太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「はてなブログ村オンライン」が「はてな村オンライン」と交わる時、はてなブログ村言及スタイルが誕生する

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photo by anantal

『はてな村オンライン』の遊び方

 『はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。だからサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん - 太陽がまぶしかったから』については、「そもそも、はてな村ってなによ?」みたいな反応が多くありましたが、「はてな村なんて小さな集まりなんでしょ?」という指摘は正しいけど、ちょっと無粋かなとも思いました。「お前平田だろ!」って言っちゃうみたいな。

 ただ、その暗黙的な空気に共感しろというのも難しい話です。なので、その辺の事や最近のはてなブログ村批判について掘り下げましょう。「はてな村オンライン」は漠然とあった「はてな村」という呼称や空気をゲーミフィケーションとして明文化した素晴らしい記事です。

(株)はてなが提供する一連のネットサービスをフィールドとして、虚栄心にみちたネットバトルやキャッキャウフフを愉しむネットゲームです。2012年現在、はてな村オンラインのプレイヤーとして村人認知されているプレイヤーの数は数百人程度と推定されます。このなかには、現在(株)はてなのサービスを直接利用してはいないけれども村貢献度(後述)の高い、村外プレイヤーを含みます。


『はてな村オンライン』の遊び方『はてな村オンライン』の遊び方

 実のところ私自身も2004年頃からはてなユーザーだったものの、全盛期にはネット全体から離れていて出戻ってきたら廃村危機という状況でしたので、正確なところはあまり知らないまま、これを括弧付きの真実だと思い込んでいるところがあります。

 高橋名人は指でスイカを割ったとか、アントニオ猪木がスクワットしてたら汗に足が浸かってたとかいう類の「真実(笑)」。本当にネット史を研究してたら許されない事ですが、本質的に自分の人生にあんまり関係ないからこそ大袈裟に語りたいみたいなところがあります。なのでこれから書くことも適当にでっち上げた偽史です。

はてなブログ村オンライン

 そもそも「はてなブログ」には、はてな村民が多く使っていた「はてなダイアリー」とは並行で存在しており、スムーズな移行をしないうちに別のユーザーが増えていったという経緯があります。このため、当初は増田とアメブロmixiが入り交った不思議なネット空間であり、そこに「は僑」が徐々に移住してきたという構図になります。『どうでもいいこと はてなブログ村 - ミグストラノート』のとおり、「はてな村」と「はてなブログ村」は違うのです。いきなり意味わからんですよね。

 「は僑」とは『シナトラ千代子氏によるはてな村談義 - Togetter』で指摘された「移住先でコミュニティを作っているかつてのはてな村民」の事です。はてな内のサービスに閉じていた頃は「はてな村」と言われることは少なくて、アルファブロガーと論戦になった際に相手側が蔑称として使ったり、Twitterなどで内輪ノリをしてるのを叩いたり、自嘲する時など「外部」から使われる事が多かったように思われます。それを自称しはじめるのが、まさに村民気質なわけですが。

はてなブログ村オンライン」が「はてな村オンライン」と交わる時

 前述の通り、「はてなブログ村」は当初「はてな」の中にありながら、ネイティブの「は僑」が少なく、村の臭いがあまりしない作りになっていました。観測範囲の偏りもあるのでしょうが、もっと個人の日記として使われているブログのが多かったように思います。無断リンク論争のような感じで「はてなブックマークは晒し行為」という話題になった事すらありました*1

 店長が「はてなブログ村」に新しいコンビニを建てた時には中華街の関帝聖君のように歴史上の神だったと後から広く認知されていったように思います。それで徐々にはてな村民がはてなブログ村を観測したり、移住してきたり、新たな住人が増えたりするなかでちょっとした軋轢も産まれるになりました。

 iPhone版のはてなブログやB!KUMAガールズ等のアプリは「リアル知り合いが居ないmixi」に近い感覚になるようなUIです。「身内ばかり読む」「身内ブクマ」「レシピ無言ブクマ」として批判されるようなコトをしやすいようにアプリのUI自体が設計されている部分があり、またアメブロの延長で「ペタ友」「ペタ返し」感覚を持っているユーザーも多いため、そこを互助組織のような陰謀論で批判すると見誤るようにも考えています。言及通知もはてなブログ内でしか出来ませんし、はてなブログ内で閉じていくのはむしろ運営方針の側なのだから、ユーザーの使い方を外から批判するのはお門違いなようにも思います。新しく始めた人には、最初からそれ目当ての人もいるのかもしれませんが。

はてなブログ村言及スタイルの誕生

 私自身はTwitterなどを介して「はてな村民」と呼ばれていた人々と仲良くなるなかで、「かつてのはてな村コミュニティにいなかった自分」を悔やむようになりました。それで自分でもブログを再開しようとした時に「はてなブログ村」の一角に見よう見まねで「はてな村」っぽい要素を出してみようという気分はありました。要するに「はてなブログ村オンライン」に新しい「はてな人街」を作ってみようということです。敢えてカリフォルニアロールとかを作ってしまうような過剰さを意識して。

 それは『http://www.ikedakana.comentry/2013/08/05/064134』辺りから顕著になってきます。そして、このエントリをきっかけのひとつにして『面白いことが、起きている。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。』のような経緯があり、もちろんそれだけが理由ではないのでしょうが『http://emonosuke.hatenablog.com/entry/2013/10/19/122122』で言われるような一部界隈での引用言及スタイルが増えたように思います。

人間にはそれぞれに性格とか状況とか事情とかがあって、

僕だってお互いを傷つけあうだけのバトルなんかしたくない。

痛いの嫌いだもん。

(別にバトルを否定しているわけではないにゃ。

正々堂々の「試合」なら喜んでお受けする。)


(中略)


id:bulldraさんが「自分のブログはコメント欄をあえて閉じてます」というエントリを書いた


→それにid:zuiji_zuishoさんが反応して「俺もコメント欄でプチ炎上したから閉じたぜ」というエントリを書いた


→それを僕が読んで「ブログの感想はブログで書いてほしいかも」ってブコメ書いた


→ちょうどその時にid:kamuridoさんが「自分のブログの感想を読んでみたい」という勇気あるエントリを書いた


→おう、これは何かの縁だな、よし、はてなブロググループやってみよう
(以前からそういうことをやってみたらどうだとid:shiraber氏からはそそのかされていた)


面白いことが、起きている。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。面白いことが、起きている。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

 これには先人たちのネットバトルの良かった部分を参考にしつつも、悪い面も多すぎるので、あくまで表明者同士でスポーツ感覚の「試合」をしていこうという意図がありました。「カードゲーム」と表現しているのも、その流れです。なので「はてなブックマークは晒し」だと感じる人すらいるなかで、それを表明していない人にまで無遠慮に言及すべきではないというコンセンサスもあります。はてなブログ村内の一部で排他的に慣れ合っているという指摘は半分正しいのですが、そのような経緯があるのです。

 ちなみに『感想をブログで書いてもらえると喜びます - はてなブログ グループ』の意味合いについては、もっと緩い意味で捉える事になったため、私としては基本的に自身に言及してきた人や既に引用言及スタイルを多く使っている人に限って引用言及スタイルで受けるという自分ルールを追加してます。なので言及する人が偏るのは当然です。PKを禁止して、コロシアムシステムが実装された感じです。増田はトラックバックで引用言及される前提の作りなので例外ですが。

はてなブログ村。それはどこかにある赤提灯

 SNSに帰れと書かれた事もあるのですが、私のSNSは仕事関係の人ばかりで埋まっているので内省的な事なんて書けません。同じような時間に同じ場所にチェックインしたら、私はその飲み会に呼ばれてないとか、付き合ってるのがバレるとかがあって、どこに行ったかすら書けないなんて話も聞きました。SNSは何かを吐き出したり、深い会話をする場所として機能していないのです。

 そういう時にサードプレイスとして括弧付きの「身内」に対してウケ狙いや議論が出来るような場所があるのはなかなか面白いと思っています。もっとも「はてなブログ村オンライン」の「はてな人街プレイ」をしていることを外から眺めたら奇異に見えてしまうというのも分かります。だからといって、自身を基準にした内面エスパーを前提条件にして皮肉まで先走るのもどうかと思いますよ。

大袈裟に語ってるうちに実効力を持ってしまう

 この「はてな村オンライン」や「はてなブログ村オンライン」を大袈裟に語ってしまうというのは、なにも私に限った話ではなく、そもそもの話がそういうネタを前提にしたハイコンテクストな話なのです。

コミュニティがある程度長く続くと、構成員の立ち位置や役割が確立されてくる。
はてな村」の場合、otsuneさんはそのネットウォッチ力をネタ化され、モヒカン・チームotsune・究極のネットウォッチャーotsune神といったキャラクターが確立されていた。
この神だが、敵対すると忘れた頃にタタリをなすを信じられている。
数カ月後、あるいは数年後に、過去発言との論理矛盾を付かれてグサリとやられるのだ。
村民はこれを恐れて、otsuneさんに対する批判的な言動を避けてしまう。


こういう記事にブクマがつくことは期待しない - 情報の海の漂流者こういう記事にブクマがつくことは期待しない - 情報の海の漂流者

 それが現実に存在しない村であろうが、皆の口に登って思考に影響を与えてしまえば確かにそこに「はてな村は実在する」のです。まぁ、要するに言えば、はてなでわっしょい!

関連記事(追記)

 示し合わせてもいないのに、ほとんど同じ時間に「はてな村は存在する」というエントリをアップするという仕組まれた偶然。・・・・これが共同幻想の力。長らく不在だった村長もTwitterを再開してるし、全ては「はてな村」のシナリオ通りだったということか。

誰かが「はてな村は存在する」と思うならそれはウソでも虚構でもない - あざなえるなわのごとし誰かが「はてな村は存在する」と思うならそれはウソでも虚構でもない - あざなえるなわのごとし

*1:正確にはちょっと後の出来事ですが