太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

人には殆んど無限の可能性があるが、それほど無限ではないのでゲームの特性を見極めたい

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photo by Beppie Van Smirren

人には殆んど無限の可能性があるが、それほど無限ではない

 「人には殆ど無限の可能性があるが、それほど無限ではない」と内田樹さんが『疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)』で書いていますが、この警句は昨今の「努力と才能論」からも思い出されてきます。

 三十路も超えてくれば先の事は朧気ながらも見えてきますし、この瞬間瞬間にもそこに確率収束していく感覚もあります。なにかをするには時間と能力というリソースの絶対量が必要となります。お金はこれをブーストするために利用できますが、効果に応じて指数的に高価になっていくため結果としてそこまで大きな違いがでてきません。人間には寿命がある以上、できる事は徐々に減っていくのです。

 ただし、その性質には違いがあります。例えば、サイコロの6面を10回出せば100万円というゲームがあったとしましょう。麻雀漫画などにある通り、サイコロは力加減の練習をすることで指定の目を出す可能性を25〜30%ぐらいまでには引き上げられるそうです。無意識に振ると16.6%ですので1.5倍から1.8倍の効果というところでしょう。サイコロ自体への細工やイカサマを交えればもっと高められますが、毎回やるとバレるので虚実入り混じらせるようですね。伝聞の域をでませんが。

試行回数こそが重要な範囲、能力が重要になってくる範囲、体力が重要になってくる範囲

 しかし、能力は能力で重要ですが一定の範囲までは「何回まで振れるか?」こそが非常に重要な要素となってきます。10回中10回なら0.00000158%であり、仮に3割まで引き上げても0.00059%でほぼ無理です。そもそも9回しか振れない場合は100%無理なのですが、そのようなゲームも多々あるように思われます。

 11回、12回となるうちに確率があがっていき、30回できるならまぁ出来そうな感じになっていくでしょう。ここまでくるとサイコロの出目をある程度コントロールできる能力の寄与が大きくなってきます。逆に1000回振れればサイコロ細工などで期待値が低く操作されていたところで、ほぼ100%できますが今度は制限時間や体力や心が折れるかの問題になってきます。

これからやるゲームの性質を見極める

 この例えは飛び込み営業であれ、商品開発であれ、婚活であれ、ブログの記事であれ起こってくることです。そして16.6%というのは超高い期待値であり、もっともっと小さいうえに、事前に明らかになっていない期待値をなんとかしようとするのが現実です。

 さらに言えば試行回数さえ増やせばよいのだからと適当に数をこなせば、期待値が0%に振れてしまうし、一旦立った悪評(好評)や自己評価によって独立事象じゃすまなくなっていきますし、回数を増やすごとにお金が掛かるものもあります。先のサイコロの話だって多面性があるのに、それよりも随分と複雑な話なのです。

 努力より才能が、才能より努力がと言うのは自由ですが、そもそも自分がこれからやるゲームはどういう性質なのかという事を見極めてから攻略法を考えないと徒労になってしまうように思われます。能力を上げるよりも試行回数を増やすための交渉やリソースが必要なゲームもあれば、こころが折れない事(=ハイテンションな自己啓発)が重要なゲームもあり、それらの複合です。

負ける技術と強くてニューゲーム

 そして、このゲームは1回しか開催されないのか、負けたペナルティはどのぐらいあるのかという点も重要です。9回しかサイコロを振れないのに10回出せって言ってるようなゲームであっても、負けるペナルティが少ない上に、そこで得た経験が次に活かせるものであればむしろ積極的にすべきなのです。どうせ負けると割り切れると別の報酬を増やすようなメタゲームとして動きやすいからです。

 次のゲームでは10回になっているかもしれませんし、既に前回のゲームで出した6をそのまま使ってよい事のが多いのです。要するに「強くてニューゲーム」ですね。

 『「負ける」技術〜武器対等の原則、豊富な資源、死に方の自由 - 太陽がまぶしかったから』については、いくつかの補足があって、「負ける」技術はプライドの問題ではなく、そのプライドでさえも「次に繋がるか」を重視するためのものです。実際の私はといえば負け続けている意識の方が強いのですが、すぐにやり直して二回目や三回目にうまくいく事もありました。

 なので良い実績だけを積み上げて見せれば、それなりだと錯覚できなくもない程度ではあるのですが、「強くてニューゲーム」をしている文脈が多々あるのだから当然です。平均値でみれば中の下でも、単純な積み上げをして、上澄みだけを見せるのは意外なほど可能なのです。

「次」を用意できる能力

 ただし、「強くてニューゲーム」は「次」があるから行えた事であって、「次」のための時間や能力がなくなってしまえばやっぱり無理なのです。「努力し続けるのも才能」って話は「次」を作れるかの違いでもあるのだと思います。そしてそれは加齢によってどうしても限定化されていってしまいますし、こっちをやれば、あっちはできないというコンフリクトも起こります。

 人が死ぬ時というのは完全に確率収束が終わった時であり、我々は今この瞬間も死に向かっている事を意識して、どのゲームの「次」をしたいのかを考えて生きて必要があるのでしょう。そして「それほど無限ではない」は「ゼロでもない」ので宿命論を受け入れない自由もあるのです。

ウォール街のランダム・ウォーカー <原著第10版>―株式投資の不滅の真理

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