太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

はてな村オンラインの威信値を貯めてもモテないわけで

photo by funkeemunkeeland

一貫性の問題

 僕自身はある文章を読む時において、その文章内での一貫性しか気にしていない。当人がクズであるかは関係ないし、過去の話も関係ない。少なくとも、ある文章内で真っ当な事を言っている時に、「でもお前無職だろ」「でも昔こう言ってただろ」みたいな煽り方はマズイと思っている。

 それを言うのはそれを武器として使わざるを得ない状況の時だけであろう。とはいえ他人を名指しするのであれば、相応の論拠や前提のすり合わせは必要であって、それが雑であれば泥試合になるのもいた仕方ない。

 実際問題としては、そもそも論理矛盾を突くことによって価値がなくなるような「論」の域に達してない文章の方が多いのが実情である。しかし、それはそれで価値があると思っている。殆んどの文章は互いのブレストのための部品にしか過ぎなくて、論そのものの正当性についてはある意味どうでも良いという割り切りがある。

物語の整合性より、くぐり抜けた後の現実変容

 物語の価値は整合性ではなくて、くぐり抜けた後の現実変容にあるわけで、論理的に見える事はそのフレーバーの一部に過ぎない。そうはいっても「物語」とみるか「論文」にみるかの違いはあるのだろう。なんだんだいって本質的には場への疎外が前提にあるからこそ優しく接しているところもあって、そうでない人は良い意味でも悪い意味でも期待をしているのだろうと思う。

 ここのパラダイムの違いは別にすり合わす必要もない。少なくとも僕はその場の気分で誰かになりきって書いていることのが多いし、「僕」は「私」ではない。過去との一貫性はあくまでフレーバーであって、それ以上でもそれ以下でもない。むしろ「一貫性の原理」による固定化を批判している。そうはいっても毎回違うことを言う人について話半分になっていくのは事実だ。

 過去との一貫性を保つために面白くない話をされても困ってしまうし、良心的な人ほど口を噤む状況がよいとは思えない。それに「考えを変えないのが正義」となれば、直接的に対話をする意味が殆ど無くなってしまうし、変化(≒成長)する機会を奪う事にもなってしまう。論破されて殊勝になる人ばかりなら良いのだけど、僕は逆だと思うことのが多い。

 そうは言っても、当事者間以外へのアピールも必要な場面もあるだろうし、変えたなら変えた理由まで知りたいところはある。はてな村オンライン的には威信値というパラメータがあるけど、一貫性のなさを責めるのは、それを高める方法のひとつなのだろう。でも威信値を極限まで高めてもモテないわけで、敢えて奪い合うに足るものなのかは微妙である。あと人を特定して嘘情報を流すのは普通に迷惑なのでやめれ。こっちも開示請求とかアカウント削除請求とかいちいちするの面倒だし。

モテキきてる

 昔のはてな村OFF会内の空間ではブログの人気とその場でのモテが比例していた・・・と一部男性ブロガーの中だけでまことしやかに信じられていたという話が超面白かった。じゃあ、ちょっと前までモテモテだったはずなのにオカシイナー。「歌ってみた」とかのが良いのだろう。31歳フリーター。希望は、ぱにょ。

 id:kyokucho1989 さんから『シアター! (メディアワークス文庫)』を頂きました。いつもありがとうございます。今後も『はてなブログで表示エントリのカテゴリに関係するエントリを「あわせて読みたい」として表示するウィジェット - 太陽がまぶしかったから』などを拡充していきますのでよろしくお願いします。匿名でチョコレートが届いたし、ある意味モテキ来てるのかも。でも、それで終了しちゃったら悲しい。

村上春樹はくせになる (朝日新書)

村上春樹はくせになる (朝日新書)

関連記事