太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「サードブロガー」が公式トピックになったけど次世代アルファへの成り上がり論みたいに誤解されている件について

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photo by noricum

サードブロガーの概念化

 id:inujin さんが『サードブロガーに、なりませんか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。』で提唱し、極一部で盛り上がっていたサードブロガーについて『アルファでもベータでもない。「第三のブロガー」が台頭する気運をはてなブログのトピックから感じてください! - 週刊はてなブログ』や『サードブロガーとは - はてなキーワード』で取り上げられました。はてな村の歴史に残るようです。

日本のブログも10年という年月を経て、メディア的に影響力の大きな有名ブロガーもある程度は固定化してしまったような印象もあります。しかし、Twitterが日本中に浸透して誰でも手軽に自分の意見を表明できる世の中になった今こそ、自分のことをしっかりとたっぷりと書き綴ることのできるブログの存在が重要になっているのではないでしょうか。そういったブログ・ルネッサンスの気運を感じてください。ブログの未来がここにあります。


アルファでもベータでもない。「第三のブロガー」が台頭する気運をはてなブログのトピックから感じてください! - 週刊はてなブログアルファでもベータでもない。「第三のブロガー」が台頭する気運をはてなブログのトピックから感じてください! - 週刊はてなブログ

 私はといえば村祭りにすり替えた話を書いてしまい、それがトピックのトップに置かれるのは申し訳ない感があります。『はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。だからサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん - 太陽がまぶしかったから』はあくまでフラット化とそれに伴う島宇宙化を前提にしたうえで、地域の雀荘やスナックのように個別に盛り上がれば良いんじゃないかって話でした。サードでもγでも+αでも勝手に同時開催しろってのはそういうことです。

 ただこの文章は各所に自身の意図とは異なった意味で受け取られているようで、「アルファブロガーになれなかったルサンチマン」だとか、「次世代アルファブロガーに成り上がるための手段」だとか評価されてしまう事もあるようです。そもそもそんな事に大きな価値を感じていないんだけどな・・・というパラダイムがどうにも理解されないというのは、働き方論などにも感じている事です。「パラダイム」そのものは社会通念という意味なのですが、実際には環世界によって個々人でズレていくものです。それなのに「でも本心では・・・」と自身の枠組みに押し込めて想像し、それを前提にしながら「助言」「皮肉」にまで先走る暴力性は気分のよいことではありません。。

 ハンロンの剃刀では無能で説明できることに悪意を見出すなと言いますが、悪意がないからこそ何らかの権力とセットになっている場合は反論しにくいし、諭しても理解されないって事態に直面します。バンブルビー通信 さん( id:bbb_network:detial ) が『善意という名の刃物 悪意のない言葉に傷つけられた時ほど辛いことはない - バンブルビー通信』を書いていますが、善意の刃物を持つひとって「自分がされたら快/不快」という尺度でしか考えられないんだろうなって事が分かってしまうからこそ、二重の苦しみを感じるのです。

本人たちはまるで悪意がないのに、その刃物によって傷ついている僕たちを見て「大丈夫? 怪我してるよ?」というように心配をしてきます。この傷はあなたに切られたんですが。そう切り返したとしても、悪意が無いので全く分からないんですよね。


傷つけられた不快感のやり場に困り、結局こっちが余計に気遣ってしまうということが往々にしてありました。なので、僕にとっては悪意のある言葉よりも悪意のない言葉に傷つけられた時の方が辛いものがあります。


善意という名の刃物 悪意のない言葉に傷つけられた時ほど辛いことはない - バンブルビー通信善意という名の刃物 悪意のない言葉に傷つけられた時ほど辛いことはない - バンブルビー通信

 なんて事を書きつつも誤読の自由はありますし、他者にまで同じパラダイムになって欲しいなんて意図はないので、それはそれで良いのです。ただ自分の考え方が甘かったり、文章のおかしい部分を放置しておくのもアレなので掘り下げましょう。

 結論から言えば、『はてなブログ村オンライン』というソーシャルゲームについて、実生活にあんまり影響しないからこそ利害関係抜きに大袈裟に語ったり、勝ったり負けたりができるのが楽しいのであって、だけど「遊び」だから無駄って断ずるのはそれはそれで極論だよねっていう図式です。

ブログへの目的意識が高い!?

 id:possesion_cdp さんの『ログイン - はてな』については、すでに「ちょっと勘違いしていたみたいなので訂正しておきます。」という追記を頂いているのに再度取り上げさせて頂くのは気が引けるのですが、FAQとして使わせてください。

でも、なんか羨ましいと思った。
一連の記事を書いてる人は若くて希望あっていいなぁとか思った。
「人生を半分降りる」とか読んで納得しちゃってる私からするとかなり遠い感性に思う。


この人たちは、ブログ書くことに目的意識を持っている。真剣だ。羨ましい。
自分はあまりブログに目的意識がない。
自分でどうしても書きたいというのもあんまりない。
ブログじゃなくてもいいけど、何かについて真剣になれるものがある人は羨ましい


自分は何のためにブログ書いてるんだっけ - それはそれとしてとりあえず自分は何のためにブログ書いてるんだっけ - それはそれとしてとりあえず

 これは少なくとも私に関しては逆です。本文中でも本質的な目的意識がないからこそ、「ちょっとした+αぐらいはあるよって考えないと張り合いないよね」って話をしているときに、「落伍者は霞でも食って生きろ!」って言われれても困りますし、そんな高尚なものじゃないと思うわけです。なので今更はじめるわけだし「あわよくばパワー」でちょっとだけ楽しかったり、交流に繋がったり、感想で考えを深めたり、お小遣いが増えるようになったら良いけど、できなくてもしょうがないという「+αブロガー」を目指すと書きました。

 何かを続ける時にはいくつかの要素が組み合わさっています。内発的動機づけを中心に据えた方が強いのは前提ですが、故に外発的な報酬の積み増しなんて期待すんな、そんなんで消えるモチベーションなら最初から辞めてまえ!ってのは特殊なマチズモを前提とした議論です。心からやりたい事しか趣味や仕事にしちゃいけないわけでもないでしょうし、ちょっとした報酬をもらうぐらいなら遮断するかどうかは個人の姿勢の問題で、どっちが良いという話でもないと思います。

自分の場合、ただ「気になることがあったら引用して言及してすっきりしたい」というのがある。


自発的に何か言いたいことはあんまりない。
何か他の人の記事とか本とか読んだときに、モヤモヤしたり嫌悪感を感じたり、普段ぼんやり考えてたことが刺激されて一時的に思考がクリアになったような気がしてから、その時の感覚を書き留めておきたいなーと思って書いてる


自分は何のためにブログ書いてるんだっけ - それはそれとしてとりあえず自分は何のためにブログ書いてるんだっけ - それはそれとしてとりあえず

 大体同じです。自分は『はてな匿名ダイアリー』や『感想をブログで書いてもらえると喜びます - はてなブログ グループ』のエントリを読むと持論が刺激されて応答を書きたくなるという性質が強いです。これが利害関係のある人間関係であれば「イヤだけど取り敢えずは目をつぶる」みたいな事になってモヤモヤを抱え込みがちですが、そういう事をあまり考えなくても良いのは気楽です。しかし、そもそも「何が第一目標か?」なんて、その時の気分で入れ替わるものですし、自己言及した物が真である保証はありません。

 可能世界においては、結果に応じて後付で「最初からそれを求めていた自分のみが生き残る」という現象を起こす事ができます。つまり、「Aという結果を期待している私」と「Bという結果を期待している私」が同時並行で存在し、仮にAという結果が確定した瞬間に「Bを期待していた私」は死ぬのです。


(中略)


 私の思う『勝ち続ける意志力』は物理的な結果に応じて勝利条件の指標を入れ替えてしまうことで、勝った事にしてしまう事によって成立します。ダメな人だー(´Д⊂。その時に書き手としての満足度のみをストイックな指標とするというのも手なのですが、結果として使える材料が出来たならそっちも活用してしまった方が楽です。個々の実績を狙ってレイヤーを積み重ねていけば総体としてはそこそこの結果に錯覚できたりするものです。そして試行回数が増えるほど、総体での達成は容易になります。


ノンジャンルブログでありたいのだ〜「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうアマチュアブロガーの勝利条件 - 太陽がまぶしかったからノンジャンルブログでありたいのだ〜「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうアマチュアブロガーの勝利条件 - 太陽がまぶしかったから

他者からの呼称されることが重要性

 そして、「+α」の中に「他者から承認」も含まれる人が多いのであれば、サードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでもやって、色々な観点から誰かにちょっとだけ褒められるような機会を作ったら?って話に繋がります。それは別にΩブロガーだろうが、Θブロガーだろうが、どうでもよいのです。そこに権威なんて存在しないおもちゃのメダルです。でも、おもちゃのメダルだから嬉しくないかといえば、また違うのだと思います。2009年に『Twitter十傑 - さまざまなめりっと - はてなグループ::ついったー部』というのがあって、たまたま自分も入っていたのですが、すごく嬉しかったです。

 最近では『青二才のあの案 tm2501 vs bulldra』で「はてな界のノマドー」という二つ名を得たので今度作るブロガー名刺には入れたいと思ってます。意味はよく分からないけど。ここで重要なのはあくまで「他者から」呼称されることです。自分で名乗るのは痛々しいですし、内発的動機づけだけでは十分に駆動できないからこそ、公開で文章を書いている人もいるのだと思います。そんなのは必要ないって人も多くいるのでしょうし、そこは棲み分けることになるのでしょう。

新たな文脈を用意できる人こそがブロガー冥利に尽きる

 個別化した◯◯ブロガーアワードをするなら「自分が好きなブロガー」ってのもアリなのですが、もっと新しい文脈を用意できる人こそがブロガー冥利に尽きるのではないかと考えている部分があります。「そんなものには価値がない」という話をするのは簡単です。でも、「それには価値がない」という話をするほどに「価値がある」らしい道筋の絶対量が少なくなって、皆がそれを目指せば相対的に過酷な椅子取りゲームになっていきますし、読む側で食傷気味です。

①順位を気にするなって言っても気にするからこそ、
②見た目上の順位が上がる文脈を用意しようぜって話。
③そして文脈を作れる人にこそ賞をあげたい

ということみたいです。なるほど。わかるけど全く共感できない。
端的に言って自分に取ってはどうでもいい。
この記事で取り上げられている他の記事に全く興味がわかないくらいどうでもいい。


自分は何のためにブログ書いてるんだっけ - それはそれとしてとりあえず自分は何のためにブログ書いてるんだっけ - それはそれとしてとりあえず

 「端的に言って自分に取ってはどうでもいい。」という感想はすごく重要です。どうでもいい人が多いからこそ用意できる椅子もあるのです。その椅子に座れても座れなくても良いけど、座れたらちょっと嬉しい人もいるぐらいの褒賞は自身の実存や利害関係を無視したゲームとして遊びやすいわけですね。アルファブロガーなんて称号は殆どの人にとっては挫折しか提供できないクソゲーです。麻雀であれ、ゴルフコンペであれ、ポーカー大会であれ、ゲーセン内のトーナメントであれ。自分の全人生を賭けて闘うほどのものじゃないけど、だからといって参加したからには手を抜くのも違うし、勝てたら嬉しいという距離感があります。そもそも大抵の趣味ってそういうものですし、『はてな村オンライン』で定期的な大会イベントを開けばよいんじゃないのって程度です。

 「長文アワード」とか「連続更新アワード」とか、劣化アルファとは全く異なる文脈を用意しないと意味がありません。ただ具体的におもしろいものを挙げろって言われると難しいので、そこを思いついて共感させられる人がブロガー冥利尽きるわけです。「勝負」っていうのもおかしくて、書き手同士の交流を促進するためにXBOXでいう「実績の解除」をちょっと共有してみようみたいな感覚です。それは「書き手同士のレイヤー」で認識し合えばよいことで読むの専門の人は最初から不在です。

人生に5%ぐらい関係することだからこそ大袈裟に語りたい反面、0になってもあんまり気にしない

 ブログの人生への寄与率は5%以下と何度か書いてますが、趣味としてやるオンライン/ソーシャルゲーム、ダーツ、フットサルなんかも大体その前後に収まるでしょう。もちろん廃人はいますし、そこまで趣味にのめり込めない人もいるのだとは思いますが。5%ぐらいで考えていると、その瞬間では真剣になってみることもあれば、今日はやる気がでないってのが同居します。基本的に仕事が忙しいですし、別のこともやらないといけないのです。私自身は夜にMacを閉じてしまうので、出勤前の60分とか90分とかの枠を決めて書いているわけですが、平均執筆時間を75分としたら24時間のうちの5.2%ですね。

 どこまでをネタ作りとして計上するのかみたいな話はでてきますし、活動時間や可処分時間内での割合を考えたら、もっと多くなるのでしょうが、毎日更新をしてるのはごく最近の話ですし、ずっと続くとも限りません。別にブログが更新できなくなったら、ぷよクエをやるのでしょうし、それこそリアルなスナックを開拓したりするのでしょう。

 5%をお金で考えたら年収が300万円なら15万円、500万円なら25万円です。それに相当する賞金が貰える大会があるなら一定の範囲では本気になってしまう一方で、それが貰えなくても仕方がないという割り切りもしやすい程度です。これが全財産を賭けたカイジのような世界観だったら全然話が変わってくるでしょうし、それはそれで異なる世界があるのでしょう。アルファブロガーというかプロブロガーとして生活するってのはそれに近いものを感じているので自分の選択肢にはありません。

はてなブログ村。それはどこかにある赤提灯


 ブログ論が好きな事について、批判エントリを書かれることもありますが、実人生への寄与率を5%以下に設定している場合において、「だから失敗しても良い」「だからどうでもよい」「だから大袈裟に語ってみよう」は両立すると思うのです。それ自体が楽しいなら、読者なんて関係ありません。


 サードブロガー自体は「第三のブロガー」なのですが、どちらかといえば「サードプレイス」の方を連想しました。家と仕事とブログというのが、行きつけのバーやスナックがない自分みたいな人間にとっては必要なのだろうと思います。行きつけのバーでの出来事もやっぱり人生の5%ぐらいしかないのでしょうが、だからこそ大袈裟に語りたくなるのも似ています。


はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。だからサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん - 太陽がまぶしかったからはてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。だからサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん - 太陽がまぶしかったから

 そういう時にサードプレイスに時々集まる括弧付きの「身内」に対してウケ狙いやスポーツ感覚の議論が出来るような場所があるのはなかなか面白いと思っています。孤独死がどうとか言っているなかで、幻のはてな村にある雀荘やスナックで勝ったり負けたりできる麻雀大会やカラオケ大会に興じたいのです。そこではプロ雀士になる道も、歌手として「のしあがる」「なりあがる」道がほぼ閉ざされていることぐらい理解してます。でも、だからこその楽しみを見いだして遊んでいるというのに「そんなんじゃ意味がない」「本心ではのし上がりたいんだろ?」って言われると困惑してしまいます。ガチ勢とエンジョイ勢の違いってやつなのでしょうが、ここの断絶はあるなぁと思いました。

 ガチ勢のように常に本気にはなれないから一切の勝ち負けや報酬を放棄しろってのはまた違うし、だからといってそれでプロになれるとは思ってないし、そもそもなりたくないっていう意識の低い立ち位置があるんですよってところを表明しておきますね。この辺りは「ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方」などに書かれている「非バトルタイプ」って感覚が近いかなーって思います。このパラダイムの違いについてはなかなか理解されないのでしょうが、少しづつわかりやすく磨いていくしかないのかなって思っています。

成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集 (角川文庫)

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