太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

白いカラスについて語るときに僕の語ること

photo by waterrose

ここにあるぞ!

 「こういうのあったら良いよね」といった事について「ありえない」「できない」と否定されるとカチンと来た勢いで実際に作ってみせて「ここにあるぞ!」と言いたくなる。この場所でも幾つかの事について披露した。

 物理現象としてありえる事にも関わらず、「出来ないこと」は権限か能力か動機の何れが欠けている。殆どの人には法律を変えるほどの権限はないし、実際に出来る事も限られているが、それでも「動機の問題」である事が多い。

 もちろんXをしたらYができないというバランスの問題で「できない」と言っている可能性もあるし、「今の能力では出来ない」という揺らぎもあるのだろう。ただ、「ありえない」と否定するのであればなぜ出来ないかについて明確にすべきだ。

したくないこと

 それが「作る必要性を感じないから」であるのなら「出来ない」のではなく「したくない」だ。それらの意見については大いに尊重するが、他者の機会費用や動機も同じ事情であるという短絡はすべきではない。

 白いカラスを否定したいのであれば「ヘンペルのカラス」を使う。これは「カラスは黒い」≒「白いカラスはいない」を証明するために、「全ての黒くないものはカラスではない」を証明するということだ。それだけでは事実上実施不可能となるが、「この箱の中にいる全ての黒くないものはカラスではない」によって「この箱の中に白いカラスはいない」を証明することは出来るし、「黒くないカラスは本当のカラスではない」を使う事もできる。

 ちなみに「白いカラス」は殆んどいないけれどアルビノ種として実在するし、羽に白いペンキを絡ませることもできる。友情に恋を絡めるべきではないからこそ深く絡まる時もあるように。

黒くないカラスは本当のカラスではないのか?

 「黒くないカラスは本当のカラスではない」という論法は厄介だ。単なるトートロジーではあるのだけど、そこに一定の正当性があるように見えてしまう。そこには「法律」や「私の」箱がある。「私の中にいる全ての黒くないものはカラスではない」から「私の中に白いカラスはいない」は正しい。

 でも、だからこそ、他人の箱を広げたいという欲望を抱いてしまう場合もある。それは全く余計なお世話であり、自己満足で醜悪な行為だからこそ、その欲望を捨て去ることもできない。5%の冷たい火花を伴った半ば醒めた期待。殆んどの僕らは殆んどの僕らにとって何者になる事も出来ない。

今日のお言葉

 手帳では昨日の言葉と今日の言葉が逆になっている。手帳上では1/19のお言葉であるがTwitterに準拠して書く。「寒さ」というのものは「暑さ」に比べると汗をかいたり熱中症になったりする明白な身体変化は少ない。それだけに我慢しようと思えばできるものと思えてしまう所もある。もちろん「慣れ」や体質の問題もあるのだろうし、程度の問題もあるのだろうけれど。

 子供は風の子だなんていって冬に半裸で走り回っていたのはなんだったのだろうと思う事がある。僕は季節性情動障害の疑いがあって、冬になると活動可能量が著しく下がる。逆に夏は躁状態に近い。そういうのもあって「一定のエネルギーを必要とし続けるものは続かない」という経験則ができる。

 「できない」ではなく「しない」。「しない」ではなく「できない」。そんな言葉遊びはどうでもよいのだけど、これは「能力」の問題であるという自覚がある。「冬眠」制度が真剣に欲しい。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

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