太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「オタサーの姫」はむしろホモソーシャルチキンレースを劇化してたという側面もある

げんしけん 二代目の七(16) (アフタヌーンKC)

オタサーの姫

 ちょうど『げんしけん(1) (アフタヌーンKC (1144))』を読んでいる。オタサーの姫問題については色々とあるのだろうけれど、自分の中ではむしろ逆の解釈をしていた。ホモソーシャル的空間で牽制し合ってるなかで、誰かが抜け駆けると模倣欲望による競争が生まれて「絶対に負けられない戦いがここにある」になっちゃうだけという場合がある。その時に「姫」は完全に代替可能であり、むしろホモソーシャルチキンレースは劇化していた。

ホモソーシャルチキンレース

 別に「姫」の事がすごく好きってわけじゃなくても、一旦誰かの好きバレがあると「じゃあ俺も」って同調がしやすいし、それよりもなによりも内部的に「格差」が生まれることに対する恐怖心が強かったように思う。もし内部的に「格差」が生まれるのであればそれは激闘の末に生まれるべきであるという思い込みもあって、姫側の意志は関係なしに河原で殴りあって「おめぇつえーなー」「おまえもな」っていうオチに向かうように動いて、そんな事をしているうちにどちらも愛想をつかされて現状維持に戻る事をメタには望むという残念さ。サークルクラッシャー・クラッシャー。色々最低だ。もちろん「外側」で彼女を作ってくるのはむしろ祝福する。

 「絶対に負けられない戦い」なんて敢えて意識しようするなんて実際には「麻雀で負けたくない」程度のアイロニー含みの没入なわけで、当事者に失礼すぎるよね。その一方で心意気はともかく事実としてアカン人もいるわけで、まぁどっちもアレなんだけど。

 姫はどうでもよいけど勝負に負けるのは気に食わないだけなんだなってのに気づいて流石に現実的な行動はしなくなった。仮に勝っても全員不幸になるし。とはいえ離婚に限らず、そういう話を聞くのに慣れてしまったところもあって、「戻れない楔」なんて本当は殆んどないってのも分かっているから、ある意味では潔癖症なのだろう。

ゴールを保守すること

 もともと、「ゲーム」と認識したものには大人気ないぐらい本気になってしまうのだけど、一過性では終わらない報酬には憂鬱になるし、相手の気持ちありきってのがあるから、関係各位に迷惑が掛かるような事については必要以上に自分を良く見せないようにしたり、「期間限定」を明示してるところはある。本当はできるだけ良いプレゼンテーションをしつつも、それを保守していったり、維持していく事を無理やりにでも身につけたい。「現状維持」に対する欲求が非常に強いからこそ、変わりつつあるものを「現状」として定着化するのが苦手だけど、定着さえできればなーっていうのはある。

 できるだけ開始時と平常時の温度差をなくすというか、自然な感じでってのもある。最初の段階で変に苦労したり、させたりがあると、そこまでで達成感が生まれてしまって、その先はあんまりよくないという経験則。だけど物語はそれを求めてるし、そんな心意気じゃあ上手くいかない部分もあるんだなーっていうか、そんな話をしてて良いのは25歳までよね感。「アラサーの姫」を奪い合うとかの地獄絵図はナシで。

アラサーちゃん (ダ・ヴィンチブックス)

アラサーちゃん (ダ・ヴィンチブックス)