太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

ファンタジーを生きる

 10年ぐらい前の地方都市のが合っていたのではないかと思う事がある。それなりの都会に生まれて、それなりの都会で過ごして、でも男子校で、理系で、何も無かった。周りも殆んどがそうだったから焦りもしなかったし、そんな事よりゲームだった。

 その頃に誰かが感じていたであろう感覚は絶対に味わえないのだろうし、だからなんなのだろうとも思う。『キミキス ─various heroines─ 1 (ジェッツコミックス)』も『ゼロの使い魔 (MF文庫J)』も僕からの相対距離はおんなじぐらいだ。本当の事を言うと何も危機感を感じていない。

「ウータン・クランはちょっとファンタジーの世界に生きてんだよね。仲間内でここは少林寺なって設定作って、勝手にいい感じの世界に転換して生きてんの。本当の日常はクソなのに、自分たちはその脳内設定で世界を見てるから、どれだけ最悪でも耐えられるっていう」

ここは退屈迎えに来て

ここは退屈迎えに来て

「いつか」「どこか」を買ってに切り替える

 それでも家族連れでイオンに行って、自分はジャージで嫁は茶髪のちょんまげでなんて世界線を想像することもある。「クソみたいな日常」すら営めなかった僕は、「いつか」「どこか」を勝手に切り替えて転換するしかないのだろう。

 地方都市でのくすぶりを経験すべきだったのかもしれないし、「上京」や「帰郷」といったイニシエーションがあって割り切る機会があれば、なにかがあったのかもしれない。平坦な道を進んでいれば、あっという間に時間は過ぎる。平坦すぎる僕は「ポエム」に生かされ、「ポエム」に殺される。

ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか

 たぶん「どこかには、ある」でしょうね。あるいは「いつかは、あった」でしょうね。茶髪でちょんまげの彼女とも「いつか」「どこかで」破局したのかもしれない。本当に経験していない事と、忘れてしまった事の相対距離はおんなじぐらいだ。

 僕は「いつか」「どこか」を勝手に切り替える。どれだけ最悪でも耐えられてしまうのは果たして幸福なのだろうか。僕はハルケギニアに召喚されるのを待っているわけでない。ここは既に四畳半のハルケギニアなのである。ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか。


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ゼロの使い魔 (MF文庫J)

ゼロの使い魔 (MF文庫J)