太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

好奇心を他者にアウトソースして発展する氷菓経済社会

photo by Some Pretty Things Photography

他者の欲望に突き動かされる感覚

 僕がネット上の最新情報をあまり読んだり書いたりしなくなったのは、「そこにイッチョガミしていっても何も蓄積されないという危惧を抱いた」が公式見解であるが、それをジグソーパズルのように分解していくと「他者の欲望に突き動かされる感覚」というピースがある。

 もちろん、それが悪いと言いたいわけではない。あまり精神状態のよろしくない女子に振り回されていた時などは、むしろそれがありがたいと思っていたし、実際に身体が動き始めればなんとかなる場面も多かった。「出来るか出来ないか?」ではなく「したくない」だ。

 僕は殆んどの不条理を不条理のままにしておくし、異教徒の奇行に口を出すこともない。誰かを救えば、誰かが救えないなんてカノン問題に悩むぐらいなら全員に寄与したくない。僕に必要なのは食事と睡眠と古典と音楽と日記帳。それぞれの質が高ければ高くなるほど良い。テレビは元々家にない。

「わたし、気になります!」と割り込んでくる氷菓経済社会

 それでも「わたし、気になります!」と割り込んでくる存在がいれば、レンジフードの汚れが気になるように急激に優先順位が変わってしまう。もちろん「評価」を求めている部分もあるが、唐突に湧き上がってきた「気持ち悪さの解消」のようなものだ。

 彼女が欲しいのは「問題解決」ではなくて「共感」であることぐらいは理解している。それでも僕を突き動かすのは「この不条理は不条理のままにすべきではない」という動機の理不尽な発生。このようにして発展するのが「評価経済」ではなく「氷菓経済」とも言うべきものである。アイ・スクリーム。ラウドマイノリティの勝利の鐘が鳴る。

 でも、マス・コミュニケーションによって提供されるそれは主観的に「割り込まれた」と感じるだけであって、むしろ僕以外の複数の人間が嬉々として取り掛かる凡庸な問題設定である。そんな所に入り込んでも投下資本に見合う寄与は見込めないし、得られるものも限定的だ。優先順位としては最低に設定しておいて、あらかた片付いてから見に行けばよいのだろう。

僕にだけ割り込んできてほしいという欲望

 僕にだけ割り込んできてほしいという欲望にまつわる分不相応な期待とそれが達成された時に感じるであろう倦怠感。僕が敢えて解決したいような事はあまり増えない。でも好奇心すら他者にアウトソースしてしまえば増えることは分かっているし、それによって突き動かされてきた事も知っている。

 他人の欲望のままに生きていく道もあるのだろうし、それは色々な要因で配分が変わっていくのであろう。どんな事も極端にすればよいということでもない。氷菓経済の発展はなるべく僕と独立して勝手にやってくれればよい。僕は殆んどの不条理を不条理のままにしておきたい。

氷菓 (角川文庫)

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