太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

セレンディピティという「能力」を鍛えるための朝活

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朝活

 今日から日報エントリや日次レビューは朝活としてする事にした。昨晩は21時半でMacを閉じている。その後に何をやっているのかと言われても漫画を読んだり、音楽を聴いたり、風呂に入っていただけ。本当は自転車に乗りたかったのだけど、夕飯が遅かったのでやめておいた。「良質な睡眠」が主なので、あまり気負う必要もないと思う。

 日次レビューにおいては『別人問題による「その後の私」への疎外で週次レビューが破綻するから対策する - 太陽がまぶしかったから』のとおり、1週間後までの計画を書いたり、1週間前からの出来事を振り返える事にしている。ほぼ日を読んだり、ブログやTODO状況を見返して調整したり。明日は今日における6日前の事から読む事になるので繰り返しになるのだけど、それはそれでよいのだと思う。

ルーティンから何かを得ること

 禅宗では諷経というのがあって、例えば朝課においても声を出して複数の経文を読誦するのが正式なのだけど、時間がかかりすぎるので、報恩諷経を読んだだけで「他も読んだ事にする」という略朝課という方式がある。その時に一瞬は経文に眼に通すみたいなパフォーマンスのルーテインをしているみたいなのをテレビで観た記憶がある。詳しくないので適当な事を言ってるかもしれないけど。

 ともかく、一瞬でも眼を通せばその瞬間に自動的に記憶から引き出されて現在のフレームにおける何かを発見する可能性を増やしていきたい。トレンディな概念であればセレンディピティを鍛えるためとも言えよう。

 セレンディピティ(英: serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見する「能力」を指す。

セレンディピティ - Wikipediaセレンディピティ - Wikipedia

 セレンディピティは「現象」ではなく「能力」である。同じ事を見て別のものを見いだせるかは注意力だったり、記憶の結合の問題だったりするわけで、「運」だけではない。「能力」だから鍛える事もできるし、そもそもの試行回数をふやす事もできるのだ。この日報エントリもそういう側面がある。「ブログとは素振りである」と、いしたにまさきさんが言っていたけど、そういう効用について見出していきたい。

人間の目は、思っている以上に何も見てない

 人間の目は確かに何も見てはいないのだろうと思うし、プロフェッショナルとしては寄り道をしないのが正解なのだろうともおもう。僕はきのこを探しにいったらカブトムシを持ち帰ってくるみたいな事ばかりしたいと思ってしまうのだけど、そこはバランスの問題だし、両方を持ち帰れるのが良いのだろう。

乱読のセレンディピティ

乱読のセレンディピティ