン屋はどこへ消えた?「椅子取りゲーム社会」で生き残る方法 (小学館101新書)』という本がある通り、食べログや通勤定期券によってフラットな状態で比較される状態になってしまったと言われています。

 この時に「新しい情報を知る」であれば新聞や大手ニュースサイトで大半は終わるため、残存顧客数に見込みがありません。「笑いやセラピー」であれば重複する可能性は少ないものの相応の文才が必要ですし、徐々に過激化して付いていけない人を切り捨てていく事になってしまいがちです。

 もちろん、そうならない人も沢山いますが、これが「みんなにウケる」というテンプレをやってるブログは劣化コピー感があって、他と重複情報が多くなってしまうので「今は忙しいし読まなくても良いかな」っていう頻度が上がっていってしまうのが個人的な感覚です。そしてブログ全体としてスルーされはじめると本当に書きたかったような文章も読まれなくなってしまいます。

利便性を求めたものやお役立ち情報でウケるのは、その情報を欲する人がいるのでボクに驚きはない。そこに個性は必要なく、わかりやすくするとかのノウハウでしか差別化はできない。
創作したお話よりも辞書やリファレンスの方が繰り返し読まれるのは当然だ。

 しかし、辞書やリファレンスはオーソライズされたものが少数あれば本来的には充分なのです。それらの集合からこぼれ落ちた部分は、半端な辞書の中に埋没させるよりも、それだけに特化しておいた方が便利です。よって「一般論とは異なる思考や出来事を知る」っていう所を狙うのが泡沫ブログのひとつの戦略だと思っています。ブルー・オーシャン戦略と言ってしまえば簡単ですが。

 どんだけ綺麗な文章やテンプレがあったとしても、既に知っている事や必要のない事を読むのは退屈ですし、網羅の顔して全然網羅じゃないってのも結構困ります。そしてプロや人気ブログの技法を頑張って使ってる素人ブログってやっぱりちょっとスベってるって思ってしまう事が多いのです。もちろん私も「ウチら」にいることは前提として。

個性的と破綻は違う

何かを創るってのは個性的な人が多いのではないだろうか。だからお披露目したくなる。だが、一般と同じ感性ではない。ウケない可能性がたかい。
だが、一般の感性をもちつつハッとするものを書いたりする人もいる。洞察力だったり、そういう「かならずプラスに向かうなにか」を持っているんだと思う。他人に邪魔にならず持ってると必ずプラスになるもの。「個性的なもの」はそれとは違う。

 はっきりしておきたいのは根本的な「誤字脱字、論理破綻、事実誤認」は「個性的」とは違うという事です。最初の飲食店のコンサルタントの人も、どちらかといえば前者の部分を重視しているように思えます。「一般の感性」の定義も難しいのですが、それらをしないって意味では確かにそうでしょう。これは「他人に邪魔になるもの」です。

 個性は一部のひとにはプラスになり、そうでない人にはマイナスになるものです。そして、マイナスになる人は残存顧客数としてカウントされない状態になっていくと考えられます。もちろん、あまりに個性的すぎれば、それは論理破綻などの部分に属してしまうのかもしれませんが、それはそれでブログではヲチャーに人気になったりしてしまいますよね。

「負ける」技術と+アルファブロガー

 私自身はなぜ勝ち方に拘るかについてゲーム理論を用いて説明しました。簡単に言うと承認欲求を報酬とするのであれば、「ウケる」ための技法を活用して成功や失敗をするよりも、使わないで成功や失敗をした方が報酬の期待値が高いという事です。

 そして別にブログで生活しているわけでもないし、はてなブログのPRO料金や資料代程度しか支出もないので、失敗のデメリットは殆どゼロです。少なくとも「考える」という報酬は得られましたし、『みんなにウケるのに個性的であってはならない理由 - y8bit』という感想も頂けました。そして id:inujin さんにも派生エントリである『ええか、一回しか言わへんから、よう聞きや。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。』を書いて下さいました。

 わたしはアルファブロガーではありませんが、「プラスアルファブロガー」ではありたいと思っています。そして+αをどうやって積み上げるかを戦略的に考えると「一部の人にウケるのに個性的でなければならない」と思うのです。もちろん、個性的でなさすぎる事も個性ですし、無理に「個性」を追えという話でもありません。

 それでも、自分のアタマで考えて吐き出せば大抵のところでは個性的です。そしては私は他人の不合理とも思える思考を織り込んで自分の思考を深めたいと思っているのです。どうしてそんなに思考したいのかだって? それは「太陽がまぶしかったから」

「Chikirinの日記」の育て方

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