太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

付箋を貼った本は資産であり、当時の知識による枷でもある

photo by Johnsyweb

付箋を貼った本の資産価値

 今日は実家の本棚の整理をしていた。大学時代に読んだ本や読みきれなかった本の山。内容が古いものや現在の興味から外れているものは処分する。元々、本を読む時は付箋を貼る癖があって、特にノートなどにはまとめていなかったのであるが、その付箋はまだ残っている。

 「付箋を貼った本」というのはブログのエントリを書いたり、再読するのに適した素材となる。過去に何度も書籍に関するエントリを書いているが、その都度読んでいるわけではなくて、ずっと前に読んだ本を題材にすることもあった。そういった前処理を先行させる事で毎朝更新が維持できていたのだ。

「当時の知識」で付けた付箋

 Kindleではハイライトがクラウドに同期されるため、アプリで読もうが、『Kindle Paperwhite』で読もうが残っている。これに対して、『SONY Reader』の旧型は本体にデータがあり、タブレットへの移行ができないため、実質的に消えてしまった。これは想像以上に大きな損失なのかもしれない。

 しかしながら、付箋があると「当時の知識で付けた付箋」を現在の自分が超えられなくなってしまう可能性があるとも感じている。実際問題として少し読みなおしただけでも「これは良いかな」と付箋を外したくなる事があって、人間の興味範囲は変わっていく事を知る。「現在の知識」で普通の読み方をしたら当時はスルーした場所にこそ感銘を受ける場合もあるのかもしれない。だからと言って毎回全部読み直すわけにもいかない。

「当時の知識」を超えるために

 そもそもは付箋すら確認せずに処分しようと思う本のが多い。中身そのものに期待が持てないのである。当時は「教養」コンプレックスがあったり、コンピュータ関連の技術書や俗流解釈の歴史などについて多く読んでいたが、そういうものを読んだところで得るものは少ない。「ファンタジー小説の資料」として読んでいた本は見るのも辛い黒歴史である。

 過去に色々な仮想マシンを自分にインストールして、脳内会議をしていたのも、そういった動機があったが故なのではあるが、ここのところ「自身の欲望と独立した欲望を持つこと」の重要性について考えていた。

 「ありたい姿」は現在の価値観から導出されるものであるし、「あるべき姿」へのすり合わせは自分が出来そうな事が既に明瞭になっているからできる事です。そして自分が出来そうな事が明瞭に分かっているという事は現在の価値観において使用価値があって実施可能と判断する/ソリューションが想像できているという事です。繰り返しになりますが、「それは自分がすでに知っていたり、すでに出来ていた事を伸ばしていく事しかできない」ということになってしまう。

 実際には色々な事をしていたのであるが、ここに表出して観測しやすいものとしては「ブロガーごっこ」があろう。誰かの欲望をゼロベースで代行するために自分の延長線上にある事とは関係なく模倣する。ちなみに当時は「時限制の『戻るための楔』が必須である」と書いていたのであるが「戻れない楔」を打ち込んでしまった感はある。もう暫くはデペイズマンの舞台装置によって、「当時の普通」として振る舞う事こそが異郷の地に送るための呪いとなるだろう。

 付箋を貼った本は資産であり、当時の知識による枷でもある。ここで全ての付箋を読み直した方が良いのかについて少し悩む。当時の自分にとって重要だったことが、現在の自分にとって重要であると感じてしまえば否応なしに私自身の停滞を意識してしまう事にもなるだろう。年末年始かつ実家にいるという事もあるのだろうが、「過去の自分」「現在の自分」「未来の自分」について考える事が増えた。

カンミ堂 ココフセンカード カラーM CF?5001

カンミ堂 ココフセンカード カラーM CF?5001