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太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

通勤定期券という「福利厚生」によって拡大するノーコスト行動可能圏

photo by UT440 131M

通勤定期券が都内行きに戻った

 昨年度まで郊外に転勤していたのであるが、勤務先が都内に戻った。『実家ブロガーになるので家の中で使う寝袋を捨てていった - 太陽がまぶしかったから』というのもあったりして、決して通勤が楽になったわけではないのだけど、それによって支給された定期券が休日にも使えるのは結構大きいと感じている。帰り道に都内のイベントに寄っていくことも出来るし、お金の問題も大切である。まったく当たり前の話なのだけど、改めて。

 以前までは、都内に行くたびに往復1,500円と2時間がかかっていて、その分だけ楽しさへの期待値が上がってしまうという側面もあった。何度も都内に行くのは億劫だし、ドタキャンされたりした日には泣きたくもなる。買い物にいったとして、「何かは買って帰らなきゃ」みたいな義務感が正直なところで出てきたりもしたのだけど、それが殆どなくなった。

ノーコスト行動可能圏とスポット情報

 ハックルさんこそ岩崎夏海さんは『まずいラーメン屋はどこへ消えた?「椅子取りゲーム社会」で生き残る方法 (小学館101新書)』において、まずいラーメン屋が消えた理由として、「通勤圏内で一番おいしいラーメン屋」を食べログなどで検索して行けるようになったという事を挙げている。スポット情報だけあっても、定期券だけがあっても足りなかったのだけど、組み合わせると大きな効果となる。

 例えば320円の電車賃をかけて食べにいく時点で700円前後のラーメンが1.5倍近くに値上がりしているのと同じわけであり、障壁としてはそれなりに大きい。また食べログなどのネット情報がなければ、わざわざ足で探したり、事前にガイドブックを買うにもコストがかかっていたのだけど、それらが存在しない「ノーコスト行動可能圏」とでも言うべき範囲が発生していて、その中で最もよいものが選べるようになったのである。

 その反面、定期券を持っているからこそ、外にでるのが億劫になる側面もある。それなりに広い範囲の中で選べるのだから、わざわざ外にでる必要性を感じなくなってくるのだ。現在は新宿や阿佐ヶ谷や吉祥寺などが定期券の範囲なのだけど、下北沢や渋谷に行く機会は減ったと実感している。それでも郊外に住んでいた時よりはずいぶんと安く行けるのだけどね。

ノーコスト行動可能圏ではない場所に来てもらうこと

 なにかのイベントなどで会う時において、自身にとってはノーコスト行動可能圏で、相手がそうでない場合の温度差というのには気を付けた方がよいのだろうとも思う。僕のようにたかだか1,500円と2時間ですら、結構負担に感じていたのだから、さらに郊外で定期券を持っていなかったり、県外の人はもっとそうだろう。

 だから遠くから来る人には楽しんでもらうように、もてなしたいと思ったりもする。でも、それを気負っちゃうのも違う気がするし、過剰に特別扱いするのもコミュニティから疎外しているようで難しい。それでも意識はしておいて損はないと思う。ちなみにノーコスト行動可能圏を一時的に伸ばすこととして「出張」というものもある。考えて見れば、社会人のなりたての頃は秋葉原が途中駅にあったりしたので、毎日が結構楽しかった。そういう意味では通勤定期券や出張というのは、一種の「福利厚生」として機能してくる側面もあるのだなと思った。もちろん遊びにだけ行ってるわけじゃないんだけど。