太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

真面目系クズすぎると二度死ぬ

photo by Nikita Kashner

真面目すぎると死ぬ

 「真面目すぎると死ぬ 」という話を読んだ。簡単にいうと規範を守る意識が強すぎると疲れるし、環境の変化に耐えられなくなって死ぬということである。この議論についてはよく聞く話でもあるのだけど、何点か気になるところがあったので、そこを掘り下げたい。

  • 「真面目系クズ」を対比にするのはおかしくないか
  • 不完全情報ゲームで臨機応変にするのは死にパターン
  • 真面目すぎると疲れる

「真面目系クズ」を対比にするのはおかしくないか

 本文中において真面目な人が「ルールを守ること」を絶対的に肯定するのに対して、我々真面目系クズが「ルールを守ること」を損得勘定の末の選択肢として扱う事について「真面目系クズ」という言葉が使用されているけど、これは本来の意味の「真面目系クズ」からすると違うんじゃないかと思う。

 そもそも「真面目系クズ」という言葉であるが、初出は2chと言われており、この時点では努力アピールと実態の乖離という意味合いで使われている。

  • 非リア充であり、DQNのような明るさは無い
  • 資格や勉学に打ち込んでいるとアピールし、それを就職から逃げる理由にする
  • かといって本気で打ち込んでいるわけでもなく、他に勉強している者からすれば明らかにボロが出るレベル
  • それでも自分は努力しているとアピールし、大言壮語を吐く

    真面目系クズとは (マジメケイクズとは) [単語記事] - ニコニコ大百科真面目系クズとは (マジメケイクズとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 現在では以下のような意味合いで使われているのが一般的である。

一見すると真面目なのに実は中身がクズな人のこと。自ら主体的にがんばったり努力することはないが、先生や親の言うことをきくので周りからの評判は良い。反抗しないのは楽な方へと流されれいるだけで、ルールを外れる勇気もない。周りに迷惑をかけないように真面目に生きてきたが、積極的に努力することは無い。最初の印象はよく、周囲から期待されるが、だんだんボロが出て人が離れていく。ひとことで言うと「エヴァのシンジの悪いところだけ集めた感じ」のクズ。

¿¿ÌÌÌÜ·Ï¥¯¥º¤È¤Ï - ¤Ï¤Æ¤Ê¥­¡¼¥ï¡¼¥É真面目系クズ - はてなキーワード

 以上のような語法を考えると「ルールを破るかどうかの損得勘定すら面倒くさいから外形的には規範意識が高いように見える」のが真面目系クズの特徴であると言える。それでいて上がったハードルを超えるような努力はしないから実態的には失敗するからクズなのである。

 つまり「真面目」と「真面目系クズ」を外形的に切り分けるのは「規範と実態的な行動との乖離」であり、心持ちの問題ではない。もちろん安全に痛い自虐として消費されることもあるけれど、「うまくやる」ための意味として「真面目系クズ」を使うのは不適切であると言える。むしろ本文中で揶揄されている「真面目」のが本来の意味の「真面目系クズ」である。「真面目系クズ」という言葉は二度死ぬ。

不完全情報ゲームで臨機応変にするのは死にパターン

 「規範意識」や「教育」の語義は調べてるのに、「真面目系クズ」というバズワードについては字面で使っているという事を責めるのは本意ではない。この文章ひとつとっても瑕疵があり、損得勘定についても関連事象の洗い出しと検討が厳密には行われてはいないという事を指摘したいのだ。 誰もが現在の自分自身において内面化された知識や価値観から損得勘定を直観的に判断しているのに過ぎない。そもそも厳密に検討していたら疲れてしまうわけで「疲れない」が指標になっている場合において、先に定義された「真面目系クズ」のが疲れる事になる。

 ある物事において「時と場合による」から「臨機応変」にしなきゃと考えるとき、そもそもパターンを知らないだけである可能性を疑ったほうがよいことのが多い。暗黙知にするのに値しないようなことについてまでフリーハンドや暗黙知で対応しようとしていれば進歩を阻害することになる。 また根柢の価値観のアップデートしたものが「よいもの」であると短絡するのも危険な兆候で、まともな検証を経てないからよいものだと現在の知識から直観的に思えてるだけという可能性を疑う必要がある。そもそも過去に打ち捨てられたものかもしれない。ある価値観が現在の知識において不合理だと思えるのに残っているのは、現在の自身がメタ的に認知できない理由があるかもしれないし、根柢の価値観がアップデートできてない人ばかりの社会で敢えて特異点として生きづらくなる事は「真面目系クズ」にとって話を難しくしているだけなのかもしれない。

 自身の判断で動いた結果として失敗した場合において、規範と実態の乖離が明白になるわけだけど、この時に「うまくやるため」という理由でコンプライアンス違反をする人のが危険だと感じる。そこで生存バイアスを絶対のものと考え始めると、第三者の審級を経ないで偶然うまくいった事を続けようとして失敗し、それまでアドバンテージを吹き飛ばすことになる。これはそのままブラック企業経営者などにも適用できるし、原発事故などにも繋がったのだろう。

真面目すぎると疲れる

 自身の無謬性に「自信」があり、そこ実態が伴う人はいいけど、そうでないままに中途半端に規範を破ったことから失敗すると、失敗そのものから損失が発生し、ルールを破ったことからも損失が発生して二度死ぬ。この時に括弧付きの無謬性を主張する方法として既に明文化されたルールを守っていたという事にするのはわかりやすい。本来の「真面目系クズ」は損得勘定として、ルールを利用している。もちろん当事者間の話においては、規範さえ守ればよいのかって話になるのは道理だけど、間主観の問題になった時に主張しやすい。というか、いちいちルールが破れないかなんて真面目に考えるのは疲れるから出来る限りはフリーライドする。

 もちろん「ルールを守ること」自体を自己目的化してはいけない。しかし、そう思うあまりに、ルールを守らないで、新しいやり方を選ぶことを自己目的化してもいけないし、ルールを破る事にはスペシャリティがないといけない。違法であること自体に価値を見出したり、考慮不足のまま自分ルールを遂行して他者に迷惑をかけるのは「真面目系クズ」ですらない単なる困った人である。あんまり考えずにできるようにするためにルールがあるというのに、そこを超えてよい方法を追及し続けるほど真面目すぎると疲れてしまうんじゃないのかな。

マジメすぎて、苦しい人たち―私も、適応障害かもしれない…

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