太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ブログ更新二ヶ月病を見て「継続年月に応じて言う事が変わるからこそ書き続けたい」と思った

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photo by cobalt123

ブログ更新Nヶ月病

 ここのところ、ブログ更新Nヶ月といったエントリを多く見ました。月が変わる前にブログを始めようって人が多いのかもしれません。私自身も7/27に更新再開してたので1〜2ヶ月ぐらい更新した時ってこんな感じだったなーって懐かしくなりつつも、そんな俯瞰中毒者もまだ4ヶ月しか更新していない事に滑稽さを感じてもいます。ブログ論じみた事を書いたのは下表の通りでしょうか。派生的な話はもっと書いてますけれど。

月数 エントリ 要旨
1 ノンジャンルブログでありたいのだ〜「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうアマチュアブロガーの勝利条件 - 太陽がまぶしかったから 指標の多様性を作ろう
2 大橋悦夫『「手帳ブログ」のススメ』〜私の頭を通り抜ける宇宙線をウィルソンの霧箱で捉えて霧笛を吹く - 太陽がまぶしかったから 「発見」を得るために書く
3 「サードブロガー」が公式トピックになったけど次世代アルファへの成り上がり論みたいに誤解されている件について - 太陽がまぶしかったから もっとプロレスをしたい
4 いまさらだけど梅田望夫の『ウェブ進化論』って正しかったよね - 太陽がまぶしかったから 文化的雪かきロボ

環世界のつまみ

 基本的なスタンスは大幅には変わっていないつもりですが、重要視する視点だったり、文章形式だったりは現実からのフィードバックを受けて変化していっています。それは『ノンジャンルブログでありたいのだ〜「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうアマチュアブロガーの勝利条件 - 太陽がまぶしかったから』の段階から予期していた事です。

 可能世界においては、結果に応じて後付で「最初からそれを求めていた自分のみが生き残る」という現象を起こす事ができます。つまり、「Aという結果を期待している私」と「Bという結果を期待している私」が同時並行で存在し、仮にAという結果が確定した瞬間に「Bを期待していた私」は死ぬのです。今回は全ての打ち分けが比較的うまくいきましたが、失敗しても5記事でも10記事でも書いて最初からそれを狙っていたと思う事はできます。


ノンジャンルブログでありたいのだ〜「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうアマチュアブロガーの勝利条件 - 太陽がまぶしかったからノンジャンルブログでありたいのだ〜「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうアマチュアブロガーの勝利条件 - 太陽がまぶしかったから

 その上で、『仕事は楽しいかね?』の話に繋がります。

 「ここで”試すこと”のご登場だ。地図を一切持たずに、ただ探検すること。きみは一連の姿勢が正しくありさえすれば、望むものは何でも手に入ると思っているかもしれない。だけどね、望みうる最良のものは、手に入れたものを好きになることなんだよ」


仕事は楽しいかね?

仕事は楽しいかね?

 実際には手に入れたから好きになったものだけではなく、手に入れたからこそ嫌になったり、別のものが欲しくなる場合も多々あります。それらの「発見」が出来るかどうかは偶然ですし、「手に入れられる」かもまた別の要因です。

 それで生活しているわけでもないのだから「目標」なんて簡単に入れ替え可能なのです。「あっちの方が良かった」と買い替え続けたり、手に入らなかったものを悔やみ続けたってお金も意志力も減ってしまいますし、ずっと不幸です。基本的には今あるカードで結論を決めるしかありません。

継続年月に応じて言う事が変わるからこそ書き続けたい

 今あるカードで結論を決めていけば、継続年月に応じて重要視する事や言う事は変わってしまうのも当然です。カードは流動しますから。でも、だからこそ変わらない部分の蓄積にしなやかな正当性が宿ると感じるのです。そして「変わってしまうから価値がない」のではなくて、変わる事を前提としながら動ける事にも価値があります。

 例えば結婚したら結婚したなりの視点って固定的に考えるのではなくて、3ヶ月、1年、10年経った時の過程の羅列において「変わったこと」「変わらなかったこと」こそが重要なのだろうということです。それを知ることで過剰に入れこむ事も過剰に悲観することもなくなります。まぁ結婚ネタは釣りも多いかもしれませんけれど。これは私の基本的な考えです。

 ちゃんと失敗を含めた進捗や結果も書こうよということです。何度か書いていますがブログってweb + logであってログとしての集積が重要です。ライフハックや商品購入などについて書いたなら、それから1年後の私はどう思っているのか、実践できているのかをちゃんとトレースする事にこそ価値があると思うのです。


 それは読者への誠実さでもあり、自身の成長機会であり、共感による癒やしでもあります。スナックはてなの常連客として偏愛を長く語り合いたいのです。


はせおやさいさんのブロガー人生相談イベント『池田仮名さん、長文ブログを書く理由は、なんですか?』オフレポ - 太陽がまぶしかったからはせおやさいさんのブロガー人生相談イベント『池田仮名さん、長文ブログを書く理由は、なんですか?』オフレポ - 太陽がまぶしかったから

あなたはなぜ書き続ける?

くるひもくるひも書き続ける人がいる。しかもけっこうなボリュームのやつ。
一日の制限された自由時間の中でそれだけの量をかけるってのは、つまりもう既に自分の中で決着がついたことについて記しているわけでしょ?
答えが出ているものをわざわざ文章化するってめんどくさくない?たいていの場合、思索の段階で結論を導けると多くの人は思っているし、それを実行している。だから書くに至らない。


あなたはなぜ書き続ける?あなたはなぜ書き続ける?

 クリリンのことかー! でも、この増田の指摘はちょっと違うと思っていて、書き始めた時点で答えが出ていることなんて少ないと思うのですよ。漠然と思っていたことかもしれないけど、ちゃんと筋道が通るかは分からない段階。そんな状態でも高速に書けるようになるのかは慣れの問題です。

 その上で、結論が付いたと思い込んで書いてこなかった事は脳内の可能世界による可換性が高くなってしまいます。現実に起こった事に合わせて「昔からそう思ってた」って言いがちな人って居るでしょ? 俺とか。でも「いまさら『昔からそう思ってた』じゃねーよ!」って言いたくなるわけで、「その時点の結論」をログとして残しておかないと意味がないと感じています。

ブログというソーシャルゲームのKGI

 Alexaの『hatenablog.com Site Overview』によれば弊ブログは2位らしいですし*1、結果論から言えば色々な話もありました。でもまぁ、そんな数字遊びで何かが大きく変わるわけでもないってのが現実です。意味があるの?っていう指摘は良く分かります。

 でも『ぷよクエ』を来る日も来る日もやっても大きくは変わらないし、ダーツを来る日も来る日もやっても大きくは変わらないし、来る日も来る日も読書しても大きくは変わりません。プログラミングしても、資格取ってもその辺は同じです。『全ては自分メディアへの養分とするために。でもそんなに育ててどうするの?〜ちきりん『「Chikirinの日記」の育て方』 - 太陽がまぶしかったから』によれば9年間続けて超人気になったって大きくは変わらないとのことです。趣味ってのは最初からそういうものなのでしょう。その瞬間に楽しいかが重要です。

ブログ更新Nヶ月病、ブログ更新N年病を書き続けたい

 大きくは変わらないって前提であっても、前述のとおり経緯の羅列が残るのは良いことだとおもってます。「昔はこんな事書いてた///」ってのを読むのはなかなか楽しいですし、それらが他者に読まれて互いに複数的な価値を生み出す事もあります。そして自分の言う「昔」ってまだ4ヶ月以内の事なので、それが1年になったらとか、3年になったらというのは今からちょっと楽しみなのです。

 ブログ更新二ヶ月病って言うとなんかネガティブなイメージもありますが、「その時点での結論」を羅列しておくのは少なくとも本人にとっては価値があることだと思います。実際問題として自分の更新を1ヶ月続けた時には「こう思ってたよ」って事実が簡単に提示できますし、マイルストンごとの病状を記録しておきたいから書き続けるのだと思います。

 なんて事を言いつつ、「楽しくて、思考が残せて、交流出来て、体力使わなくて、お金まで貰えちゃう趣味って良くない?」って個人的には思うんですけどねー。疲れたり、お金が多く掛かる趣味なんて論外ですし。なのでブログを更新するのが無駄というのはよいんだけど、余った時間ですべき高尚な趣味を教えてほしいんですよねーって思います。

だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫)

だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫)

*1:このランキングの正当性ってどのくらいなんだろう?