太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「普通」という概念のスタグフレーションと「普通」ハラスメント

http://www.flickr.com/photos/36495803@N05/8453024068
photo by epSos.de

普通に生きることが難しい時代

普通に仕事して、
普通に結婚して、
普通に子供作って、
普通に生活できたらそれでいい。


でも無理。
全部上手くいかない。
自分のせい?世の中のせい?


普通に生きることが難しい時代普通に生きることが難しい時代

f:id:bulldra:20130925054615j:plain

 『さよなら絶望先生(1) (講談社コミックス)』の日塔奈美は「自分が普通と言われる事」に怒こります。しかし、最近は「普通の事ができない」と嘆く姿を良く見かけるようになりました。その一方で「それが普通」を武器にして理不尽な要求を突きつける事も増えているように思われます。

 『普通のダンナがなぜ見つからない?』という本では「普通の男は、0.8%しかいない?」とし、収入・容姿・身長・趣味・飲酒・喫煙・実家の状況などにボーダーを設けて絞っていったら「普通」の人なんて全然居ないよと説いています。なので「普通」ってのはむしろ褒め言葉にすらなってしまったぐらいにインフレーションを起こしているのではないかと思うのですが、あくまで「普通」なのでそれでやっと平常の幸福感です。

 この事象を考えるに、幸福に達する為に必要な「普通」のレートはインフレーションを起こしているのに、「普通」の供給はむしろ難しくなってデフレーションを起こしています。この状況はスタグフレーションと言われ、生活者にとっては最低の状態です。これは労働環境においても「責任範囲は際限無く増えるのが『普通』である一方、給料は据え置きで税金や社会保険料が上がる」といった形で現れています。

「普通」から外れることで感じる債権感

 先日書いた『自己愛のリスク分散と死体の山、または12人の妹がいれば1人死んでも悲しさは12分の1で済むのか問題 - 太陽がまぶしかったから』において、幻想の債権感の一因として、「『普通』との差分」もあると書きました。そのような形で心的状態がセッティングされていると「普通」が達成されても貸したと思い込んでいるコストが返ってくるだけなので、それでプラマイゼロって思ってしまい、それを幸福に変換することが難しいわけです。

 また「債権感」というのは別の側面があって、「普通」との差分によって発生している場合が多々あります。自身が本当に貸した(=自己投資した)かはさておいて、Aさんに出来た事が自分に出来ないのはオカシイという厄介な債権感です。そして別に貸してない金額を、貸したと思い込んで、それが返ってこないから不幸だと感じてしまうわけですね。


「普通」ハラスメント

 で、繊細チンピラからすると「普通」でない自分を意識した時に、こっちの事を考えろと言いたくなってしまうわけですが、「普通」で無いことを咎めて繊細チンピラとして覚醒させたがる力もあるのかなと思いました。「仕事や酒やタバコや車や女の事を考えないで人生たのしいの?」みたいなやつですね。

 それ以外にも「普通そうだろ」「普通そうは思わない」と独自倫理を提示するパターンです。私が結婚をしないで仕事辞めようってなると「普通に家庭を持ったらそんな事を言えない」って引き止めるのは二重に間違っています。家庭を持たないなら出来るって事ですし、もう30を超えてるのに「異常」だと説教される謂れもありません。仮に「異常」だと認めたところで、今から婚活でもしてまた絶望を深めるのか?って話です。

 「お前が『普通』と思うなら、『普通』なんだろう。お前の中ではな」と思いつつも、感じなくて良い劣等感を刺激するような事を言われて気分が良いものでもありません。正論ハラスメントとやモラルハラスメントとはまた違った「普通ハラスメント」とでも言うべきものです。

幸福論と終末医療

 時々つらぽよとか言ってますが、実のところは結構人生が愉しいです。そこそこは器用なので、独りで適当に暮らしていくには困らないですし、人間関係のゴタゴタや責任の重圧や社会化コストが好きじゃないので独りでひきこもってて本とネットが出来るなら、むしろご褒美なのです。恋人繋ぎをしてるカップルを見かけて繊細チンピラに変身したり、メールが返ってこなくなって鬱になったり、普通ハラスメントに嫌な気分になって酒でも飲まなきゃってやってらんねーってなる機会も減ります。『自宅旅行者によるトラベル・ポルノの始まり - 太陽がまぶしかったから』では9日間引きこもって「まだ全然足りない」が感想でした。

 まだ若いとか、自分の可能性を信じられる人は頑張れば良いのは前提です。家族を含めた生存コストや社会化コストが得られていないならそれもまた必要です。他人に迷惑を掛けるのも基本的にはダメです。でも、そろそろ「詰み」や「あがり」が見えている人に対してまで、それは異常だとか「要は、勇気がないんでしょ」とか言い続けたところでむしろ痛みが増すだけです。

 なので目標達成技法とはまた別の終末医療として麻酔を投与して死ぬまでの痛みを緩和するペインクリニックとしての技法を磨くのも一方では求められているのではないでしょうか。それはより残酷な「引導」なのかもしれませんが、最後まで痛い痛いと言いつづける事が幸福なのか。楽観的に見ても人生の20〜30%で救われれば、そうでない時の痛みはチャラになるのかと言われれば、また疑念があるのです。




「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)