太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「サードブロガー」という言葉の変遷に見る呪詛と祝福

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そろそろ「サードブロガー」という言葉について語っておくか

 はてな村流行語大賞があれば、真っ先にノミネートされるであろう「サードブロガー」という言葉。もともとは id:inujin さんが『サードブロガーに、なりませんか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。』で提唱した概念であり、以下の定義です。

  • サードブロガーとは、遅れてきた人:サードブロガーは今を生きている。
  • サードブロガーとは、勝たない人:サードブロガーは、戦わないし、だから勝つこともない。
  • サードブロガーとは、期待している人:サードブロガーは、ブログに対して期待している


サードブロガーとは - はてなキーワードサードブロガーとは - はてなキーワード

 しかし、この言葉は id:zuiji_zuisho さんに「今やすっかり補助輪も外れて底なし沼まで一人で行けてそしてもう二度と帰ってこないレベルで言葉だけ一人歩きしている」と表現されるほどの一人歩きをしてしまって残念な事になっていました。その上で「サードブロガーの池田仮名」みたいな事と書かれて二重に残念な事になりました。

 数々の事実誤認と「判断基準はぼくの内心」を前提にした批判を書いた増田の中では最終的に以下の定義に落ち着いたそうです。人が作った言葉にその定義を上書きすれば名誉回復の余地がなくて無敵ですね。ここまで「言葉」について軽視する人に「ブロガーとは〜」と言われていたのかと脱力しました。

またサードブロガーの定義についてですが、これはもう「私が気に入らない、最近よく目にするブロガー」ってことで勘弁してはもらえないでしょうか。


id:meerkat00 への回答id:meerkat00 への回答

 そういう事があったり、id:inujin さんによる『ブログで、1人鍋パーティーしてます。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。』も出たことですし、そろそろ自分の口からも私的な歴史をナラティブに語るべきかなーと思いました。ここから書く事は超長くなるだろうし、何も得る物がないし、私私私です。ブログ論なるものに興味がない人はそっとじをお願いします。あと端折ったり偽記憶があるかもしれないで、そこはご指摘を。

 事前知識として id:paradisecircus69 さんの『“サードブロガー”再考 - あざなえるなわのごとし』が良くまとまっていますので、そもそもの前提をしらない人はご覧になって頂ければ。

「サードブロガー」というミーム

 私自身も「サードブロガー」という言葉に振り回されていたところはあります。「サードブロガー」という言葉が出る以前から、提唱していたのは「+αブロガー」でした。

 ブログのKGI(重要目標達成指標)については、これまでもさんざん書いているのですが「長く続けられる趣味を作ろう」が大目標であり、副次的に「楽しい」「思考ログ」「交流」「収入」「承認」あたりの報酬を少しづつ得られたらいいね!というスタンスです。なので自己満足もクネクネも広告も同程度には重要ですし、同程度には価値がありません。


 行為には様々な動機があって性向の多元性と行為の展開する文脈の多元性において自己言及される動機は極僅かに過ぎないというのに、AはBなんだって殊更に定義するのはナンセンスだと思うんですよね。なのでパラメータ配分の問題になるのですが、私自身としては、どの報酬ベクトルについても大きなスカラー値を追いませんでした。面倒だし。


はてなブログのPVランキング1位になったし、そろそろブログ運営の手の内を明かすとするか(精神論編) - 情報学の情緒的な私試論βはてなブログのPVランキング1位になったし、そろそろブログ運営の手の内を明かすとするか(精神論編) - 情報学の情緒的な私試論β

 無理に競争しようとして、どこかの指標のために過激化すると面白くないし、カルマが溜まっていくので活動基盤はブログなんかに置くべきではありません。それでも複数の指標を少しずつ「+α」できたら嬉しいという意味合いと、「αブロガー」とは別枠ながら上位にあるよう見えるという倒錯感が気に入って「+αブロガー」と使っていました。

 全然流行りませんでしたが、それで良いのです。個々人が自分なりのコンセプトを考えるのは当たり前の話だからです。id:inujin さんも自分の事をサードブロガーと言う事に抵抗がありませんが、他の人は概念は面白いけど違うよねって話になってました。そういうのもあって『はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。だからサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん - 太陽がまぶしかったから』を「サードブロガーでもなんでも勝手に名乗れば良いじゃん。俺には関係ないし」と思いながら書きました。

 それでも「総称」の意味合いで、はてなの公式トピックになってしまった事からおかしくなります。『新しいイスを用意できる人、イスの幅を広げることができる人がサードブロガー - はてブのまとめ』に「定義を変更して」選ばれてしまったのも問題です。イッチョ噛みしてやろうという人は「サードブロガーの代表格」として批判してくるようになりますし、結果として「+αブロガー」というささやかなミームは自分の中ですら瀕死になってしまいました。以下の様な感じです。

 この事に関しては未だに複雑な感情があって、「サードブロガー」という言葉そのものをあまり歓迎していない理由になっています。相対化したコンセプトとしての「サードブロガー」は大好きですが、総称になった「サードブロガー」という言葉は嫌いです。それでも「サードブロガーの池田仮名が〜」と散々言われてる以上はサードブロガー批判は私への批判でもあって、面倒な心的結合が起こっています。「お前の事は言ってない」って事例も多々あるのでしょうけれど。

 そもそも明確に名乗ってるのは基本的に id:inujin さん本人だけ*1でしたし、「お前はサードブロガーじゃない」って話は大歓迎なのですが、その一方で第三者による「真の◯◯」論法で「私の定義によるサードブロガーに属してない」って話であれば、やっぱり「言葉」を軽視していてモヤモヤします。それは別の単語でもよかったはずですが、それだけ一般名詞化しはじめていたという事でしょう

僕がイメージしている「本当のサードブロガー」って、いまは諸事情でブログを休止してしまったコンビニ店長のような「既成の勢力と強固に結びついたり、特定の誰かとつるんでいるわけでもないのに、それを『面白い!』と思う人たちが三々五々集まってきて、いつのまにか多くの人に読まれる人」なんですよ。


「サードブロガー」への「違和感」の正体について - いつか電池がきれるまで「サードブロガー」への「違和感」の正体について - いつか電池がきれるまで

「サードブロガー」と「豊富な資源」

 「サードブロガー」の本来の定義には『「負ける」技術〜武器対等の原則、豊富な資源、死に方の自由 - 太陽がまぶしかったから』などで id:inujin さんとやりとりした事が影響していると思われます。id:chuunenh さんが『いぬじん(inujin)氏が提唱するサードブロガーの理想と現実 - 人生夢オチ』で提示された「マネタイズと承認欲求」といった批判点についても9月の時点で織り込んでます。

 空手の有段者は素手で応戦しても過剰防衛になってしまうという話は「武器対等の原則」によって成立していますが、同じようにそれを「武器」と認識しているのであれば徒手空拳での対決に使うべきではないという規範に自分は縛られています。なので「武器」だと認識できなければ躊躇なく使えるのでしょうし、そんな倫理がない人はある意味強いなって思うことがあります。運営にスパム報告しましたが。


(中略)


 しかし、この象限には根本的な間違いがあります。それは勝つとか負けるとかどうでもよくない?って話です。経済学では一般的に「希少な資源」の配分を問題としています。「希少な資源」であるからAに配分されたものは、Bには配分できないといった事が起こりえます。


 しかしアクセス数であれ、ブックマークであれ、スターであれ、フォロー数であれ、いいね!であれ、殆ど元手の掛からないものであり「希少な資源」だとは言い難いと思われます。だから押し貸し経済が成り立ちますし、ネオヒルズ族がいるのでしょう。


 もっとも人間には承認欲求があり、それが「希少な資源」であることは認めます。アフィリエイトの金額も「希少な資源」でしょう。しかしそれは結果として付いてくるものであって、最初からアフィリエイトの最大化を狙うならもっと適した方法や場所があるだろうし、承認欲求であればこそ「勝ち方」に拘わりたいのが自分です。


「負ける」技術〜武器対等の原則、豊富な資源、死に方の自由 - 情報学の情緒的な私試論β「負ける」技術〜武器対等の原則、豊富な資源、死に方の自由 - 情報学の情緒的な私試論β

 ブクマだとか、スターだとかは元手がかからずに簡単に付けられるからこそ、身内ブクマなどの話になりがちです。でも、だからこそそんな事はすべきではないし、それで得られる承認なんてゴミです。月数万円を超える収入を得るのも難しいでしょう。本当にそれだけを見ている人であれば1年間も待っていれば勝手に淘汰されるにと思います。批判の有無に関わらず。

 ただ当時は確かに横行していたと思われる身内ブクマやスパムまがいの呼びかけについては、「既存の公共圏を侵す」という観点から懸念しており、『そろそろ、はてなブックマークスパム問題について当事者から語っておくとするか - 太陽がまぶしかったから』などで「スパム報告するよ」「統計を晒されるよ」と警告しました。にも関わらず*2、1.5ヶ月後に結果としてid:tt_clown さんに『身内ブックマーク問題 - Life like a clown』を書かれるまでにまで至ってしまいました*3

「サードブロガー」と身内ブクマ問題とトマトブロガー

 今だから言えますがトマトの件については、それでも身内ブクマを止めない人々のために仕組んだ意図も含まれてました。もちろん、そこまで明確に狙いすましたわけでもないし、ある程度の規模になってからは制御不能になってしまったのが実態なんですけれど。当日に以下のツイートをしています。



 だからといって『虚構新聞問題により、はてな村とサードブロガーが全面戦争に突入』において「サードブロガーとは、はてブスパム問題を引き起こした奴らである。」とまで定義されるようになったのは、「サードブロガー」の示す範囲を見誤っていた落ち度があります。これは自業自得ですね・・・。

はてブスパム問題は、彼らの純粋アピールにより、「身内ブクマ問題」という名前に変えられていた。
「身内ブックマーク問題」
http://blogos.com/article/72979/


虚構新聞問題により、はてな村とサードブロガーが全面戦争に突入虚構新聞問題により、はてな村とサードブロガーが全面戦争に突入

「サードブロガー」への当事者性の欠如と残り続ける呪い

 だいたい「身内ブクマ問題」は9月の時点で指摘しているし、もっと前に増田に書かれた言葉なのですが、ここでも歴史捏造が行われてます。ただこの頃になると「サードブロガーの池田仮名が〜」とは殆ど書かれなくなっていて、当事者意識が薄くなっていたので無視していました。

 代わりにサードブロガーとして挙げられるようになったのは id:inujin さんいわく「全然知らない人」です。便宜上、きのこブロガーとしておきましょう。こうやって◯◯ブロガーとか言う事自体が寒いけど。

 虚構新聞問題に関わった人は殆どいないはずですが、先の増田では「サードブロガー」が全面戦争した事になっています。もはや代名詞が指す意味が変わってしまったのでしょうね。後から出たサードブロガー批判はそちらを前提としているので自分には関係ないと思う一方で、未だにサードブロガーだと名指される事が何度もあって、「面倒くせー」ってのが感想です。私とはあまり関係のない話を理由に突撃してくる人に同情しなきゃいけない理不尽さを感じつつ、ちゃんと交通整理をしてこなかった側の責任もあります。

名前が似ているというだけで、天皇家の冒涜者だ不届き者だとクソメールを送りつけられるのも辛いので、一斉に「私は山本一郎であって、山本太郎ではありません」というメールをお返しするわけですよ。そうするとですね、「嘘だ!」とか「いまさら言い逃れをする気ですか」とか「似たようなものでしょう、謝罪してください」などというメールが返ってくるわけです。心がね、痛むんですよ。この謂れのない批判の山の前に呆然とする可哀想なわたし。


山本太郎砂漠(追記あり): やまもといちろうBLOG(ブログ)山本太郎砂漠(追記あり): やまもといちろうBLOG(ブログ)

ブログ論を語ること

 サードブロガー批判については id:fujipon さんの文章が確かに弱い所を突いてるとは思うのですが、どうしても並行線になってしまいました。経緯を踏まえてほしいという事を言いつつも、ここまで端折って1万字です。それを分かってから語れってのも無理がありました。

 実は自分の中でのブログ論のはじまりは id:fujiponさんの『アマチュアブロガ―にとっての「勝利条件」:いつか電池がきれるまで@ブロマガ - ブロマガ』からなのです。

 それでもなぜ、はてな圏にいるのかを考えると、『アマチュアブロガ―にとっての「勝利条件」:いつか電池がきれるまで@ブロマガ - ブロマガ』が山下達郎の言葉を通して、漠然と考えていたことを言語化してくれた感があります。

山下:勝ち負けは人が決めること。あとは、自分が顧客(カスタマー)でいて欲しい人たちの観念(イデア)に向けて発信したものを、その人たちがいいと思ってくれること。

 実際は、山下達郎さんは音楽で高収入を得ている人ではあるのですが、僕は「アマチュアブロガ―にとっての勝利」って、まさにこの「自分が読んでいてほしい人たちに向けて発信したものを、その人たちがいいと思ってくれること」だという気がするのです。
 ある意味、「稼ぐ」より、よっぽど難しいことではあるのですけど。


でもまあ、「稼ぐ」ためには、やはりある一定数以上のアクセス数とかが必要になるわけです。いまのネットでの「集金システム」の世界においては。
 ところが、「ブログで稼ぐこと」を捨てれば、極論すると「誰かひとりの読者を満足させられれば、それで十分」にまで、ハードルを下げられる。
 もっと突き詰めれば、「書いている自分が満足できれば、それでいい」。


アマチュアブロガ―にとっての「勝利条件」:いつか電池がきれるまで@ブロマガ - ブロマガ

 これは非常に納得がいくのですが、元記事内でも述べられている通り、「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘っていて、むしろ難しい事のようにも思えます。「勝ち方」に拘る贅沢が出来るのは本来的には負けても良いからです。
 
 元記事では「書いている自分が満足できれば、それでいい」が処方箋として提示されています。しかし、人間とは欲深いもので、「自分が満足できれば」を得るためにも、やはりなんらかの条件を満たす必要があるのではないかと考えています。


ノンジャンルブログでありたいのだ〜「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうアマチュアブロガーの勝利条件 - 情報学の情緒的な私試論βノンジャンルブログでありたいのだ〜「勝つ事」よりも「勝ち方」に拘ってしまうアマチュアブロガーの勝利条件 - 情報学の情緒的な私試論β

 どれだけ内発的な要求のが強い人間であろうが、それが外発的な要求とある程度は沿わなければ生きづらいわけですし、幻想の強度が低いのです。どんな幻想的な理論を作るのも勝手ですが、ある理論は反証可能性に耐えなければ自分自身ですら信じられないのが一般的です。

 反証可能性のないものを心から信じられる人は少々特殊なマチズモを前提としており、反社会的な存在とも紙一重です。社会に沿う気がないのに社会にとっての最善手が得られる人が天才と呼ばれる人なのでしょうが、それは偶発性を前提としており、凡百の人々は各種指標のフィードバックを前提にある程度までは矯正を続けていく事になります。それは釣りであれ、ダーツであれ同じ話です。

「ブログ論」の魅力に捉えられてやめられなくなった人々(僕もですが)をみると、薬害エイズ問題で「社会運動の威力」に目覚めた学生たちのことを思いだします。
 彼らのなかには、「運動の面白さ」にとらわれてしまって、日常を失ってしまった人もいました。
「薬害エイズ問題」の旗振り役であった小林よしのりさんが「そろそろ日常に帰ったほうがいい」と彼らを説得する言葉を『ゴーマニズム宣言』に書いていたのを思いだします。


「サードブロガー」への「違和感」の正体について - いつか電池がきれるまで「サードブロガー」への「違和感」の正体について - いつか電池がきれるまで

 「ブログ論を語る事をそこまで特別視して迫害する必要があるのかな」というのが私の思いです。増田には「ブログを書く必要のない人達」とまで書かれました。確かに仕事や人間関係の事は守秘義務や個人特定があるので書けませんし、趣味や生活に使える時間は限られています。なので『ブログで、人生が(たぶん)変わった話 - いつか電池がきれるまで』で書かれていた「平凡な人生の、ちょっとした起伏を見つけるのが楽しくなってきた」の対象としてたまたま有力であっただけというのが実情です。

 外から見たら下らないのは分かっていても、だからこそ当事者としての「気づき」が多い時期はあります。実際にはブログ論ばかり書いていたわけでもないのですが、定期的に書きたくなっちゃうのはお互い様ですよね。

 『「サードブロガー」が公式トピックになったけど次世代アルファへの成り上がり論みたいに誤解されている件について - 太陽がまぶしかったから』には「成り上がりなんてない」「電車に新しい席を作ろう」という話を書いたつもりです。でも結果として、「自分と、その仲間が座るための場所があれば、ルールは同じでいい」と見えたのであれば仕方がないし、そもそも「サードブロガー」と名乗っていない私自身が「サードブロガー」という言葉を汚した一人になってしまうのは非常に残念です。

一部の当事者にとっては初めてのループには寛容に接したい

 長年イマイチブロガーをやり続けている僕としては、なんとかして、いまの固定化されたブログ状況を打破したい!という気持ちはわかるんだけど……わかるだけに「でも、あなたたちがやっていることに、全然新鮮さを感じない」と思ったのも事実です。


「俺たちは『新しいブロガー』なんだ!」
 その気概や善し。
 時代は、そういう突き抜けたい人たちによって、つくられる。
 でも、今回の「サードブロガー」たちは「自分たちは今までと違う!新しい!」と声高に叫ぶだけで、やっていることは今までと同じだと、僕には感じられたのです。


「サードブロガー」への「違和感」の正体について - いつか電池がきれるまで「サードブロガー」への「違和感」の正体について - いつか電池がきれるまで

 『「はてなブログ村オンライン」が「はてな村オンライン」と交わる時、はてなブログ村言及スタイルが誕生する - 太陽がまぶしかったから』でも書いた通り、「あの頃のはてな村を再現しよう」というコンセプトなのに「我々は新しいブロガーなんだ!」という意識が本当に漏れていたのかな?というのはありつつも、そもそも「やっていることは今までと同じ」で何が悪いのでしょうか?

 当事者によるレベルは各々に異なっていて、上級者には通った道であっても、そこに至るには少しだけ時間が掛かります。きっと恥ずかしくなる瞬間がくるだろうし、本当にマネタイズと承認欲求のみを考えてるなら早々に終わりが来ます。

 歴史や社会にとっては何も得る物がありません、でも、それと当人にとっての価値は別物でしょう。早い段階でネタバレをして腐しても、その「過程」を得られる機会を奪おうとしているように見えてしまうのです。「先人が既に通った道」だからこそ安全に楽しめる「豊富な資源」になりえます。それ自体の意味を考えるのは、「そもそも釣り堀で釣りをする意味なんてあるのかな?」って話と同等であり、あっちは良いけど、こっちはダメってのは難しいです。

 それは叩くなとか、アドバイスをするなということではないのですが、「寛容」が必要なのかなと思いました。ここでいう「寛容」とはこのような意味です。

積極的に相手を尊重するのではなく、「異端信仰という罪悪または誤謬を排除することのできない場合に、やむをえずそれを容認する行為であり、社会の安寧のため、また慈悲の精神から、多少とも見下した態度で、蒙昧な隣人を許容する行為」をするためであった。 これは、宗教戦争を経験したヨーロッパにおける特殊事情が、「寛容」を強要されたわけであり、仕方無しの「許容」である。


寛容 - Wikipedia

 id:fujipon さんは「もっとできるはずだろ」という苛立ちか、「お前らには才能ないよ」っていう諦観なのかで言えば後者に寄ってきているのだと思います。私自身も炎上やブクマ問題については思う所がありますし、公共圏を侵すべきでないという規範のが強いです。

 増田を構成する人々でアンケートを取ったら、「サードブロガーは、はてなから出ていけ」って多く書かれるのかもしれませんし、実際に何人かは独自サーバーに移ってしまいました。でも、それがステークホルダー全員に対して良いことだったのかは疑問です。別に良いと思ってそうしているわけでもないでしょうが。

好きだけど正しくない無駄な課題の社会貢献

 こんな事を書いたって別に何も変わらないのでしょうし、まぁ最後まで読まれないのでしょうが、書きたくなってしまいます。政治問題であれば、そうも言ってられないのかもしれませんが、ブログ論なんて最初からクソ下らないからこそ、指一本の角度の違いについてバカみたいに語りたくなるのでしょう。正しいか正しくないかで言えば、きっと正しくありません。全部まとめて無意味な時間です。

 でも好きか嫌いかで言えば好きなんだから仕方ありません。それが人に迷惑をかけていれば矯正すべきですが、迷惑をかけない範囲の実存についてまで「好みに合わないから」と否定しはじめるのは、ちょっと違うんじゃないかと思うのです。増田のように「嫌いだから悪い。判断基準は俺の内心」という幼稚な理屈を騒いだり、事実誤認や捏造を抱えて否定する人に「ブロガーとしてのあり方」を批判する権利があるのかも微妙ですし。

 それでも、「サードブロガー」という言葉が生み出した誤認や誤読にまみれた論説の数々こそが、ひとつの社会貢献が行われた証なのかもしれないと捉えて黙っている所がありました。id:inujin さんのエントリの中で一番好きなのは以下の文章です。

むしろ「ムダなものを作り出すことこそ社会貢献」という文脈が自分の中に明確に生まれたことを素直に喜びたいなあと思う。

最近は色んな場所で「世の中の課題を解決する仕組みや価値を提供して、社会に貢献したいです!」というセリフをよく聞くし、自分もどさくさにまぎれてそれに近いことを口走ったりする。

しかし、どうやら、課題を解決することだけが社会貢献ではないようである。

むしろ、多くの人々なり事業なりがその解決に乗り出したくなるような課題なりテーマなり命題なりを作り出すことだって社会貢献のようなのである。

もちろん、原発事故なり戦争なり、明らかに迷惑なできごとに対してその考え方を導入するつもりは僕にはない。

だが、ことコンテンツとよばれるものには、これが当てはまると思う。


答えを出すことだけが、答えではない。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。答えを出すことだけが、答えではない。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

 こんな実生活に関係しない事で、私を含めて多少なりとも熱くなれて良かったじゃんというところです。そうして「無駄な時間」「無駄な怒り」「無駄な苛立ち」が消費されたわけですが、その効用については語りません。今日もアイロニーを感じながらダンスを踊り続けるのです。たった数ヶ月の間に数々の呪詛を受け続け、変質し続けた「サードブロガー」という言葉に祝福を。

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*1:ギャグで言ったりとか、経緯を知らない(知りすぎてる)人を除く。

*2:そもそも読んでない可能性が高いのですが。

*3:この文章にも事実誤認がいくつか含まれていて、複数人で訂正を願いました