太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

マスクの中身は「あちら側」にあるから僕は安心して髭を生やそう

photo by Tom Anderson

マスクをつけているときは髭をのばせる

 花粉が本格的に飛んできて目や鼻がしょぼしょぼする。会社にいる時にマスクをつけていられるので、髭を伸ばすチャンスでもある。髭については好きな人と嫌いな人いるが、伸ばすべきでないとされている文脈の方が圧倒的に多い。オシャレサブカルクソ野郎として考える時に、口髭や顎鬚が少しあると良い具合になるのだけど、なかなかできなかった。それで友人がマスクをしてればその部分はノーメイクでも会社に行けると言っていた事を思い出したのだけど、マスクの中身は「あちら側」に飛んでいて、観測するまで分からないという事なのだろう。

 シュルレアリスムにおいて利用される「デペイズマン」という技法は「異郷の地に送る」という原義であり「場違い」の演出を意味する。マスクという媒体を使うことによって社会性を保ちつつ仕事場での髭やノーメイクというデペイズマンを行う事が可能となる。そして、それを観測しているのは僕だけだという関係性において固有性が生まれてくる……まぁマジック・ミラー号とか勝負下着とかと構造的には同じ話なんだけどね。

ほぼ日手帳の「あちら側」と「こちら側」

 3月6日になって今年も65日間過ぎている。17.8%経過といったところである。開かれたほぼ日手帳の左側はいつの間にか結構な厚みになっていた。それだけの時間が過ぎていったということだろう。時間についても「あちら側」と「こちら側」があるし、現実と仮想でもなんでもよい。実際にはもっと暗黙的に、いつの間にか失くしてしまうものが多い。

 ほぼ日手帳には本当に日々のこまごまとしたことを書いてきたわけだけど、それはあちら側に消えつつあるものを、こちら側にとどめておくための試みでもある。左側に積まれた紙束は忘れてしまったものの羅列であり、観測することによって蘇る・・・こともある。試みることと、そうであることは必ずしも一致しないのだけど、そこに意志の残滓だけが残り続ける事だけは本当である。

今日のお言葉

 形あるものとして残るものは、その人が実際にどのような状態になっていても独立して意味を発し続ける。だから価値があるのか、それとも価値がないのかという事は言い切れない。社会的に理解可能ということはある意味では完全なる固有性がないということでもある。しかし、関係性と絶対評価のせめぎあいのなかで生まれたそれは当事者にとっては固有であり、価値があるということなのだろう。

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