太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

青年期の終わりとデカダンス・ワンダーランド

photo by stewickie

 粘土のような味がする作業。『7つの習慣-成功には原則があった!』によれば「やること」には緊急度軸と重要度軸があるという定義がなされた。すなわち、緊急だが重要でない事や、緊急ではないが重要な事もある。「他人の欲望」によって発生した緊急だが重要でない事に取り掛り続けているうちに心臓が徐々に止まっていき、最後に重大な誤ちに気づくという寸法だ。

 水槽に砂をいれてから石を入れるのと、石を入れてから砂をいれるのでは全体の格納量が変わる。ここで粘土の扱いは微妙となる。先に粘土を詰めて後から石の重みで押し付けた方が効率がよいのではないか。そもそも水槽に多く詰め込めたところでどうということもない。後片付けが大変になる。

 神を殺し、愛を嗤い、夢を捨てた・・・なんて大仰しいことをしなくても凡庸が服を着ているような僕に重要なタスクは殆んどない。毎日寝ていてもよいし、トラックに跳ねられればそれで終わりだろう。「なくても良いが、あったら少しだけマシになる事をしよう」というのが僕のドクトリンである。

 部屋から一歩もでなくてもしばらくは食べていける程度の資産はあるし、太陽は今のところ無料だ。猫の手を潰すような悪意を含んだ世界に「デタッチメント」している限りは「無敵の人」であり、羊を探すような他者の欲望によって35%の自殺をしても65%の自殺をしてもあらゆる要素に殆んど差異はない。70%は分からない。

「誰にでも失いたくないもののひとつやふたつはあるんだ。君にもね」と男は言った。
「我々はそういったものを探し出すことにかえてはプロなんだ。人間には欲望とプライドの中間点のようなものが必ずある。全ての物体に重心があるようにね。我々はそれを探し出すことができる。今に君にも分かるよ。そしてそれを失ってから、はじめてそんなものが存在していたことに気づくのさ」

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

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 僕にとっての「欲望とプライドの中間点のようなもの」はなんなのだろう。何かが抜け落ちているような居心地の悪さを感じて「戻れない楔」を打ち込めずにいる。そんな事を続けているうち物理世界では凡庸を極めたように暮らし、論理世界においてデカダンス・ワンダーランドに暮らす二重生活を営むようになった。

 村上春樹によれば「理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎないのだ」という。するりと抜け落ちたものを置いていけば僕の小規模(≒30%)な生活はたちまち危うくなり、そんなものが存在していたのだと気づいて泣くのだろう。そうなると生活は少し高く付く。

 文章の上ではポジティブになる事もできれば、ネガティブになることもできる。「両手じゃんけん」を使えば僕以外の変数もある程度までは動かせる。でも「ツマミ」を回せるからといって、どう調律すればマシな音楽が奏でられるのかは別問題だ。その場でグーを出させてもチョキを出させても最終的な結末は何も変わらないという宿命論に苛まれたり、より酷い結末を呼ぶのではないかという問題に苛まれる。

 引火した天麩羅油に水をかけるのは二重の錯誤であり、第三者に見せれば三重の錯誤になる。自身の文脈でのみ一方的に成立したと思い込んで展開されるコミュニケーションこそがハランスメントの本質であり、明確な悪意が見えないからこそ強固に追い詰めることになる。理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。サバルタンは「太陽が眩しかったから」とせめてもの抵抗に呟く。

 惨劇は環境管理によって偶発的に見えるように回避すべきだ。それでも猿がタイプライターを打った所でシェイクスピアの戯劇を打つ可能性は殆んど・・・ほぼ確実にない。ある程度まともに動作する事が期待できる乱数を「ニンゲン」と呼び、「ニンゲン」が通る可能性のある道を除雪しておく事を「文化的雪かき」という。

 ここで話は戻る。すなわち必要なのは殆んどない事(≒5%)に辿り着くまでに必要な「ありえた自分の死体」が積み重なった山であり、5%の論理ゲートを維持するための作業を黙々としておくことだ。それはスタージョンの法則でいうところの90%のカスの山であり、5%の冷たい火花である。灰色の山。

 デカダンス・ワンダーランドの住人は比較的簡単に死ぬ。自殺、心中、頓死、病死、他殺、事故死・・・そんな劇的な理由は必要ない。スペランカーのTAS作成動画を見ているかのように死んでいき、蘇り、また死んでいく。川に溺れた死んだハンス青年を頽廃に満ちた目で見送りながら、次の試行を続ける。「またダメだったよ。あいつは人の話を聞かないからな」

 この事について「幻想だから全く価値がない」と言い切るつもりはなくて、いつも「殆んど価値がない」と表現している。これには少し(≒5%)の価値はあるという意味も内包している。そもそも殆んどの物事について殆んど価値がないというのは当たり前の事実であり、何かを特別視するような話ではない。スタージョンの第二法則。

 殆んど価値がないものについて、その基盤を使ってゼロと言い張るのも、それのみで満たせると妄想するのも無理筋である。文明とは伝達であるのだけど、すべてが伝達されるわけではない。呪術的な扉から覗く「氷山の一角」の羅列を頼りに照らしだされた「正しく語られなかった部分」にこそ文明の本筋がある。

 私は「『僕』は嘘つきだから気をつけろ」と私に言い聞かせるが、「僕」を黙らせてしまえば「氷山の一角」が失われる。それは「こちら側」におけるエゴの消失であり、「あちら側」におけるエゴの拡大である。「こちら側」に不可視なままに拡大されたエゴは実際的な疎外をそれと意識せずに為してしまうのに、伝達手段を失った文明は終ってしまう。パチン・・・OFF。

 それぞれの問題にはそれぞれが向き合うしかない。その態度が許されないのは「私たち」になったときだけである。それには紐とボタンが足りない。残る余地は本質的な問題ではないことについて先回りし結果としてそれぞれの問題に向き合う資源を増やす部分にある。その剰余資源が意図した部分に割り振られるかは別問題なのだが、そこに必要なのは否定ロジックの先鋭化ではなくオルタナティブへのプレゼンテーションである。

 粘土のような味がする作業は心臓にへばり付き、僕の血流を弱くしていく。あと何%まで自殺できるのか。薄汚れた水槽を覗きこむ。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 全2巻 完結セット (新潮文庫)

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