太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

結果から逆算して「本気」が決まっている

photo by Magnus.

リブート

 朝風呂に入り、無精髭を剃って、ストレッチをし、室内自転車を漕ぎながら読書。そろそろ「げんじつ!」に帰るための準備をする。人生でもう何度繰り返したか分からないリブート作業。結局のところで予期的社会化活動が入ってくるので、完全に休める期間は短い。毎年「本気を出そう」と思っても出せないまま終わっているし、ここ数年は完全に諦めている。まぁ適当にやり過ごしていくのだろう。特に本気を出せないままでも生きていける僕や社会は案外捨てたものでもない。

一月  今年も始まったばかりだし、二月から本気出す。
二月  なんか二月短いし、三月から本気出す。
三月  春休みの学生ウザイから、四月から本気出す。
四月  あんなに頑張って咲いた桜も散って寂しいから、 五月から本気出す。
五月  俺って五月病らしいから、六月から本気出す。
六月  雨降って鬱陶しいから、七月から本気だす。
七月  大好きだったアニメが終わっちゃって寂しいから 八月から本気出す。
八月  甲子園見ると欝になるから、九月から本気出す。
九月  残暑がウザイから、十月から本気出す。
十月  野球が終わって清々したから、十一月から本気出す。
十一月 部屋に篭って勤労感謝しなきゃならんから、 十二月から本気出す。
十二月 今年も終わりだし、来年から本気出す。

 しかし「本気」という概念は難しい。何をもって「本気」と言えるのだろうか。これは「真剣」という言葉についても言える。消費リソースの多寡の問題はあるだろうが、休憩している時にこそアイディアが出てくる事が多く、集中しているフリをしている時は逆に手持ち無沙汰な事が多いので外形的な判断は難しい。

結果から逆算して「本気」が決まっている

 むしろ、結果から逆算して「本気」が決まっているのではないか。そういうの事は歴史であれなんであるよくある事だ。本気だから上手くいった、本気を出してないから上手くいってないと。一方で消費リソース量に応じて「本気」を定義しても「最低作業量」さえ超えれば殆ど相関していないのが現実である。そういう意味では「本気だからどう、本気じゃないからどう」という議論そのものにあまり意味がないと思うのであるが、言いたくなってしまうのは何故なのだろう。

 なにか新しい事をはじめようという気持ちが今のところは薄らいでいる。一昨年ぐらいからやる事を増やしすぎてしまった感もあるし、仕事や体調の問題もあった。それらの問題については徐々にマシになっている感覚もありつつ、何も予定を入れない休日が愛おしくなってきてもいる。この「はじめる」というのは、別に大袈裟ものではなく、むしろ「本気ではない」程度の習慣を作るぐらいで丁度良いのだろう。「次のなにか」に繋がるかどうかは運次第。たまたま上手くいったらそれらしい言い訳を考えよう。

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