太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

独自ドメインにしたら検索流入がほぼゼロになってしまった

f:id:bulldra:20140414210002p:plain

強くてニューゲームをしたい

 独自ドメインに移転したのだけど、見事に検索流入がほぼゼロになった。しばらくは旧ドメインからの転送が効いていたのだけど、それもなくなった。覚悟はしてたけど感慨深いものがある。旧ドメインに転送設定があると2〜3ヶ月後には回復する事が多いらしいのだけど、どうだろう。

 実は旧ドメインはPage Rank 4になっていて、2ヶ月で店長のブログに追いつくような圧倒的成長(笑)をさせていた。それなりのビッグワードで検索上位になっていたので、特に力を入れて更新しなくてもアクセス数的には問題ない感じだったのだから落差は大きいのだけど、心機一転するにはちょうどよいのかもしれない。前と違って100ブクマすら難しい感じになっているので、考え方を変えていく必要があるのだろうけれど、そういうのを試すのは楽しい。「中の人」的には「強くてニューゲーム」のような感覚がある。

一定の記憶にとどまれば十分

 なんて事が言えるのも、一定の「記憶」にさえ残れば、後は基本的にはどうでも良いと先に宣言していたからである。それで生活してたら冷や汗タラタラだろう。去年の10月の時点でこのような事を書いている。

 現代の「茶器」のひとつは「一定の公共性を持った思い出」なのかなって思っています。そもそも「茶器」が権威の媒介物にすぎなかった以上、物理的実体を持つ必要すら本来的にはありません。

 ブログの話であれば、PVが多い、はてブが多い、毎日更新している、大きなサイトに取り上げられる、単著を出してる、などなど色々なパラダイムや実績がありえるのでしょうが、「実績を出し続ける」側にいるのは疲れてしまいます。

(中略)

 だから私は「茶器」として、「一定の公共性を持った思い出」が欲しいと思いました。ある「実績」を解除できたら、それを元金にしてさらに上を目指せるという側面と、一回でも解除してしまえば、そこで終わってもよいという側面があります。しかし人はいずれ死にますので、維持をし続けたところで最初から有限性を内包しています。

 一旦しきい値を超えた場合において、人々の記憶から完全に消え去るのはそう簡単ではない。表面上は忘れても「思い出させる」事はできる。数値の上では完全に離れるように画策して実際にそうなっていったのに、未だに増田に言及されるし、有名ブロガー扱いをされる状態を両立させているので、この「試み」はそれなりに成功したのだろう。

 まぁウェブ上では「またおまえか」「身内ブクマは自重」みたいな悪い影響のが大きいぐらいなのだろうけれど、そういうのを含めて数値だけではない部分を中心にして他のパターンを探索したいという欲がまた出てきた。それがブログ更新を再開しはじめた理由ではある。

「ありのまま」とか言っても仕方がない

 結局「ありのまま」とかそういう言葉を敢えて使ってる時点でクサいわけで、そこのトンチで巧いことが言えないか考えたり、本からもってきても実態的な満足からは乖離していくんじゃなのかなって思った。考えるなという事が言いたいわけじゃないんだけどね。

関連記事