太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

もし僕らのことばがウィスキーであったなら

photo by Louis Engival (Pentax only)

もし僕らのことばがウィスキーであったなら

 予定のない週末。ハニーローストピーナッツを齧りながら、ウィスキーを舐め、フュージョンを聴きながら小説を読む。僕が僕自身に満たしたい瞬間はここに集約されている。だけど、それを「ことば」にした途端に逃げていく。

 もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む。それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

 「ことば」はそれだけのものでしかなくて、もっと無言で成される物事によって世界の大半は動いているのだけど、「ことば」に置き換える事に慣れていくほどに、その限定性を忘れてしまう。行為遂行的であるほど「ことば」そのものだけでは成し得ない。ことばがウィスキーのように身体に染みこんで、ダンス・ステップに変わる過程はいつだって個人的な体験である。

一番最後に来るのは人間

 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)』は、村上春樹夫妻が「ウィスキー」をテーマに旅したスコットランドとアイルランドの旅行記である。写真と短文で成り立っていて、さっと読める。本来は『遠い太鼓 (講談社文庫)』のような長大な旅行記の一部になる予定だったのだが、テーマが明快すぎて他と馴染まないので、「ウィスキーの匂いのする小さな旅の本」を独立させたとの事。

 スコットランド内の小さな島であるアイラ島はシングル・モルトウィスキーの「聖地」である。ラフロイグは僕も非常に好きな銘柄だ。でも、あまり薀蓄を語るつもりもないし、謂れを調べてもいなかった。そこに美味いウィスキーがあれば十分だ。それでも擬似的な共通体験と再現性のためには理屈に置き換えていく必要もある。そこにはレシピがあり、ノウハウがあり、近年はコンピュータ制御されている。

レシピとは要するに生き方である。何かを捨てない事には、何もとれない。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

 しかし成分を分析しても、その魅力は解明されない。解明されてはいけないと地元の人々は話す。結局のところで「一番最後に来るのは人間」とボウモア蒸留所のマネージャーからのご託宣。ことばがウィスキーのように身体に染みこんで、ダンス・ステップに変わっているから出来る事。

 「生牡蠣の殻にダブルのシングルモルトウィスキーを注ぎ込んで食べる」。この文章を読んで未来の僕らが試したいと思うかは個人的な経緯があり、個人的な体験がある。「ことば」は「ことば」だけではウィスキーにはなれないが、そうなる可能性も重ね合っている。大半は樽の中にしまいこまれもせずに蒸発してしまうのだけど。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)