太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

マンネリ化した食事と記憶の混濁

photo by Nori Heikkinen

食事がマンネリ化していく

 自炊するのも随分とご無沙汰だし、仕事場で食べられるものも限られている事もあって、食べるもの偏ってきている。昨日は家系ラーメンを食べたのだけど、ラーメンを控えるという前提に経つと安牌を狙いがちである。家系ラーメン自体は過去に何度も何度も食べていて、安心して美味いから食べに行っているわけで、なかなか他の味を冒険することができない。箱根蕎麦を食べ続けていた時期もあったけれど、どうしてもマンネリ化してしまうところがあるようだ。

 そうなると本当に一昨日食べたものは何だっけ?ってことすら結構危うくなっていて怖くなってくる。食べたものの種類は大体言えるだろうけどけれど、どれを何回ってなるとかなり混濁している。満足感だってマンネリなわけで、実際に何を食べてたかどうかなんて1ヶ月も経てば関係なくなってしまうのではないかとも思う。「健康に良くないけど美味しい」という性質の外食を何度もするのは「今の自分」にとっては精神的な影響は殆んどないのに身体的な害悪は大きいという状態になっているという虚無感にとらわれる。

気仙沼のうみねこがなく頃に

 うみねこがなく頃に。足が黄色なのがウミネコ。ほぼ日の人々が気仙沼に行ったのはもちろん震災が理由であって、この時期の言葉としてそれが載るのも意識してのことだろう。もう3年前の出来事なのか。

 震災が終わってからしばらくはエクストラステージを生きているような感覚が強かったのだけど、未だに少しある。だからやりたいことをやるのか、だから日常を過ごすのか、だから隠棲したいのかというのは自分でもよく分からないところがある。少なくともネットの揉め事は下らないにゃあと思いつつ。

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