太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

下位承認欲求とコモディティ化願望

承認欲求

 コメント欄を「承認制」にすると「管理者が承認するまで公開されません」という文字列がでる。承認制のコメント欄は実態的には非公開メッセージのためにを利用される場合が多く、その「承認」ボタンは永遠に押されない。

 「承認」という言葉は、そのまま「承認欲求」という言葉を想起させる。おもわずコメントを書きたくなるような相手に「承認されたい」という願いも、その内心に関わらず外形的には破棄され、破棄され、破棄される。「承認欲求」と簡単にいうが、それは「上位承認」「対等承認」「下位承認」に別れる。一般論から言えば、「あの人に認められたい」と対等な承認を得ようとしたり、得意なことで「すごいと認めてもらたい」という欲求を抱く場合が多い。

 どうも僕は「下位承認」への欲求が強いようである。僕なんかがいなくても良い世界。僕の行動なんて何も影響しないという前提が浸透した世界を望む――それはもちろん「そうではない」という肥大化した自己評価に基づいており、自己評価は劣位感が引き起こしている。それでも実際問題として色々な話に駆りだされ、ネットにすら「◯◯の責任は池田仮名にある」と書かれる事によって混乱する。人をテイ良く使うための方便であれ、本心からであれ、バカにしているのであれ、それらの感情をぶつけられるのは面倒臭い。

不労所得は最高の働き方

 「アルバイトで働きたい」とよく書いているが、土日祝日シフトに入れるバイトリーダーになってしまえば本末転倒だ。誰でも出来る仕事を、何の責任もなく、少ない時間で、疲れずに出来て、生活できる程度のお金が入ってきてほしい。「そんな態度で働くひとは要りません」って怒られるだろうけど。

 だから「不労所得」という選択肢が実現できれば完璧だ。「何もしない事」は――退屈が苦でなければ――誰にでも出来て、責任がなくて、時間が掛からず、疲れないという要件を全て満たせるのだから。

 下位承認が浸透し、生活の不安がなくなれば心から尊敬する理想化自己対象を増やす事ができる。他人のちょっとした事に「すげー」と喜んで、「大好き」と思うことで自意識が満たされる。部分的な対等承認があれば天にも登る心地であろう。そうやって全部の努力を他者にアウトソースしていきたい。有閑階級になるためにこそ、他者の踏み台になる。

哲学的ゾンビ

 「他者の気持ちが理解できない」というのは全くその通りである。「このタイプは、こうするとこう動くことが多い」という――幻想や妄想を前提とした――観念だけを信じている。他人の環世界を完全に分かる方法などないし、分かる必要もない。

 正確に言えば自身を疑っているからからこそ理解できないふりをする場合が多い。「僕はこのタイプだから、こう動くべき」というエミュレーションを自身の心とは全く無関係にする事すらある。そうすれば僕の実際の解釈は外形的には判断できないようにロンダリングされる。順張りでも逆張りではなく、「無相関」にするというのはなかなか骨が折れるのだけど。

 そこある「心」なんてものはあまり関係がない。あるのは物理過程の羅列だけ。ビッグデータについて関心がある理由もそこだ。統計心理学であれば学ぶ価値がある。僕は唯一の人間で、ほかの全員は哲学的ゾンビであると信じて「このタイプは、こうするとこう動くことが多い」という法則を読み込んで動く。「共感」や「義理」などを期待すべきではないし、ましてや「愛」なんて。この世界にはウェットなセキュリティ・ホールが多すぎるのだ。

コモディティ化市場のマーケティング論理

コモディティ化市場のマーケティング論理