太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

自由でありたいと宣言する事は自由でない現状を肯定している(とされる場合がある)

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photo by kIM DARam

相手を一旦は肯定する癖

 相手の意見が本質的に受け入れられないほど「一理ある」「言ってる事は分かる」と、とりあえず先に肯定してしまう癖があります。頭ごなしに「その人の正義」を否定したところで話が進まない事は分かっているので、一旦はそのパラダイムを受け入れて、そのベクトルを修正する道筋を考えることが多いのです。

 しかし、この手法について第三者が途中から見ると、私こそが「相手が発した本質的に受け入れられない意見」を言っているように見えるようです。以下の様な感じです。

A「勝者が少ない椅子取りゲームに疲れ果てた。私はもう負けたんだ。死にたい」
B「確かにそうだよね。でも、あっちにも、こっちにも椅子があるんだから死にたいなんて言わないで」
C「Bは競争主義者! 勝者の少ない椅子取りゲームを肯定してる」

憑物落としの手法

 Aさんにとっては「勝者の少ない椅子取りゲーム」が現実化しており、そこに打ちひしがれている以上は、「あなたが競争主義に囚われても不幸になるだけ」と、その存在を真正面から消去しようとしても、より意固地になったり、絶望を深めるだけでしょう。であれば、その幻想に寄り添った上での道を示すことで本質的な行動変容を促す方が効率が良いのです。

 もちろん、途中から見てたという特殊事情があるとはいえ、Cさんの意見もわかります*1。しかし、その幻想については私も矢鱈に理不尽な意見だとは思ってませんし、一面では正しいと思っています。だからこそ、枠ごと壊そうとするには躊躇いや力量不足があるし、そこまでのコミットメントをする義理立てもありません。まぁ「途中から聞く人の事を考えるのが当たり前」と激昂してるCさんの誤解を解く義理立てもないんですけれど。

 もちろん、その手法そのものが間違ってるとか色々な意見があるとは思いますが、どうあっても相対論になるわけですし、最終的には相対論で済むネタを選んでいるつもりです。完璧な意見などといったものは存在しない。 完璧な絶望が存在しないようにね。

手紙としてのブログ

 僕自身は『感想をブログで書いてもらえると喜びます - はてなブログ グループ』の流れもあって、ブログのエントリは一定の人に向けて書いている場合が多いです。「自分が考えるきっかけになった文章の作者に向けて」「好きな人に向けて」「何度も読んでくれる人にむけて」「何かの問題を検索してきた人に向けて」「(本業以外の)お仕事先に向けて」「未来の自分にむけて」

 わざと読みにくくさせる時は特にそれを意識している時です。一応はターゲットに合わせて符牒を考えてはみるものの、それに失敗したり、そもそも読まれなかったり、誤爆した事もありました。でも、まぁそれはそういうもので全ては自己満足です。受け取り人に伝わったと分かれば後はどうなろうと知った事ではありませんが、一人歩きを眺めてるのも面白いって事を共有したくなることがあります。シロクマ先生のいうエアトラックバック文化です。それ自体の良し悪しもありますが、個人的に好きではあります。

文脈ありきのやりとり

 なのでホッテントリなどで瞬間的に来て帰る一見さんを向いてる事って少ないんですよね。とはいえ引用は経緯を知らないけど分かりたい人に向けての親切心でもあったんですけど(´・ω・`)。「後付け設定だろ」ってお前らが言うからさー。

 どう読まれようが知った事ではないのですが、可能であれば人気記事だけでなく、普段のどうしようもない記事を合わせて読んで欲しい部分はあります。それらは一連の流れになっていて、ゼロから読むと味わいが半減してしまう可能性が高いので過去記事へのリンクを多くしている側面はあります。


 ある行動は文脈ありきで行われるわけですが、その過程を毎回説明しても仕方がありません。連続テレビ小説を途中から見せてつまらないと思わせるのはこちらの能力不足もあるのですが、できれば点だけでなく線のアップダウンで読んで欲しいなーってのはあります。ここには○○の事しかないって印象はホッテントリで上がった点だけで見てるからだよねと。

 過去の経緯なんて知りたくないって人は別に読まなくていいのです。もっと合ったブログや本は沢山あります。三日天下とはいえ1位になれたので、もう本当にPVとかどうでもよいんですよね。これも何度も書いてますが、「元◯◯」という地位は最前線を維持するのが怠いから狙うんですよ。

ちっちゃくなれー黄色い棒

 『「Chikirinの日記」の育て方』において「影響力の魔法」に戸惑っていた事が記述されているのですが、全然小さいレベルとはいえ自分も自覚しなきゃいけない事があって、ちょっとメンドイのです。

 ハルキーズは時間をおいて同じ結論になったのかもと思いつつ、例えば競争文脈においての云々を言われ続ける事になるのでしょう。少なくとも競争文脈に変換して言ってくる人達がいる以上は、「その話も分かるけど、こういう見方もあるよ?」と指一本の違いをいわざるをえず、それを途中から聞いた人々に、また「どれも同じで全部クソ」と揶揄される事になるのでしょう。トムとジェリーと知らないおっさんの追いかけっこは続くのですが、それもまた楽しい時間なのかもしれません。

*1:癖が出てる。