太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

長期記憶を捏造しないために『ほぼ日手帳』を使いたいけど三ヶ月坊主が怖くて買うた辞めた音頭をした話

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photo by takuhitofujita

システム手帳と保存性

 1日1ページの手帳にライフログを書いていきたいという思いがあるのですが、どうにも上手くいきません。システム手帳って思考のテンポラリメモリとして使っている所が多いので基本的には書きなぐって破る事が多いです。

 現在はエトランジェ・ディ・コスタリカの『バイブルレフィルセクション』をヘビーローテーションさせており、残したい情報があればコンピュータに打ち込んでしまうか、後ろの方のページに転記する形で運用していました。

 当初はEvernoteに取り込んでとかも考えていたのですが、手間の割に見返さないのが実際のところでした。バインダーにとじていた頃の分はパラパラと見返せるのですが、ほとんど散逸してしまったというのが実際です。

綴じノートへの回帰

 手書きで書いたものが散逸してしまっている事については既に危機感を抱いています。それでブログのネタ帳については『ライフ ノーブルノート 5mm方眼 A5』を使うようになりました。

 私自身の元の考えからすると「転記」が前提なので、リングノートやシステム手帳にして、書いたらすぐに破って別のページに転記して「まとめ」を作っていくべきという考えもあったのですが、今回は「母艦ノート」なので過程をちゃんと残しておいた方が良いのかもと思っています。


 仮にバラバラにしてしまってもスキャンしておけば「過程」も取り出せるとは書いてきたのですが、スキャンする手間とEvernoteなどから読む手間をがあって、うまく運用されていない状態になっていました。手帳はあくまで「キャッシュメモリ」であり、PCに入力し終わったリフィルは捨ててしまう事が多いです。


 しかし母艦ノートまで同じ運用をするのは勿体無いです。でもやっぱりスキャンはダルいので、単体ノートとして書いて読み返すという当たり前の運用にしようと思いました。リングノートはどうしても破りたくなってしまいますし、書ける量が減ってしまいます。


寝る前のMacが禁止されたのでライフのノーブルノートでブログの下書きを書くようになった話 - 太陽がまぶしかったから寝る前のMacが禁止されたのでライフのノーブルノートでブログの下書きを書くようになった話 - 太陽がまぶしかったから

買うた・やめた音頭

 なのでスケジュールや作業ログついても、ほぼ日手帳などを使って書くべきかなって思ってLOFTまでは行きました。でもレジに持っていこうとしては返すという「買うた・やめた音頭」を踊って帰ってきてしまいました。

 買うた・やめた音頭とは本来プレミア模型を買う時の逡巡を表現した踊りなのですが、セツヤクエスト中の身にとっては、ほぼ日手帳も結構高価な買い物です。実際にはお金の問題というよりも、また「放置状態にしてしまった」という後悔を回避するために、最初からしないという良くないパターンです。

ほぼ日手帳への憧れと三ヶ月坊主

 実は2002年度版の初代ほぼ日手帳のユーザーではあったのです。ちょうど就職活動なんかを意識しはじめるときで「今の私には手帳が必要なのだ」という思いにフィットしてくれました。作っていく過程を公開ていくのも『スーパーコンシューマー / SUPER CONSUMER』などにも通じる形でワクワクを高めてくれました。届いた当時はいつも持ち歩いていたのですが、結局のところで3ヶ月坊主ってところでしょうか。当時はまだインターネット接続をしはじめた頃の携帯電話やPHSを利用していたわけですし、ライフログっぽいことをするには手帳が必須でした。それでも徐々に書かなくなってしまったんですよね。

 考えてみれば三日坊主という事は少なかったのですが、進研ゼミを始めて3ヶ月目から赤ペン先生に答案を返さないマンに変身してしまいました。ブログもその危機でしたし、Facebookは危機を脱せませんでした。他のことも大抵はそうです。手帳を購入すれば1年間使うのが本来は前提です。でも、そんな経験があるので1年間使いきった姿が描けないのです。もっと言えば1年後の自分の姿が何一つ描けてない恐怖感を感じます。もともと仕事の都合で転勤したり、客先に常駐したりということが頻繁に起こっていたので描けないのも仕方がないところもあったのですが、客体優位で自身を揺るがせ続けるのにも限界があります。

長期スパンでの自身を見る事のできない病から脱却したい

 以上のように、ノートが散逸すること、三ヶ月坊主である事、長期計画が立てられない事を書いてきました。それらは密接にリンクしているようにも思います。

 id:aniram-czech さんが『ほぼ日手帳の日記から - チェコ好きの日記』で「やりたいことリスト100」をほぼ日手帳に書いたり、5年前の日記を見返したりして自分なりの法則を再確認していていいなーと思いました。

……と、何でこんな話になったのかというと、5年前くらいからつけているほぼ日手帳の日記や、高校生のときに大学ノートに書いていた日記を読み返してみたら、私の「精神状態」みたいなものが、10年前くらいからあまり変わっていないことに気が付いたからです。


私の「精神状態」というか、「生きるテンション」っていうのは、10年前から一定して「毎日そこそこ楽しい」「まぁまぁ」みたいな感じです。


ほぼ日手帳の日記から、5年後の自分が見えてきた。トホホ - (チェコ好き)の日記ほぼ日手帳の日記から、5年後の自分が見えてきた。トホホ - (チェコ好き)の日記

 自分の場合は5年前に書いていたノートを探そうと思っても実際には相当難しいです。当時はEvernoteにスキャンしていたわけでもないですし、捨ててしまっているかもしれません。ブログのデータは消えてしまいましたし、Twitterアカウントも震災を機会に消したので最近になって作りなおしたものです。

偽記憶を元にした判断をしないために

 エピソード記憶は曖昧になったり、嘘話をしてるうちに自分で信じこんでしまう可能性があって信憑性がありません。公開文章には部分部分にフィクションが散りばめられているのですが、自分で読み返しても創作との境界線が分からなくなっていく側面があります。『11年にわたり使っているハンドルネームを付けた由来が全部偽記憶だった - Togetter』なんて事例もあったように偽記憶のリスクは信頼出来るログを持っていない誰もが持っているものと思います。

 信頼出来るログを読まない状態で「私の生きるテンションは、10年前から一定して毎日そこそこ楽しいみたいな感じです」と言うのは直近2ヶ月ぐらいから算出された不合理な判定である可能性が高いですし、その判定を重大な決断に使うのは極めて危険な行為です。「昔からこう思ってた」とつい言いたくなってしまうのですが、本当にそうなのかは疑うべきです。

 そんな時に、一定のフォーマットで日記を書き続けているというのは重要な事なのだろうと思います。なので「3ヶ月坊主から1年坊主ぐらいには成長する」というのを目標にしたいなーって思いました。( ゚д゚)ハッ! もしや、ほぼ日手帳が3ヶ月坊主だったというのも偽記憶だったのでは・・・頭が割れるように痛い。