太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

クサイものには蓋をすべきか? または14番目の問題について

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クサいものには蓋をすべきか

 「こういう事は言うべきでない」という形で「臭いものには蓋をすべきか」というのは難しい問題である。例えば「偏見をおおっぴらに言うな」という睨みが効きすぎれば、偏見を治す機会が奪われて実際的な行動に織り込まれる可能性が増えるし、そのまま歳を取れば依怙地になるから状況が悪化する。

 本来的に必要なのは「安全に痛い」場所で、失敗したら痛いけれど、そこで終わるようにしてやることだ。とはいえ炎上を煽るななどと言っても無理筋なわけで、LINEやsnapchatなどの限定公開かつ時限式のインターネットの必要性が高まるのだろう。それかOFF会で下衆な話をするとかね。

 要するに言えば「リアルの不便さ」を敢えて残して、「蓋を半開き」にできるかが焦点になる。『インターネット的 (PHP新書)』で指摘された思想とは逆に回帰する範囲が増えるというのは一方では順当な進化だし、一方では退化でもある。地獄インターネットは人類には早すぎたのかもしれない。  

ξブロガー

 もうひとつの方法として「あまり重要でない事を話す」という戦略がある。「ξ」とはギリシャ語における14番目の文字であり「クサイ」と読む。α、β、γと続いてξまで言うのはなかなか大変なのにも関わらず、このぐらいの優先順位の問題は何かをきっかけにして一気に当面の自意識を占領してしまう場合がある。しばらく経ってなんであんな事に・・・とシオシオと醒めていく。

 僕が公開で書くような話もやはり「ξレベル」ぐらいの位置づけのことが多い。何かを本気で動かすのであれば黙ってセキュリティーホールを突くし、完全に興味がない事ならいちいち書く事もない。14番目ぐらいには大切だからこそ、投げやりになったり、大袈裟になったりが同居する。炎上しようが大した問題ではないし、かといって完全に無視できるわけでもない。それで生きているわけでもないから誤りを認めやすくもある。

 この話は『「サードブロガー」が公式トピックになったけど次世代アルファへの成り上がり論みたいに誤解されている件について - 太陽がまぶしかったから』などにおいて何度も書いている。大きなリソースは賭けないけれど、負けるのはそこそこ悔しいし、勝ったらそこそこ嬉しい。どうでもよいけれど、こっちなら嬉しい。人生には殆んど影響しないけれど、だからこそ少しは影響する。これも「安全に痛い」という話だ。

幻想殺し<イマジンブレイカー>をするなら、その先も見据えてほしい - 太陽がまぶしかったから

 「安全に痛い」というのは本来「そこに甘んじるな!」という主張なのだけど、その幻想は心地良いシミュレーションとして役に立つ側面がある。微睡みから叩き起こす事を意図しながら、もう変えられない部分をなじったり、自己責任だと突き放すのは求められていることなのかを考える必要がある。

 αレベルの事案についてパフォーマティブを考えるのであれば、相手にとっての「ありたい姿」と「あるべき姿」の均衡が取れる点を読み取った上で、実現可能性と客観的な位置付けをリサーチし、根治治療と終末医療の配分を考え、どの言葉や形式を使えば伝わるのかを探る事が前提となる。

 その辺りを省略しながら「正当性とは別の権力」を伴った処方箋を出せばイノセントな相手にとっては「危険に痛い」に転じる呪詛として働く可能性がそれなりにあるのだから、基本的には蓋をしておくべきだろう。最後まで面倒をみるつもりなら良いのだけど。

今日のお言葉

 『生半端な知識や経験で作った独自理論を聞くのが結構好き - 太陽がまぶしかったから』の主張は我ながらギリギリである。答えのないジレンマに誘い込むということは考慮不足なままアクションを起こすぐらいならデタッチメントに持ち込んだ方が良いという諦観の意味合いも強い。

現代社会って少し質の悪い「余裕」を持て余している人が多いのではないかとも思うこともある。そんな時に「もうちょっと、もうちょっと」と語りたくなるコミットの皮を被ったデタッチメントの運動量を発生させるような「罠」を用意しておくのは、ひとつの社会貢献であろうとも考えている。

 パーキンソンの凡俗法則でいうところの「自転車置場の色の議論」を敢えて魅力的に見えるように設定するのは終末医療としては福祉であり、根治治療には害悪である。しかし、一定までの経験であれば安全に痛いシミュレーションにはなるという事実にも眼を向けたい。

 そして他者からの直接的な根治治療を望む人は少ないし、それはリンダ・グラットンのいうところの「自己再生のコミュニティ」に求められる機能でもないように思われる。本質的な部分は公開されてログが残るような地獄インターネットの外側に用意すべきであろう。

世界と向き合う戦略

 これに対抗する手段のひとつとして「文化的雪かき」によって「一部のξレベルの問題をターミネート」し、それによって得た機会費用を配分してもらうという戦略を考えている。αレベルの問題について直接的な寄与はしないけれど、割り当てられるリソース量が増えれば倫理的問題を回避しつつ実現可能性を高める事ができる。

 別に全員がプログラミングをできる必要なんてない。そうやって微々たる削減をしていこうが、大半はデタッチメントの運動量に消化されるだけなのだけど、そこを通り抜ける事に少しの期待をしている。安全に痛いシミュレーションを経てから取りかかれば、少しだけマシになる。まぁ、そんなクサい自意識にも蓋をしておくべきなのだろうけどね。

金田一耕助ファイル1 八つ墓村 角川文庫

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