太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

今年も1%が終わったワケだけど、進捗どうですか?

なぜ,仕事が予定どおりに終わらないのか?~「時間ない病」の特効薬!タスクシュート時間術

今年も4日目が終わろうとしている

 今年も4日目が終わろうとしている。実家から部屋に戻ってきた。『早くも2014年が終わりつつある件について - 無限の地平はみな底辺』に書かれていて気付いたのであるが、既に1年365日のうちの1%以上が消化済なのだから、今年になってからした事の100倍以上の事をしようとしても難しいという計算になる。「明日から本気を出す」のでは難易度がちょっと高くなる。

 昨日の『他人の言葉であれば断言できる(と、内田樹が断言してるから)断言する - 太陽がまぶしかったから』ではラカンの孫引きで「他人の言葉」について書いたが、「人間の欲望は他者の欲望である」と書いたのもラカンである。他の誰かが抱いた欲望を見ているからこそ発生する「欲望」は多い。

 これはルネ・ジラールの言うミメーシス欲望とも絡んでくるのであるが、それとは別に「異常な欲望を持っている」と外形的には判断されないためにも有用ともなっている。小学生が真から望んで「ジャンボジェット機のパイロット」になりたいなんて事は殆どなくて、この頃から抱く欲望の形は共犯的に矯正される。

普通って言うな

 最近は『「普通」という概念のスタグフレーションと「普通」ハラスメント - 太陽がまぶしかったから』のように「普通との差分」がひとつの欲望の定義に利用されているし、「普通ハラスメント」として他者からの矯正にも利用されている。他者の欲望をどれだけ満たそうが満足感からは遠いのであるが、「あるべき姿」はそうやって決まってしまいがちだ。

 目標を定義するという事は「自身の欲望」を定義するという事でもある。しかし、その欲望はどこから来たものだろうか。周りが言ってて自分も出来そうだからで選んでないよね? 真から望む欲望であれば、既に1%以上のマイルストンは超えたよね? 進捗どうですか? なんてのは大きなお世話だし、大きなブーメランが自分に刺さっている。

今日のお言葉

 シニフィエ(所記)とシニフィアン(能記)。エクリチュール(書き言葉)とパロール(話し言葉)。理想を言えば「エクリチュールの快楽」を追求したいという思いはあって、心地よさを損なわないギリギリの不協和音を作ることを目指している。駄洒落や命名をフックにするのはいまだに有用である。

 「はてな」という固有名詞はエクリチュールに利用するシニフィアンとしては使い勝手が悪い。日本語において「は」は接続詞に利用されており「エクリチュールの快楽」を阻害する。これはブログサービスとして割りと致命的な話なのかもしれないと思うけれど、別にどうでも良いのかもしれない。

 本当は音読をしたりしてからアップした方がよいのだろうけれど、最近はあんまり練ったり、見直しをしないで書いている事が多い。ライブ感や話が飛んで行くダイナミズムを重視したいところがある。これも結局は誰かの欲望なのだろうけれど、それで身についたものは本物だし、満たされる部分がほんの少しでもあるのなら別に良いのかもしれない。

 本当に今年になってからした事だけで満たせるのなら最高だけど、それじゃあ食べていけないので哲学的ゾンビパウダーを呑んで文化的に65%の自殺をする。30%の生活と5%の貧血性の火花をともなった、なかば醒めた昏睡状態のために。

湖の騎士のエクリチュール ―詩以前のこと―

湖の騎士のエクリチュール ―詩以前のこと―