太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「気分の問題」を馬鹿にすべきではないのだろう

photo by Photosightfaces

適者生存に負けた

 今日は何も予定がないので、部屋を片付けたり、ぼんやりしたり、久々に長文エントリを書いたり。結局のところで「出会いに感謝」「地元リスペクト」みたいな事に対する理論的強度を言っていて、三十路前後で色々と失ってこじらせるとこうなっちゃうんだぞ。とは言え『ご存知でしたか 日本人の9割がヤンキーになる 1億総中流の時代はよかったなぁ | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]』みたいな話もあって、「適者生存」に負けてしまったのかもしれないという感覚もある。

 まだなんとか合コンや若者が中心の会などに出没しても許されるんじゃないかとか思いつつも、これが40にもなれば恐怖心があるし自重もする。よくも悪くも「一回性」の楽しさや価値創出などに最適化するだけじゃなくて、「継続性」も見越した緩さを考えたいという意識はある。自分が求めている事と、相手が求めていること、第三者が求めてる事は違っていて、相手と第三者ではうまくやっている可能性があるという素朴な前提について認められない人の呪詛は誰得なのだろると思うことがある。

 完全に孤独になったり、町内会やカルチャーセンターに顔を出すルートもあるんだろうけれど、なかなか難しいところだ。でも本当に地元のコンビニで働き始めたら、よくも悪くも中学校の時の同級生と再会したりだとかが起きそう。そういうのって『車輪の下で (光文社古典新訳文庫)』の後半部分っぽい。

「気分の問題」を馬鹿にすべきではないのだろう

 夕飯は松屋の味噌漬け豚バラ焼き定食。味噌と豚はやっぱり合う。うまいなー。こういう味付けの濃い肉で、ご飯をバクバクみたいな定食を食べると、なんだか「生きてる」って気分になる。特に根拠はないんだけど気分の問題。

 でも、結局のところで「気分の問題」を馬鹿にすべきではないのだろう。工夫しつくして自分の能力の限界を突破するような方式を編み出すよりも、気分が悪いからと能力が適切に発揮できない状況の方がトータルでの損失が大きい。例えば寂寥感はちょっとした事で解消されるけど、だからこそ「ちょっとした事」を定期的に起こすような仕組みは別途必要になる。そこには「仕組まれた偶然」というか単純な乱数を用意しておくだけでも違うのだろう。

今日のお言葉

 それが本当に価値があるかとか、自分にとってプラスになるかということじゃなくて、「おもしろいか、おもしろくないか」だけ考えるのも良いのだと思う。なんていうか、結局のところで「気分の問題」にすぎない事について、あれやこれや付随してくることで、気分が疎外されれば私にとっての主観的な価値は著しく下がる。

 他人に束縛されるのは嫌うのに、誘い受けには弱いところがあって、こちらに選ばせてくれるなら手弁当でやるどころか、むしろ支援金を送ったりもした。でも相手から出せと言われたら絶対に出さないみたいなところがあって、そこは我ながら酷く決断主義的でどうなのかとは思う。

 「私の決断」が含まれれば、それが客観的には少々間違っていても「正しくなる」ように支援してしまうけれど、「他人の決断」であればやっぱり他人ごと。それは全く「気分の問題」なのだけど私を動かす時には有効な話になっている。

気分上々↑↑

気分上々↑↑

  • mihimaru GT
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

関連記事