太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

3年間のモラトリアムの終わりと始まり

photo by hugovk

インターネットに書けないことが増えていく

 膝を付き合わせてブレストしている時に回路が開いていく感覚ってやっばり重要だし、楽しいと再認識した。もちろん材料は持ち寄るんだけど、その場の反応や引き出しを見ながらじゃないと互いに進まない事がたくさんある。ネットだけで詰めるのは無理がある。

 僕は結局のところで淡々と孤独に思索を深めていくようなブロガーとしても、炎上を厭わないようなブロガーとしても2流なのだと思うし、KGIをそこに設定できなかった。有り体に言えば「地下芸」のようなものを応用してたのだけど、ここもパブリックスペースになって書きたい事が減っていき、書けない事が増えていった。それはありがたい事でもあり、そうでないところもある。

 忙しくなったり、モチベーションがなくなって満足に更新が出来ないなら休止しろという忠告もあったし、読む側の事を考えろというのは正論なのだろう。そうは言ってもTwitterに書いて散逸させるぐらいならここに書いた方がマシだし、論理的に独りになる時間も必要だと思う。ここは僕を騙る私の場所でもある。

現実への逃避

 そういう事をしたのはある意味では退路を断断ちたかったからでもある。ここでいう退路とは「こちら側」に依存する事だ。正直な事を言えば5%どころかフルタイムに近いようなお話まであったのだけど、そこに全部を賭けるのは違和感があったし、期待値がすり合わないのは互いに不幸だとも思えた。

 僕は結局の所で「私」の5%ぐらいの中で出来ることをやっているから存在できるのだろう。その5%はローストビーフをトリミングして出てくる一番ジューシーな赤身でもありたいという我儘もあるのだけど、それをあちら側の私が現実から逃避し続ける口実にしてはいけない。

 その「現実」は過剰に現実らしい現実であり、「現実への逃避」というシーソーであると一方では認識しながらも、他人を含めて気持ち良く動いてもらうには地位もお金もスキルもコネクションも必要だというのは明白な事実でもある。人はパンだけに生きてるわけではないが、パンがないと死んでしまう。  

3年前のあの日

 3年前の3月10日というのは、なんていうか大分安穏としていたと思う。ちょうど両手に届きそうな人数が入院したり退職したりしたデスマーチから帰還して、次の仕事が決まらなくて半分呆けながらも社内で色々な営業活動やプロジェクトについて並列的に支援する事を頼まれていた時期でもある。会話する中でコンセプトの不備や技術的な問題を解決していくような。

 それは不思議なぐらいうまくいってたような気がする。私の力というよりも、第三者に相談するという行為自体が重要だったのだと思うけれど、「自分が本当にやりたいこと」ってこういう事なのかもと思えた。個々の人々には感謝されつつも、社内手続き上は人件費が原価計上されずに販管費から出ていて居心地が悪かったりもしたのだけど。

 3年経って32歳になって、あの頃には当たり前だったはずの楽しい仕事も恋愛もできていない。エクストラステージだなんて言いながら、だからこそ投げやりになってしまっているところもあったのかもしれない。3年間続いたモラトリアムもそろそろ終わりなのだろう。世界は滅びなかったけれど、僕は着実に年老いた。劇的な死ではなく、緩慢な死に向かうことを裏付けながら。

関連記事