太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

あるある話に名前を付けていくことで現実が変わりえる事について

photo by Vít Hassan

アドバイス罪

 『「価値観を押し付けるべきではない」は関係性・正しさ・押し付け度合いのミスマッチ問題 - 太陽がまぶしかったから』の導入部分が、今日になって知った「アドバイス罪」という言葉と似ていて肝を冷やした。単純に「自分と相手の目的が合ってるか確認しようよ」「目的を合わせられる文脈か考えようよ」という話がしたかったので落とし込まれる行動は異なるのだけど、途中のロジックは確かに似ている。

 今回に限らず自身の経験則を苦労して説明したら「それって○○効果だよね」みたいに一言で言われて、調べると「確かに・・・」ということは時々ある。例えば「無能は無能故に自身の無能さに気づけない」という事象にすら「ダニング・クルーガー効果」という名前がついていて驚いたのだけど、大抵の「あるある」には名前がついているものなのかもしれない。

 とはいえ意味の方を検索エンジンに入れても出てこないわけで、Google逆引き検索があれば良いのにとは思う。学問として体系的に学んだわけではないので、そういう部分は出てくるのだろう。

先に名前を当てはめてしまう弊害

 このことについて、少し会話があったのだけど、先に名前を当てはめようと考えてしまうと安易にラベリングを行ってしまって、本当はそうじゃなくても、そう見えてしまうみたいな認知バイアスも怖いよねって事になった。「AはXを頻繁にする」っていう法則を知っているとAじゃないかと思っている人のXという行動ばかり気になってしまう。それ以上にYをしていたとしても。

 もちろん、知ったうえで似ているなどと言っていればコミュニケーションをコストを削減できるところもあるし、知ってしまった事を意図的に忘れるのは難しい。西洋哲学では「言論的転回」という概念があって、ある事物に関する「差異」は言語による名付けによって規定されるのだから、知覚すら言語によって条件づけられているという考えかたがある。

キャラ化コミュニケーションとも結びつく

 これはキャラ化コミュニケーションとも結びつくケースもある。つまり「AはXを頻繁にする」のだから「Aである私はXを頻繁にしなければならない」という転回である。先にキャラが決まり、そこから確率分布が他者や自分から読み取りやすいように変動するのである。ツンデレならツンデレらしく、快活なら快活らしく。

 ここで認知バイアスと自己規定による行動変容の二重の再帰的強化要素があって実際の性質とは少し似ていただけで異なるロールプレイを続けてしまう。分かりやすい概念が言語化されて広るほどその傾向は顕著になっていくのだから、使い勝手のよいラベリングをその効果を意識せずにカジュアルに濫用するのは罪深い側面があるのではないか。

あるある探険隊

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