太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

じぶんの頭で想起させるプロセスによって生まれる派生的な自己言及には主観的な強度があるから追い込みやすい

photo by bloodless

じぶんの頭で考えさせる罪

 ある話題について盛り上がっていたようだけど、それについて正面からは語れない。「語れない事」を語ってしまうのも共犯ではあるし、どんな話題にだって個別具体的な感情の渦しかなくて、自己言及であれ、他者言及であれ、もっともらしい理由を付けたところで大抵は嘘なのに、それによって派生した自己言及的な嘘は信じ込みやすく、行動に結びつきやすい。それは同じだ。

 ただし、読む側にとって余地が少ない可能性があり、かつ実行動に繋がると後味の悪い領域もあるし、変えられない事に対して、ありえた未来を当事者から離れて言うのは絶望と反感しか産まない事もある。その時にAという論が筋はさておき気に食わないほど強固に例外を考えて、派生的に考えたBを信じてしまいやすい。

 そして、そのAが本質的には救いに近いものを意図した時ほど、際立ったBは厄介なものとなる。自分の頭で考えようとするほどに、材料の有無に依存して逃げ道を塞ぐことになるのだ。もちろんタブーの境目こそ個別具体的な話ではあるのだけど、国際的なガイドラインがあることだし、しばらくは続くであろうプロレスごっこが派生的に与える影響に少し憂鬱になる。

 僕がモノマネをしている村上春樹も完全にモノマネされたあとのモノマネである。ヤザワもそうなのだけど、彼らは意識的にセルフパロディとして自己言及的なモノマネを繰り返している。コンテキストを差し替えてのモノマネというのはデペイズマンによる異化作業であり、それは結果として神話化作用を発生させる。

 それでも名前を聞くたびに「思い出す」という事はあるのだろう。神話とは過去から何度も回帰してくる物語である。神話化の達成は、しばしば事柄と感情の心的複合<コンプレックス>によって「思い出す」という形を取る。僕が眼前に見ているモーニング娘。'14には当時のメンバーが在籍していないのにもかかわらず、主観世界においては矢口真里にまつわる色々な感情を同時に僕に向けて語り掛ける効用があるのだ。

 この時に「思い出す」ための媒体は昔話からでは弱くて、変形されて存在する一見しては関連性が低い事柄が媒介となるほど、神話の立ち上がりとしては鮮烈となる。例えば紅茶に浸したマドレーヌの香りである。

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 断片的なシニフィアンを断続的に提示することで想起される感情とシニフィエの複合体について「自分の頭で思い出した」というプロセスを経ることで、他者の言葉の裏側にあるものを「最初から思っていた私自身のほんとうの考え」として浸透させるという効果がある。この文章だって敢えて語らないからこそ、自分の頭から想起させてしまったり、調べさせてしまう事を面倒に感じる。そういう反作用がある事を見越している以上は14番目ぐらいに大切な事を肴にするのが好みだ。善悪ではなく個人的な好みだ。

ブルーのスカイよ

 新しいアイコンはチェコ好きさん ( id:aniram-czech ) に『第2回ブロガーミーティングに参加した感想 - (チェコ好き)の日記』で描いて頂いたものです。ありがとうございます。そんな簡単なことじゃないんだけど、まぁブルーのスカイよ。

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