太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

iPhoneからTwitterのクライアントを削除した

photo by Rosaura Ochoa

Twitterをついつい眺めてしまう

 少し前までは忙しかったので、日中にTwitterを覗く事もなかったのだけど、仕事が緩くなった事もあり、ついつい覗いてしまう機会が増えた。エゴサーチをすれば僕のブログのコメントが発見できたりするし、日中は日中で楽しそう空間が広がっている。それは肯定すべき事なのだけど、自分にとっては毒かもしれないと思ってTwitterのクライアントを削除した。

 ここ数日で「寂しがり屋の一人好き」を主張するエントリが話題になっていたけど、そういうところがある。「繋がりの可能性」が少しは欲しいけど基本的には孤独でありたい。ずっとはそこに居る事が出来ないという酸っぱい葡萄でもある。

Twitterは夜にだけ開店するスナック

 僕にとってのTwitterは、深夜から早朝にかけてだけ開店するスナックであるべきなのだろうと思う。そこに長時間いたからといって別にどうということでもないんだろうけれど。一般的に分人は「切り替える」ものなのだろうけど、私には「捨てる」事しかできない。今朝にも書いた「切断処理」の話だ。それを愛していた自分を「患部」として捨てさる事でトリアージを行う。死体はどこかに積まれていく。

 それは自身の耳を切り取ったゴッホのようなものだ。彼は贖罪のために切ったわけだけど、私は自身の環世界を調律するために切り落とす。そして切り落とさなかった自分の死体を捨てる。あり得た自分の死体はこれまで通り、幽霊になって戻ってくるのだろう。それは私を苦しめに来てるものだと思っていたけれど、可能性の残滓となった彼は案外いいヤツだったのかもしれない。時々は憑依させるのも悪くない。永久に聴こえなくしたいんじゃない。昼間はちょっと音量を下げたいのだ。

なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?

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