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太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「人生が片づくときめきの魔法」とは外部変数によって優先順位の抜本的な変更を行う魔法である

ライフハック-片づけの魔法 自意識-婚活 ライフハック 自意識

photo by shimelle

人生が片づく

 『人生がときめく片づけの魔法』という本があって、『近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』〜劇的な回心を引き起こす乙女の絶技 - 太陽がまぶしかったから』を書いた。でも「片付けば人生がときめく」というのは、逆なのではないかと思う事もある。ワンチャンがあるんじゃないかという妄想ができるなら部屋を徹底的に片づけておくのは当然ではないか。そこには細々とした手法ではなく、劇的な動機があるだけである。

 「片づけはマインドが9割」という確信が本書に書かれているのですが、生活改善についてはリワード設定による駆動が重要となってきます。そして片付けは「あるべき姿」が比較的明瞭なので、駆動が続く限りは方法論をさておいても漸近的発展が見込めます。

 もともと掃除本には「ときめく」「風水」「気が流れる」といったオカルトな話が多いのだけど、これは手法に先立つ動機の維持の方が実際には難しいからだと考えている。ここでいう「人生が片づく」というのは優先順位のソートが綺麗に行われることで、結果として一定の結果がでるように物事が運営されやすくなるということなのだけど、それには「ときめき」が特効薬なのではないか。

優先順位の劇的な切り替え

 結局のところで大抵の苦悩は優先順位が明確に決められない事から発生する。道を明確に決める事ができないからこそスイッチングコストや個々の維持コストばかり掛かって本質的な資本投下ができなくなるのだ。『村上春樹は「長編小説」の拡充のためにこそ翻訳や短編の仕事をしているのだけど、僕の「長編小説」はなんなのだろうか - 太陽がまぶしかったから』でいうプロテウス症候群として「何者にもなっていない」からこそ「何者にでもなれる」という思い込みがあって、「もしかしたら使うかもしれない」という可能性の残滓がモノを捨てさせない。

 内田樹は「君たちにはほとんど無限の可能性がある。でも、可能性はそれほど無限ではない」と書いている。これは加齢によってさらに収束していくという認識があったのだけど、もっと単純な確率収束があって、それが「ときめき」という外部変数である。それは最終的には家族だとか仕事だとかの、しがらみに戻ってしまうのだろうけれど、「ときめき」が「しがらみ」に変わるまでの間の運動量をうまいこと取り出せないかとも思う。僕には心からやりたい事がないのだけど、やった事にはそれなりの結果が付いてくる実感もある。我ながらすごい小物臭いな。

動機をアウトソーシングしたい欲望

 その時に僕を突き動かすのは『好奇心を他者にアウトソースして発展する「氷菓経済」は「評価経済」とは少し違うのではないか - 太陽がまぶしかったから』でも書いたのだけど、「わたし、気になります」と言う外部主体であって、僕の中ではない。それでいて外部主体からの評価や承認は二の次であって、あくまで嬉々として動いている事そのものが報酬の大部分を占める。もちろん他者評価も嬉しい。

 それはいわゆる「奉仕者主導型奉仕」と言われる形になりがちで、本質的な他者満足が抜け落ちやすくなってしまうのだけど、そんな段階は超えていて、「この人の笑顔がみたい」という動機に対する手段を主体的に考えているのは充分に「ときめき」なんじゃないかと思う事もある。その「試み」がうまくいっているかは別問題だし、それはそれで精神分析系の本で指摘されがちな類型なのは分かっているのだけれどもね。


『愛の渦』予告編(ロングver.) - YouTube

 何が言いたいのかよく分からないけど「愛の渦」を観ようと思いました。それもまた不自然なくらいの健全さを保ちながら頭の中だけで満足してしまう傾向を加速させるのだろうけれど。そうにゃんかー、でも頽廃したいにゃんは頽廃したいにゃん。

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法