太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

限られた空間で話すとゲス中二病を発症する件について

photo by schmetterlinh

限らた空間で話すと逆ベクトルに触れる

 ブログやTwitterで色々な事を書くようになると、限られた場所で話す時ほど、公開文章を別ベクトルで超えるように過剰にゲスで中二なモードになろうとしてしまうことがあって、それはそれでどうなのだろうとは思う。斜め上のサービス精神を発揮してしまうのだろう。それは、「分人」のようなもので、どちらか一方が「ほんとうわたし」というわけでもないのだけど、後者の方が本質に見えやすいという問題がある。「ゲスな側面がある」という命題は正しいけれど、「ゲスな側面がほんものである」わけではない・・・と思う。

 敢えて言葉に出すような事というのは本質から離れていて、いつだって僕は何かを隠すために言葉を紡いでいる。この「隠す」という行為は自分や他人が後から見つけるために行われる。「消す」のであれば最初から一切の言葉を紡がなければ良い。すべてが想定どおりで、すべてが演技だなんていうつもりもない。むしろ淡々と正直に「あちら側の影」を記録し続けていると思う。過去に誰かが破綻した自己療養の「試み」を繰り返すのは本質的には何も「試みていない」のと同じなのではないかと半ば諦観しつつも。

本当の自分の欲望なんて明確に言語化できない

 本当の自分の欲望なんて明確に言語化できない。そんなものは最初から存在しないのかもしれないし、言語化した瞬間にそうではなくなってしまうのかもしれない。「療養」とはそれが事実であるかにかかわらず言語化によって消し去ることを意味するのだけど、決して消したくはないという我儘がある。僕は結婚は人生の墓場殺人事件において「名探偵」を求めており、「名探偵」とは少ないエビデンスから正確に意図を読み取れる「コミュニケーション能力が高すぎる存在」のことなのではないか。

 それを待望することは巧妙に隠した本当の欲望を消し去らないままで捕まえてくれる存在を得るための「試み」であり、実現されない事は一方では明確に意識しているからこそ、僕は本気でコミットメントをしながら構造的にデタッチメントが行える。そんな事をいくら語っても騙ってもモテないから意味なんてないのだけどね。

 理想や言葉は本質的には無力だからこそ、はっきりとした形が欲しい。今はまだ「現実へのコンバージョン」がレアケースであるからこそ、誤ったサービス精神が発揮されやすいのだとも思う。リアルが平常運行になったからこそ生まれる「つまらない話」を僕は大切にしていきたいのだ。

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