太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

過去ログ嫁と言いながらの議論ループ容認、または「分かるひととだけ繋がりたい」から母数が必要というジレンマ

photo by MIKI Yoshihito (´・ω・)

「過去ログ嫁」「半年ROMれ」

 「過去ログ嫁」「半年ROMれ」という態度になってしまうのは「そのスレで既に出された議論を繰り返さない」という初期2ch文化が自分の根幹にあるからなのかもしれないと思う事があります。その一方で「ループに巻き込まれる大多数の当事者にとって初めての事であれば同じ議論にも価値がある」とも考えています。

 私自身が議論がループすべきでないと思う範囲は「同名のスレ(別パートを含む)」「テンプレから張られたURL」に限定した話だけです。少なくとも「当時の当事者」が多く残っている中で当時の成果を踏まえない議論を繰り返されるのは不毛だと考えています。その一方で「(参加者が他にいない)別スレの過去ログまで読め」と思っているわけではありません。それを根拠に「黙れ」と言いに来られても「(´・ω・`)知らんがな」と思います。

無駄な議論と2ch文化

 既に内心が書かれているのに、わざわざ内心を忖度して微妙に的はずれな事を書くのは邪魔しているだけだし、わざわざ「何度目だ?」と言いに来るというのは「自身がループに巻き込まれている」という過度な当事者性を感じているだけなのではないかとも思います。それでも参加したいのであれば、「似た議論がここにあった」と出せばよいだけだし、大抵の場合は「そっ閉じ」をすれば良いのです。

 現在の2chもそうだとはとても思えないし、過去に上手くいっていたケースもそこまでは多くはありません。それでも最初に提示された過去ログやURLぐらいは読んでから発言してほしいと思ってしまうのはノスタルジーなのでしょう。

文化の衝突

 その辺の話をブログで考えると「読者を向くのか」「自分を向くのか」という話にもなります。新しく来る読者の事を考えれば書き手のうんざり感は関係ないし、自身の事だけを考えればわざわざリンクを貼る必要すらありません。もっとも「未来の自分は他人」だという前提もあります。

 これが書かれたのが2010年の事なので、感覚がアップデートできない私の方がおかしいのだろうと思う事もあります。

 そういえば、何か新しい分野に顔を出すとき、自己紹介だけでなくモノの聞き方や基礎知識に関する素養をあまり問われなくなった気がする。気がするだけであって、実際は考えすぎなのかもしれないが、昔は半年ROMれとか平気で煽られたのを良く覚えてる。

 良く考えると、MLとかでも「それはこの本を読んでから議論してください」というようなことを言わなくなった。徹底的にスルーするか、短い反応を返す程度だ。twitterでも「これだけは知っててください」とか書かない。ていうか、流れていくので書きづらいってのもあるけど。

「過去ログ嫁」文化の喪失がネットを一般化するのか: やまもといちろうBLOG(ブログ)

「分かるひととだけ繋がりたい」からこそ母数が必要というジレンマ

 ところで、「過去ログ嫁」というのは「過去ログ読め」の異表記であるのだけど、これは前提知識が無くても殆どの人が分かると思います。これが「今北産業」だとぐっと減るでしょう。そうなった時に、「後者が分かる人とだけ繋がりたい」と思ってしまう傲慢さが正直な事を言えばあります。

 『本当に大切なことなんてブログじゃ語れないから、ストレッチプラムと冬木スペシャルには「指一本分の角度の違い」があるって事を語りたい - 太陽がまぶしかったから』を書いた時に、以下のコメントがついて、「これだよ!」と思いました。

この喩えが通じる人なんて、はてなに10人ぐらいしかいないだろ。冬木は亡くなってもう10年だし、川田はもうレスラーじゃなくてラーメン屋(本人は飲み屋って言ってるけど)だよ!

 はてなの10人のうちのひとりに届くかもしれないし、届かなくても良いという淡い期待。それは実存を賭けるような事じゃないからこそ出来ることです。PVそのものには殆ど興味がないけれど、到達可能性のためには「母数も必要」という話はそこから来ています。でも、そういう諦観を前提とした淡い期待みたいなものが他者から見るとよくないのかもしれないと思う事もあります。

 もちろん、その10人じゃなくたって意味が見いだせるように努力しているつもりですが、ここについては自分の中でもジレンマがあって、2回目以降なら「嫌なら見るな」が言える一方で、必要のない人に1回目が届いてしまった時については申し訳ない感覚もあるので、脊髄反射的なレスそのものについては仕方がないと思っています。

既に「別のスレ」になっていた

 そういう前提において、このブログへの言及は既に「別のスレ」の話になってしまったのだろうと思えてくる所もあります。当初はそれが分からなくて混乱していました。端的に言うと「ネタになりつつも当事者ではない状況」が増えたように思うのです。

 冒頭に書いた「そのスレで既に出された議論を繰り返さない」というルールは「参加者の大多数が既に経験した話を繰り返すな」ですが、参加者は既に入れ替わっています。

 また「ループに巻き込まれる大多数の当事者にとって初めての事であれば同じ議論にも価値がある」というルールにおいても、「作者の私にとっては繰り返しだからいちいちループするな」というのはスジの悪い特権であるとも言えます。あまりに「書いてない事」や「事実誤認」を前提に話が進むから言いたくなっちゃうのだけれども当事者性を捨てた方がよいのかもしれません。

 その辺は作者と作品の独立性の話にも繋がるのかもしれないのですが、そもそもパーソナルメディアは「作品」なのかという点についてはまた難しいわけで、正解はなかなか見つかりません。

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