太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ヴァレリー『テスト氏』〜カイエの結晶

ムッシュー・テスト (岩波文庫)

今週のお題「テスト」

 「テスト」と聞くと、どうにも『テスト氏 (福武文庫)』を思い出す。教養コンプレックスだったときに読んだ本であり、僕が毎日書く事にこだわっているのは、ヴァレリーの「カイエ」の影響がある。

 ヴァレリーは23歳から死ぬまで公表を前提としない「カイエ(=ノート)」を書き続けて、その量は26,000ページにもなっている。「テスト氏」は、その結晶とも言えるキャラクターであり、彼の分身であると言える。序文には以下のように書かれている。

或る種の人々の特異性や、良いにせよ悪いにせよとにかく並外れた彼らの価値が、時として、それらを生み出した人間のほんの一時的な状態に由来するといったようなことも、結局のところ、ありえぬことではない。不安定なものがこのようにして伝えられ、なにがしかの生のみちを辿ることもありうるのである。それにまた精神界においては、これこそ、われわれの著作という機能であり、才能というはたらき、仕事の対象それ自体ではあるのではないだろうか、つまり、これこそ、自分が手に入れたもっとも稀有なものを自分の死んだあとまで存続させたいというあの奇妙な本能の本質ではないだろうか?

テスト氏 (福武文庫)

テスト氏 (福武文庫)

 大抵の人は仮に並外れた何かができたとしても、あくまで「一時的な状態」にすぎない可能性が高い。それでも、数をこなすことで時々はうまくいくパティーンが蓄積され、それらを組み合わせる事で、ある程度は意図的に良いものが出せるようになる。

カイエのみで満足してしまうこと

 「日記」を毎日書きながらも、ブログや寄稿などが休止中なのは、後半の作業について意識的にサボタージュしているからである。『村上春樹は「長編小説」の拡充のためにこそ翻訳や短編の仕事をしているのだけど、僕の「長編小説」はなんなのだろうか - 太陽がまぶしかったから』でも書いているのだけど、まだ概念のパーツが足りてない側面と、まとめるための時間と気力が確保できない側面がある。

 僕に関しては、そんなに大袈裟な話でもないのだけど、「カイエ」のみで満足してしまう状態を続けてるのも勿体無いのだろうとは思う。レミングスと化したミームに対しては多少なりとも哀悼の意を示したい。「自分が手に入れたもっとも稀有なものを自分の死んだあとまで存続させたいというあの奇妙な本能」について、そもそも自身に「稀有なもの」があるのかはまた別の話なのだけど。

 だけど馴染みのある形にして、みんなのものにする作業も時にも必要になる。集合的無意識から採掘し、加工し、流通させる。言葉がウィスキーに変質し、ダンス・ステップのように身体が自然に動く状態にするには、もっと形のない個人的な体験も必要となる。

集合的無意識を掘り起こす事に再現性はないのだから個体識別と紐付かない方がよい事もある

 ブロガー同士で会話をすると「どのくらい個体識別されているのだろうか?」というのはひとつの話題になることがある。僕の場合は、一時期のはてな村っぽいイベントでは大体識別されていたし、毎日のように増田に書かれていたので少しだけ勘違いしそうになったけれど、それ以外はほぼゼロだし、古い人にも新しい人にも知られてない。

 それでも最近ホッテントリになった記事や勝手に作った造語やらを言うと「あー」ってなる事もある。例えば「フールペナルティ型ビジネス」は僕が適当に作った言葉なのだけど*1、ちょくちょく使われるのを見たりもするし、その言葉だけは知られている事がある。

ミームのひとり歩き

 その時に個体識別対象としての「私」は消滅していて、言葉のミームだけがひとり歩きしている。「マイルドヤンキー」もそうなのだろうけれど、既に「こういう感じ」という集合的無意識は出来ていた所を掘り出せただけで誰が書いても良かった。

 例えばブラム・ストーカーは『吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫)』以降は凡庸な作品しか書けていないとコリン・ウィルソンが指摘している。「恐血鬼」というテーマが一種の集合的無意識の琴線に触れるようなテーマだったからこそ傑作になったのであって、書き手は代替可能な依り代にすぎない。依り代になる事に再現性があれば充分な才能と言えるのだけど、それは殆んどの人にとって難しい。

 1度出来たら次もできるし、2度目が出来たら3度目は絶対だ。絶対的な難易度と認知バイアス上の難易度はしばしば乖離する。2度目ぐらいのところから専業になってしまったり、過剰な期待に潰されれば、無理に再現性を作るために過激な体験に手を染めたくなるのは分かる。そんな時に、自身が個体識別されていないという当たり前の事実に気付くと気楽になったりもする。

 僕自身がヘタを打ってもミームは残るし、期待値は低くてよい。もちろん9割は駄作だという割り切りは決して褒められたものではないのだけど、ストレス解消のための趣味がストレスになるのも困るのである。腐葉土をもう少し溜めたうえで、誰かも認識されていない新人として再スタートをしたい。カイエの結晶でありなら、それを最初から考えていたかのように見せる事が必要となる。過程を見せるのがサービスとは限らない。

ムッシュー・テスト (岩波文庫)

ムッシュー・テスト (岩波文庫)