太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

僕が眠り続ける事を保証するためにこそ社会に「過剰」を作りだしたい

人生のエコノミークラス

 早起きして出張してくると眠くてたまらないから池田仮眠になる。自身の単価計算と再生産コストを計算すると計算がおかしい。お金を使う事は基本的にダルい。眠いのに遊ぶのはダルいし、本を買って読むのはダルいし、良い食べ物や飲み物は時間をかけて摂取する必要があるからダルい。

 ただ眠り続けていたい。眠り続けていればお金を使う必要もあまりない。それなのに眠り続ける事を保証するためのお金は財布に入っていない。「人生のエコノミークラス」をもう少し整備する必要がある。

ほめること

 ほめるという感情表現が下手で損をしていると思う事は多い。僕は『下位承認欲求とコモディティ化願望 - 太陽がまぶしかったから』が強くて、唯一無二みたいな存在になりたくない。なのに、ある程度の特異性はないと楽に食べていけないというジレンマがまだまだあって、社会にはもっともっと剰余を作ってもらわないと困る。

 それはバタイユの言う「過剰」だ。太陽による贈与に見返りは必要か? 風の流れによる贈与に見返りは必要か? 剰余は一定の範囲を超えると「過剰」となり、それは純粋贈与に変質する。「希少な資源の配分」という問題から「豊富な資源を作る」という問題へのパラダイム・シフトとして話していた事だ。だから僕以外の人にどんどん調子に乗って価値を創出してもらいたいと思っている。

承認をケチらない

 そのために僕ごときの承認をケチるべきではないのだろう。それでも目に見える承認を安易に使えば価値が暴落して効果が薄くなってしまう。むしろ「その程度の事」で良い人ばかり活発に動いてしまうのは社会的損失であり「過剰」を遠ざける。

 「ほめる人」だからこそ、おもしろさや才能について正直になる必要があり、ある種のツンデレであったり、形あるものを贈ったり、時にはプロレスの噛ませ犬になるのも良い。僕の人生をエコノミークラスにするためには、「過剰」がもっと必要だ。そのために効率のよいエンジンやガソリンを考えていくべきなのだろう。

呪われた部分 有用性の限界 (ちくま学芸文庫)

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