太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「出来るからする」に安住し続けてるうちに「したいから出来るようにする」が抜け落ちる

「出来るからする」に安住し続けること

 賃金労働。会社やプロジェクトに技術者として従事していれば黙っていてもタスクが増えていって、それをこなせば給料が貰えるというイージーモード。もちろんタスクの質を選ぶ余地が少ないとか、お金の取り分が少ないとかはあるのだけど、営業や契約にまつわる事にあまり関わらなくなったのは非常に気楽だ。でも今後の事を考えるとその手の能力をスポイルしていって大丈夫なのか?というのはある。

 技術者としても、ここ5年間ぐらい技術スキル的には完全に停滞していて、昔作ったライブラリを使い続けたり、他には転用出来ないような特有のバッドノウハウばかりを得ている。それが参入障壁になっているのでビジネスとしては正解なのかもしれないけれど、githubすらろくに使えないのが恥ずかしくなる事もある。慢心・環境の違い。

 「何者」かにはなれていないし、それ自体は大した問題だとも感じてなかったのだけど、したい事をできない時に強烈に意識する事になる。「出来るからする」に安住し続けてるうちに「したいから出来るようにする」が抜け落ちていたなと改めて感じる。なんか自己啓発くさいけど、圧倒的成長が必要な段階もあるよね。いつやるの?  

個性がないところには価格競争が起こるだけ

 『可能世界と投機的実行を前提とした先払い型自己投資について - 太陽がまぶしかったから』でも書いた「魅力的品質」と「当たり前品質」

 魅力的に思える部分がなければ買い叩かれて余計に辛くなる。代替可能性が低くて交代できないから仕事ばかりになってしまう場合と、代替可能性が高いから長時間働かないと生活できなくて仕事ばかりになってしまう場合があって、理由は正反対なのに結果は同じになってしまう。前者のが一般的にはもらえるお金が多くなるはずなのだけどサービス残業が当たり前になってしまっているし、スキルを伸ばす時間が確保できなければ結局はコモディティの波にさらわれる。

任天堂 “驚き”を生む方程式

任天堂 “驚き”を生む方程式

関連記事