太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

積まれていく皿からビジュアル化された<私の怠慢>を意識する

モテるために結婚する

 家具の片付けが終わってなかったので、ガンガン酒を呑みながら殆んど夜通し作業していたのだけど、そんな中で悪魔の発想がでてきた。

 しかし道ならぬ制約があればこそ、KOIGOKOROに火が付けられる部分というのもきっとあるのではないか。「自分を安売りするな」という言葉があるけれど、安すぎて逆にアカンみたいなところはあるのだろうと思う。まぁAMなんかを読めば同じような話はたくさん載ってるんだろうけれど・・・みたいな事を考えてるうちには時間は過ぎていく。

カリントウ事件

 結局のところで家具の片付けが終わったのは業者が来る30分ほど前。我ながら追い込み力だけはある。この時点でヘロヘロ。今回使ったのは『激安!不用品無料処分・買取【リサイクル回収サービス エコズ】』というところで、軽トラックに積み放題というコースを使った。正直見積もりするのも面倒だったし、軽トラ2台に来てもらってひたすら積み込んでもらった。ベッドやテーブルの解体なども含めてやってもらえるので金で解決するには楽だった。合計49,600円。PS4が買える。

 なぜか冷蔵庫の下に花林糖(比喩ではなく)が落ちてて、運び出す時に勘違いされたっぽいリアクションで超気まずくなったのがハイライト。僕もドッキーン!ってなってしまった。この部屋でカリントウを食べたのなんて2回ぐらいしかないし、なんでよりによって花林糖が落ちていたんだろう。Gも1匹隠れていて冷蔵庫の下は魔境だから定期的に確認しておいた方がよいのかもしれない。

人間の死王とは食器を洗うことなのだ

 あとは本棚の裏側が黴びていたり。もともと湿気が多めの部屋だったけど、見えないところの掃除をサボってしまうのは因果応報的な結果を見せてしまう。野田秀樹という劇作家が「おー!人間の思想とは食器を洗うことなのだ!」と書いている。

 飯を食った後の食器というのは、「後でまとめて洗えばいいや」などと不精を決め込んでいると、あっという間にたまってしまう。
 やっとの思いで食器をあらい、やれやれと思うのも束の間、次の食事が待っている。その食事を過ぎれば、またしても洗い場には、食器が積み重なっていく。洗濯や掃除にも似た所があるが、ちょいと怠けると顕著に積み重なっていく皿というのは、確かに雄弁である。目の前に山積みされた皿は語る「近頃、お前はこんなに怠け者なのだ」。
 その皿こそが、ビジュアル化された<私の怠慢>である。

解散後全劇作

解散後全劇作

 これは村上春樹のいう「文化的雪かき」のような話でもあるのだけど、眼前のビジュアル化こそが重要であろう。つまり冷蔵庫の下であれ、本棚の裏側であれ、「ビジュアル化された<私の怠慢>」であり、『近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』〜劇的な回心を引き起こす乙女の絶技 - 太陽がまぶしかったから』のように片づけの達人のようなふりをしつつも、眼前の事実としてそれが否定されている。

 これは思想であれ、ライフハックであれ敷衍できることで、逆に言えばビジュアル化をして皿がたまってしまっている事を正しく認識する必要もあるという事だ。「見える化」から「見せる化」というのがマイブームになっていたのだけど、見えるようにしたところで見るかどうかは別問題なのだから、見せられるような習慣化やしつこいリマインダーというのは案外重要なのではないかとも思う。

最大多数の最大幸福

 結局のところで僕は本質的には怠惰だし、自分自身を疎外する事に慣れてしまっている。その一方で外面はいいので、イベントがあればオシャレやダイエットをするし、誰かに会うならその人の好みありきで行動するし、部屋に招くなら徹底的に片付けるみたいな所もある。

 最大多数の最大幸福を考えるのは功利主義的な効率性を考えて当然であろう。僕の主観幸福がその効率性にあるのだからと極めて合理的に皆の幸せを祈っているわけなのだけど、偽善者扱いされやすいし、誇れるような話ではない。

 その上で、その手の行動は「コスト」ではないよねっていうのもある。『パン屋初襲撃中に考えた「お洒落は労働なのか」問題 - 太陽がまぶしかったから』もそうなのだけど、結局のところで「ビジュアル化された<私の怠慢>」をなんとかしようとする運動量であって、僕自身のためにしている部分が大半なのだろう。

 実家に戻るというのもそういう意図があって、共用部分こそきちんと掃除したくなるわけだ。その一方で、ネットやスナックでぐらい甘えたいと思ったり、怠惰さを敷衍したくなってしまう時もあるのだけど。それでも積まれていく皿についてまで見ないふりをするのはダメだなのだと思うし、見るための機会を増やす必要がある。

私の怠慢を知るためのボランティア

 ボランティアもそうで、別に意識高い事をしたいわけじゃなくて、自分に足りてないことを知るためのひとつの方法になる。もちろん僕個人として完璧超人になりたいわけじゃなくて、この辺はアウトソーシングしないといけないんだなって知ることも含む。結局のところで家具の解体や回収やリサイクルは業者に頼んだわけだし、ハウスクリーニングが入って敷金がろくに戻ってこないのは前提だろう。<私の怠慢>を認めて適切なところを任せる態度が必要なのだ。

 その一方で自分のコアの部分については安売りはすべきではない。でも、お金の問題よりも、そういう経験とか実績ってのを優先した方がよいだろうと今更。もちろん「次に繋がるから」は大抵嘘なのだけど、経験という意味については確実に回収できるわけで、面白そうな経験ができることを選んで、そうじゃない事は断っていくことも必要なのだろうと思う。

解散後全劇作

解散後全劇作